御朱印について
最近、御朱印参拝が激減しています。流行は終わろうとしていますね。
ここで私の反省を述べれば、流行が来る前は、社頭に立つ参拝者に声掛けをすることがありましたが、流行り始めてからは、授与所で待機することになっていました。
減少については確かに、コロナ禍の影響は多大にありましたが、それ以外にもある気がしてなりませんでした。
何故、波が引くように一気に減少したのか、その原因を考えていました。
率直に、参拝者にも意見を聞いたところ、何と私と同じ考えではありませんか。
色とりどりに、それぞれが競うように、他社とは異なる独自の御朱印作りに躍起となり、参拝者からの印象は、高額化、陳腐化してきたという印象です。神社によっては、「お守りやお札と同じ扱い」であると説明しているところもあるようです。参拝の証としての御朱印が神符守札と同等というのは驚きを隠せません。
この御朱印参拝は、神道教化の窓口、入り口でもありました。すべての神社とはいいませんが、その窓口において、神道や神社に興味をもってもらう努力をしないまま、自社の御朱印頒布増を図ることのみに力を注いできた結果、人々が一気に流行から覚めてしまったのではないでしょうか?
当社では、時間に余裕があるときは、「何か、ご質問があればどうぞ」と声かけをしてきました。そのお蔭もあり、リピータの方が多く、ときには社務所内に入ってもらい、お茶を飲みながらいろんな話をしてきました。
ときには「そんなことをきかれても困る、他の神社ではそんな声かけがなかったもので」と言われることもあり、本当にスタンプラリー化している参拝者も見受けられました。
私たち神職は、このせっかくのチャンスを教化より収入に力をいれてしまったことに反省しなければならないのではないでしょうか?
当社では、御朱印参拝の浄財はずっと積み立てていて、参道石畳設置、女子トイレ、草刈り機など神社の境内整備等に充当させてもらっていました。
過疎地域である当社に全国あちこちからご参拝をいただいたお蔭の賜物です。この場をかりて改めて深く感謝を申し上げますとともに、これからも気軽に質問などをしていただければ幸いです。
昔、國學院大學生のアンケート調査では、宗教者には、相談相手になってほしいという結果がでていましたが、寺院や教会とは違い、神社界はそれへの対応を置き去りにしてきた感があります。
「神仕え」ではなく「神使え」になっていく「授与品神道」と揶揄される神社界、このまま商業化していくその将来に、何が待ち構えているのでしょうね。