きのう午後、新区桃園度暇村であった蘇州ビジネスフォーラムS-SBFの催しに参加。S-SBFは5年前に発足、今回が29回目。現行会員は約200名、きのうの出席は中日約半数ずつ計34名。今年は、ビジネスの話から少し離れて、歴史文化のテーマをとりあげており、なかなかの人気。わが酔話会からも、ものずき3名が参加。以下、どんな話だったか、紹介してみよう。
今回のテーマは「中日熟語(諺語)の比較から両国文化の差異を読む」。講師は沈鷹さん56才。日本語教師を経て1993年ソニーケミカル入社、蘇州に5つの会社をたちあげ、現在は積水行政人事部長。インストラクターとして貢献。沈さんは、日本の歴史文化通。それでも日本人に日本文化を語るのは、釈迦に説法、班門弄斧のようなものだが、とことわって話し出した。
日本各地のかくれた歴史文化遺産を歴訪し、日中の文化の差異に瞠目した。毎回招かれる積水社長の宅では、いつももてなしの茶菓子の心遣いに文化を感じ、植木屋の理髪師のような刈り込みのていねいな仕事に気配りを見た。積水の社名は創始者であるチッソの野口社長が当時孫子の兵法“積水の力”からとった。
沈さんは、歴史勉強の目的を生き方の鑑とするという唐の太宗の名言に求め「新しい歴史教科書」「日本史1000人、上下巻」を通読して歴史上の人物の生きざまを学んだ。しかも、現場主義に徹して、各地の歴史舞台に足を運んだ。その時の映像をスクリーンに投影しながらの説明。その見る視点が面白い。
例えば、久里浜のペリー記念碑(伊藤博文揮毫)の画には、「ペリーは侵略者か?」とコメントを挿入。伊勢神宮の式年遷宮。なぜ20年ごとに遷宮するのか?宮大工の技術継承のため?神様に気分転換してもらうため?こんなことをまじめに聞いてまわっている。日中文化の審美観はちがうと題して、二条城と故宮、白川郷と無錫団地の写真を併掲。
ことばの意味の違いでは、仕事と工作。指示されて仕えるのが仕事、自ら工夫して作るのが工作。長崎の博物館の玄関に温故知新の木板が掛けられていたが、中国では普通学校で習ったことを復習しなさいという意味。博物館には掛けない。
1339年後醍醐天皇が隠岐に流される時、児島高徳が行在所に忍び込み、桜の幹に「天莫空勾践,時非無范蠡」天コウセンを空しゅうする莫れ、時にハンレイなきにしもあらず、の十字の詩を書いて臥薪嘗胆して再起を期されよ!と天皇を励ました話など沈さんの話題は豊富。
さて、本題の中日諺の比較:
全部で112の諺をあげて、中日対比し、その異同の特長により9つに分類して紹介。
つぎに、9つの分類順に、よく知られた1~2句を紹介してみよう。
1.形義相同
一衣帯水はきわめて近いこと。同軌同文 は同文同種とは言わない。
2.形近義同
郷に入れば郷にしたがえは入郷隋俗。
3.形異義同
足を洗うは金盆洗手。両方とも博打をやめることだが、日本は足だが、中国は手。
馬の耳に念仏は対牛弾琴。日本は馬、中国は牛。
4.形異義近
我田引水は自私自利。
可愛い子には旅をさせよは棒打出孝子。中国の方が直接的。
うちの米飯より隣の麦飯は家花不如野香花。このての話は、どちらも隠喩。
5.論理推論の差:日本語の方が論理的?
美味しくて頬っぺたが落ちそうは鮮得眉毛也要卓下来了。美味いなら落ちるのは頬っぺたの方が眉より理屈に合う。
法螺を吹くは吹牛。法螺は吹けるが、牛を吹いてどうするの?
6.国情文化差別
くろうとは内行。しろうと、とうしろうは外行。日本の黒と白は中国では内と外。
7.具体抽象差別:日本語は抽象的、中国語は具体的
風上に置けぬは臭不可聞。
花より団子は眼福不如口福。
8.巧用人体詞;日本語は体の部分をうまく使う
鼻が高いは得意揚揚。
首を切るは解雇。これはコワイ。
9.巧用通俗比喩;日本語は物に託していう、中国語は直接表現する
取らぬ狸の皮算用は如意算盤。如意棒でそろばんの方が直接的。
太鼓判を押すは保証没錯。太鼓判つまり大きなハンコと物に託している。
まだまだ面白いのがあるが、実は日本語にない漢字がかなりある。簡体字で書くとブログへ載せた時点で文字化けするので、割愛せざるを得なかった。
午後3時にはじまった講演は2時間を越えた。このあと、参加者一同2階のレストランで大テーブル2卓を囲んで蘇州料理で乾杯。一同あらためて、日中ことわざを披露しあいながら、話に花が咲いた。大山鳴動鼠一匹は中国の諺かと思って、山東省へ行った時、泰山鳴動老鼠一只と言ったら、中国では雷声大、雨点小ですと教えられたと話したのはぼく。沈さんは、中国人は文章にも会話にも頻繁に成語(諺)を入れるが、日本では頻度が少ない。日中文化の違いもあるが、日本の諺は語数が多いので、入れにくい面もあるなどと話した。沈さんのぼくらの目線とは一味違う視点からの話は、眼から鱗が落ちる感をもった。
傾聴でつかれた頭に紹興酒がここちよい。帰りは、代表幹事のセツさんが車で3人のものずきを送ってくれた。多謝。 さわ
感謝しつつ、いただいたメールをそのまま転載させていただきました。
14日のS-SBFでお会いしました佐藤です。
随分頑張っておられますね、敬服いたします。
講師の沈さんから貴殿のブログ記事をいただき拝見いたしました。
短期間に要領よくまとまっていますねー。
感心いたしました。
ただし、S-SBFについて間違いがありましたのでおついでの時に直してください。
今回の開催は27回ではなく、29回です。
会員数は、50名ではなく、約200名です。
今後もますますご活躍ください。
日中の慣用句や諺には、出典が同じで、書き方も同じでも、それぞれの国の歴史・文化・メンタリティ等により、オリジナルの意味が変化し、現代においては解釈や用法が異なってきたものがある。甚だしきに至っては、それが誤解を生み、すれ違いや摩擦を引き起すこともあるため、使い方には注意を要する。
二つほど例をあげてみると、
1.「温故知新」…出典は《論語・為政》“温故而知新,可以為師矣”。
故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知れば、以って師と為るべし。
中国の辞書では、一般的に「温習旧的知識,可以得到新的理解和体会」等と説明されている。「温」という字には、暖かい・ぬるい・柔和である(形容詞)、温度(名詞)、温める(動詞)以外に、復習する・おさらいする(動詞)という意味もあるので、ここでは以前に習ったことを復習するとういう解釈になっている。例えば、学校の先生が生徒たちに「学習したことをちゃんと復習しなければだめよ」などと指導する場合によく使われるようだ。勿論、本来の「通過温習歴史経験,認識到現在的新情況」(過去の歴史を学ぶことで、現在の状況を見直す)という意味もあるが、現代漢語ではあまり使われないようだ。従って、例えば、日本の歴史博物館などに標語として「温故知新」と書かれていたりすると違和感を感じると沈さんも薛さんも異口同音に言っていた。
因みに、2008年に福田康夫元首相が中国を訪問したとき、最終日に山東省曲阜の孔子廟を訪れて、揮毫したのが「温故創新」というモジリだった。中国の人たちはどのようにとらえたのだろうか?
揮毫と言えば、小泉純一郎元首相も、2001年に、盧溝橋にある「抗日戦争記念館」を訪れ、「忠恕」と揮毫した。この言葉も出典は《論語》であるが、中国人からは場所がら不適切極まりないと相当な反発があったようである。純ちゃんがどういうつもりでこの言葉を選んだのかは知らないが、抗日のシンボルである場所で「思いやりの気持ちで寛容にゆるして」と書いたのだから、それは理解されなかっただろう。純ちゃんは論語についてはあまり造詣が深くないようで、2005年の衆院予算委員会でも、中国が靖国参拝問題で非難していることに対して「罪を憎んで人を憎まずは孔子の言葉です」と答弁し、孔子の国が非難するのはいかがなものかと語ったそうだが、論語にあるのは、「其恕乎。己所不欲,勿施于人」(それ恕か。己の欲せざる所、人に施す勿れ)のほうで、「罪を憎んで…」は「孔叢子」の《刑論》が出典とのこと。
2.「不亦楽乎」…出典は《論語・学而》“有朋自遠方来,不亦楽乎”
朋(とも)有り遠方より来たる、亦(また)楽しからずや。
本来は、「不也是很快楽嗎?」(甚だ楽しいことではないか)の意味であったが、現代漢語では、動作や状態の程度がひどい・激しいの意味で、補語の形で使われることがほとんど。例えば、「忙得不亦楽乎」(忙しくてたまらない;てんてこまい)、「笑得不亦楽乎」(大笑いした)のように使われる。
世界に二つしかない「漢字」を使いこなす国家である中国と日本、もっともっと相互理解が進むことを願わずにはいられないのだが、今回のように漢字(慣用句や諺など)を媒体とした取り組みも楽しみながらできるので「いいね!」。
日中熟語(諺語)について下記9種類に分けて紹介しながら特長と違いを比較
①形、意味とも同様
閉月羞花(へいげつしゅうか)、沈魚落雁(ちんぎょらくがん)、牽強付会(けんきょふかい)、破天荒(はてんこう)、明哲保身(めいてつほしん)、亡羊補牢(ぼうようほろう)等。
②形が近く、意味同様
縁あれば千里 有缘千里来相会
会うは別れの始め 天下没有不散的筵席
空樽は音高し 满瓶不响, 半瓶叮当
郷に入れば郷に従え 入乡随俗
青は藍(あい)より出(い)でて藍よりも青し 青出于蓝而胜于蓝
遠水近火を救わず 远水救不了近火
大雪は豊作の兆し 瑞雪兆丰年
瓜田に履を入れず 瓜田不纳鞋
百聞は一見に如かず 百闻不如一见
水清ければ魚棲まず 水清则无鱼
龍頭蛇尾 虎头蛇尾
三つ子の魂百まで 三岁看大,七岁看老
③形が違い、意味同様
足を洗う 金盆洗手
蛙の子は蛙 龙生龙,凤生凤,老鼠的儿子会打洞
案ずるより生むが易し 船到桥头自然直,车到山前必有路
石の上にも三年 功到自然成
馬の耳に念仏 对牛弹琴
噂をすれば影がさす 说到曹操,曹操就到
帯に短し襷(たすき)に長し 高不成低不就
焼け跡の釘拾い 丢了西瓜拣芝麻
釈迦に説法 班门弄斧
敵は本能寺にあり 醉翁之意不在酒
いい加減 敷衍了事
負ぶうと云えば抱かれると云う 得寸进尺
貧乏暇なし 穷忙穷忙, 跑断肚肠
鳶(とんび)が鷹を産む 鸡窝了飞出凤凰
十八番 看家本领
門柱を見かけて物売る 看人下菜碟
④形が違い、意味近似
我田(がでん)引水(いんすい) 自私自利
後足(あとあし)で砂をかける 过河拆桥
あきないは牛のよだれ 要发财,慢慢来
目明き千人盲(めくら)千人 明白了千千万,糊涂人万万千
言葉に花が咲く 谈笑风生
可愛い子には旅をさせよ 棒打出孝子
お冠(かんむり)だ 生气,不高兴
諦めは心の養生 心宽体胖
うちの米飯より隣の麦飯 家花不如野花香
忠言も度重(たびかさ)なれば犬でも嫌い 好话多说不见情
気の毒は身の毒 爱操心,不长寿
家来(けらい)とならねば家来は使えぬ 不为人用,不会用人
兜(かぶと)を脱ぐ 投降
⑤ロジック推理の違い
火事あとの釘拾い 丢了西瓜拣芝麻
美味しくて頬っぺたが落ちそう 鲜得眉毛也要掉下来了
失敗は成功の元 失败是成功之母
昼行灯(ひるあんどん) 愚蠢,笨蛋
惚れた目にはあばたも笑窪(えくぼ) 情人眼里出西施
棚からぼた餅 天上掉下馅饼来
法螺(ほら)を吹く 吹牛,说大话
自由気ままでは人物はできない 自在不成人,成人不自在
⑥国情の違い
酒屋(さかや)へ三里豆腐屋(とうふや)へ弐里 穷乡僻壤
座敷(ざしき)兵法 纸上谈兵
薩摩(さつま)の飛脚(ひきゃく) 一去不回头
三人(も)寄れば文珠(もんじゅ)の知恵 三个臭皮匠顶个诸葛亮
鰹節(かつおぶし)を猫に預ける 小鸡交给黄鼠狼
烏(からす)が鵜(う)のまね 东施效颦
太鼓(たいこ)を叩く 阿谀奉承
籐四郎(とうしろう) 外行
⑦具体抽象の違い
風上(かざかみ)にも置けぬ 臭不可闻
転(ころ)ばぬ先の杖(つえ) 未雨绸缪
獅子に牡丹 相得益彰
知らぬが仏(ほとけ) 眼不见,心不烦
花より団子(だんご) 眼福不如口服
人の噂も七十五日 流言不过一阵风
本の衣魚(しみ) 书呆子
立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花 站如芍药,坐如牡丹,行如百合
⑧体の借用
目の正月 饱眼福, 开眼界
目に入れても痛くない 捧在手里怕摔了,含在嘴里怕化了
鼻が高い 得意洋洋, 趾高气扬
歯止めをかける 刹车,刹住
両手に花 双喜临门, 左拥右抱
胸に手を当てる 扪心自问
口車(くちぐるま)に乗せる 花言巧语
首を切る 解雇
⑨生活知識の比喩
太鼓判(たいこばん)を押す 保证没错
取らぬ狸(たぬき)の皮算用(ざんよう)如意算盘
住めば都(みやこ) 久居则安
蛞蝓(なめくじ)に塩 垂头丧气
無い袖は振れぬ 巧妇难为无米之炊
三日坊主(みっかぼうず) 三天打鱼,两天晒网
角(つの)が生(は)える 妒忌,吃醋
旅は道連れ、世は情け 出门靠朋友,处世靠人情