◆ 2305 賞味期限・消費期限 2010/05/08(土)
末期ガンより奇跡的に復帰した尊敬する師匠からのメールをコメント無しに紹介しておきたい。
”世間の常識に興味が無かった自分も、実は常識的な世界に生きていた。雨の中、数時間座った。そして、ふと沸いてきた考えがあった。考えないことが良い考えの源泉になることは世間の常識だが、出来ていないことも、また常識になっている。まあ、常識とは個人が考える世間の考えであり幻想だ。それでも幻想は存在する。色即是空 空即是色であるが、常識は非常識であり非常識は常識である。
「賞味期限と消費期限」を簡単に言えば、前者は“美味しく食べられる期間”と“安全に食べられる期間”だろう。似たような表現に「安心と安全」がある。安心は“心理的、安全は“物理的”なのだ。そう考えると、賞味期限は加工品が対象で比較的に長く、消費期限は素材が対象で凡そ5日程度なので頷ける。
「生物」という文字は「せいぶつ・いきもの・なまもの」を表現する漢字で、魚や肉を連想するが、野菜も果物も含む細胞が生きている状態を示す。
「私は“なまもの”です」と、しばしば話す。言い換えれば「私には"賞味期限や消費期限”があり、安全に安心して使える期間がありますよ」という暗喩だ。
今年、還暦を迎えられる予定だ。6年前の余命宣言から思えば夢のような話だ。油の載り切った五十代は闘病生活となったが、『災難は人間を成長させる』という師の言葉を実感できた。愚痴を言う、文句を付ける、嘆く、騒ぎ立てる・・・。何の問題も解決しないし、不幸を連鎖させるだけ。動物の多くは死期を悟れば群れから離れ、群れの安全を優先される。それが自然なのだ。その自然を工夫して最小限に食い止めることが災難に遭遇した者の務めであり、成長の肝だ。
ところが、還暦を目の前にして“快復”が告げられたことは、重ね重ねの災難と言えるかもしれない。余命宣言とともに身辺を整理して身軽な状態を作ったということは、快復したからと言って元には戻せない。
昨日、「儂の賞味期限は過ぎた」と実感できる出来事に遭遇した。人間にとっての賞味期限は、存在意義や社会的生存の場を失うことだろう。言い換えれば価値を失うことだ。
『災難の後に災難がある』ということは、最初の災難は大したことではなく、それを上塗りした災難こそ災難そのものだ。つまり、また成長する機会を与えられた。
今度の工夫は・・・。安全と安心を担保しつつ賞味期限も消費期限も過ぎた素材を料理するにはどうするか。簡単な事だ。人を喰って生きてきた自分が、人に食われれば良いが、その期限が切れたのだから、食料となることではなく飼料となり、最終的には肥料となれば良いだけだ。飼料となることを真剣に考えれば、用途を広げ栄養価を上げることだ。そうだ、発酵すればよいのだ。多少は発熱するが、先ずはバクテリア(微生物)に食われう事だ。社会のバクテリアとは誰だ。牛の尾でも鳥の頭でもない大衆だ。私は大衆に喰われ、価値を上げよう。
これこそが、賞味期限、消費期限が過ぎた常識人の非常識な生き様だ。”
末期ガンより奇跡的に復帰した尊敬する師匠からのメールをコメント無しに紹介しておきたい。
”世間の常識に興味が無かった自分も、実は常識的な世界に生きていた。雨の中、数時間座った。そして、ふと沸いてきた考えがあった。考えないことが良い考えの源泉になることは世間の常識だが、出来ていないことも、また常識になっている。まあ、常識とは個人が考える世間の考えであり幻想だ。それでも幻想は存在する。色即是空 空即是色であるが、常識は非常識であり非常識は常識である。
「賞味期限と消費期限」を簡単に言えば、前者は“美味しく食べられる期間”と“安全に食べられる期間”だろう。似たような表現に「安心と安全」がある。安心は“心理的、安全は“物理的”なのだ。そう考えると、賞味期限は加工品が対象で比較的に長く、消費期限は素材が対象で凡そ5日程度なので頷ける。
「生物」という文字は「せいぶつ・いきもの・なまもの」を表現する漢字で、魚や肉を連想するが、野菜も果物も含む細胞が生きている状態を示す。
「私は“なまもの”です」と、しばしば話す。言い換えれば「私には"賞味期限や消費期限”があり、安全に安心して使える期間がありますよ」という暗喩だ。
今年、還暦を迎えられる予定だ。6年前の余命宣言から思えば夢のような話だ。油の載り切った五十代は闘病生活となったが、『災難は人間を成長させる』という師の言葉を実感できた。愚痴を言う、文句を付ける、嘆く、騒ぎ立てる・・・。何の問題も解決しないし、不幸を連鎖させるだけ。動物の多くは死期を悟れば群れから離れ、群れの安全を優先される。それが自然なのだ。その自然を工夫して最小限に食い止めることが災難に遭遇した者の務めであり、成長の肝だ。
ところが、還暦を目の前にして“快復”が告げられたことは、重ね重ねの災難と言えるかもしれない。余命宣言とともに身辺を整理して身軽な状態を作ったということは、快復したからと言って元には戻せない。
昨日、「儂の賞味期限は過ぎた」と実感できる出来事に遭遇した。人間にとっての賞味期限は、存在意義や社会的生存の場を失うことだろう。言い換えれば価値を失うことだ。
『災難の後に災難がある』ということは、最初の災難は大したことではなく、それを上塗りした災難こそ災難そのものだ。つまり、また成長する機会を与えられた。
今度の工夫は・・・。安全と安心を担保しつつ賞味期限も消費期限も過ぎた素材を料理するにはどうするか。簡単な事だ。人を喰って生きてきた自分が、人に食われれば良いが、その期限が切れたのだから、食料となることではなく飼料となり、最終的には肥料となれば良いだけだ。飼料となることを真剣に考えれば、用途を広げ栄養価を上げることだ。そうだ、発酵すればよいのだ。多少は発熱するが、先ずはバクテリア(微生物)に食われう事だ。社会のバクテリアとは誰だ。牛の尾でも鳥の頭でもない大衆だ。私は大衆に喰われ、価値を上げよう。
これこそが、賞味期限、消費期限が過ぎた常識人の非常識な生き様だ。”