この記事は、一年前に書いたものです。 宜しければ ご覧ください。
「矛盾脱衣」の意味は、単に「極寒の中で 服を脱ぐのは 尋常で無い」と思います。 しかし、服を脱いだ本人は 既に凍死(過去 日本で 37名)しているので、真相を解明するのは不可能です。 医者が死亡診断書に「矛盾脱衣」と書いたとすれば “医学用語” になるかも知れませんが、そんな事は有り得ません。 死因は「低体温症」又は「凍死」と書く筈です。 報道 や 推理小説 における “業界用語” と言うのなら 納得できます。 「極寒にさらされ 低体温になり、死を目前に精神異常を起こし、着ている服を脱ぎ捨ててしまう」 こんな行動は 通常考えられません! だから矛盾なのか? 低体温になると、“アドレナリンの異常分泌による 幻覚作用”・“体温調節中枢の麻痺による異常” など、自ら生命維持に反する行動を始める。(断末魔の異常) 何か「矛盾脱衣」の中に、計り知れない “生命の神秘” が 宿っている様に思います!
1902年(明治35年)1月、日本陸軍第 八師団の歩兵第 5連隊が、青森市から八甲田山の田代温泉に向かう雪中行軍の途中で遭難しました。 参加者 210名中 199名が死亡(凍死)しています。 この記録は、世界最大級の山岳遭難事件として、日本で映画化されています。 その中で 寒さのあまり発狂した将校が、着ているコート(防寒服)を脱いで “ふんどし姿” になったシーンがあります。 当時は、寒さによる発狂と表現していますが、実際は “矛盾脱衣” に相違ありません。 将校の異常行動は、生き延びた伍長の証言で明らかになっています。 「突然暴れ出して、着ていた物を脱ぎ棄て、間もなく絶命した」 目撃した伍長は、将校が脱ぎ棄てたコートをまとい、凍死を免れたそうです。
「八甲田雪中行軍遭難事件」は、“日露戦争” が勃発する二年前、青森県で起きた悲劇です。 ロシアの極寒を念頭に置いた 厳しい訓練だと思います。 その時の気温は 定かでありませんが、同日 北海道・旭川市の最低気温は氷点下 40℃なので、おそらく八甲田山行軍も 極限(極寒)の気温だったと想像します。