映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

お遊さま (溝口健二)

2013年01月18日 02時30分23秒 | 溝口健二
(1951 95min)

『あの時、姉が付いてこなかったら、こんなに苦労することはなかった』妹はこう言うのですが.
姉が妹のために、素敵な男を探したら、自分もその男を好きになってしまった.
描かれた出来事と少し違うかもしれませんが、要はこう言う話なのですね.
つまりは、自分の結婚相手を自分で探せば、こんなことにはならなかった.自分の結婚相手を自分で探せば、古いしきたりに縛られることもない.慎之助は姉と駆け落ちしようかと考えて、伯母に止められましたが、自分で見つけた相手であれば、駆け落ちしたはずである.
慎之助は、遊び人らしいけど、叔母に頼んで何度も見合いをしていたようです.
『おばさんの言うええ人では?』理想の人とは程遠かった.それなら、自分で探したら良いのでは.遊び人なら自分で探せるはずです.
姉の場合もまた、妹の相手を探すことが出来たのなら、自分の相手だって探すことが出来たはず.
けれども、妹の相手を探すのに夢中になったのに、自分の場合は金持ちの相手との見合い話を、会いもしないで受け入れてしまった.
そして、その夫は妻に会いに来もしない.姉も妹と同じように形だけの妻になったという、馬鹿げた話になっているのですね.

武蔵野夫人 (溝口健二)

2013年01月18日 02時24分33秒 | 溝口健二
(1951 88min)

先に、富子の場合を考えると、夫は浮気者なので、彼女の場合は別れて当然である.と言うことで、富子の夫は除外します.
道子
彼女は、家の財産を守るために、嫌々、夫と生活していました.つまり、お金のために夫と一緒に暮らしていたのです.そして、本当は若い勉が好きでした.
富子
彼女は、お金が欲しくて、道子の夫を誘惑しました.家の権利書を持ち出して駆け落ちしようとしたのですが、お金にならないと分かったら、道子の夫を捨てて、若い勉の所へ行きました.
道子も富子も、どちらも同じ、お金のために道子の夫である忠雄を選び、本当に好きなのは若い勉であった.道子も富子もお金に固執した悪い女である.そして、勉は、お金なんかいらない、と叫びました.
もし、道子がお金に固執しなかったなら、相思相愛、勉と一緒になりました.夫は道子との暮らしが嫌であり富子が好きだったので、問題はありません.そして、富子も彼女の夫が浮気者で別れたかったのであり、勉が道子と一緒になったのなら、必然的に道子の夫である、忠雄と一緒になったはずです.
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つまり、全て道子が悪いと言えますが、それはそれとして置いておいて下さい.
問題は、夫の忠雄なのです.彼はスタンダールの翻訳者、つまり大岡昇平自身を描いていると言えます.
彼を皆が、悪いやつ、悪いやつと言いますが、実は描かれた限りでは、何も悪くありません.道子との夫婦生活では、『私が妻の勤めを果さないので私が悪い』と、道子自身が言います.つまり、夫が浮気をしても仕方ないと言っているのです.そして、夫が別れようと言ったら、『別れないで』と頼んだのも妻の道子でした.
家の権利書を持ち逃げしようとしましたが、この場合も、彼が財産税を払っていたので、夫になんの相談もなく抵当に入れようとした道子の方が悪く、夫は自分の権利を守るために行った行為であると言えます.
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まとめれば、悪いのは全て妻の道子であり、夫は何も悪くない.つまり、大岡昇平は自分の浮気を正当化するために書いた作品であると、私には思われます.
悪いのは妻であり自分は何も悪くない.その考え方、作品の描き方に、なんの優しさもみられない、最低の作品である.

山椒大夫 (溝口健二)

2013年01月18日 02時21分02秒 | 溝口健二

『山椒大夫』
公開 1954年3月31日 (124分)

監督  溝口健二
製作  永田雅一
企画  辻久一
原作  森鴎外
脚本  八尋不二
    依田義賢
撮影  宮川一夫
美術  伊藤憙朔
衣裳  吉実シマ
編集  宮田味津三
音楽  早坂文雄
助監督 田中徳三


出演
田中絹代  玉木
香川京子  安寿
花柳喜章  厨子王
進藤英太郎 山椒大夫
河野秋武  太郎
菅井一郎  仁王
見明凡太郎 吉次
浪花千栄子 姥竹
毛利菊江  巫女
清水将夫  平正氏
三津田健  藤原師実
小柴幹治  内蔵介工藤
香川良介  曇猛律師
橘公子   波路
相馬幸子  萱野
小園蓉子  小萩
金剛麗子 汐乃
荒木忍   左太夫
大美輝子  遊女中君
南部彰三  平正末
榎並啓子  小女時代の安寿
加藤雅彦  少年時代の厨子王


これは、人が人としての目覚めを持たない、平安朝末期を背景に生まれた物語である
それから数百年、庶民の間に語り伝えられ、今日もなお 人の世の、嘆きの限りをこめた説話として知られている
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映画は、この字幕ではじまります.

厨子王は山椒大夫を捕らえ丹後の国から追放し、そして自ら職を辞しました.
厨子王の後に悪い守護(権力者)がやってきたら、また元に戻るだけ.
これでは、絶対に良い世の中にはなりません.

この話は、人が人としての目覚めを持たない時代の話であり、つまり、人が人としての目覚めを持たなければ、世の中は良くならないと言っている.
もっと分かりやすく言えば、正しい人が権力を握ったら世の中が良くなるかというと、絶対にそんなことはあり得ない.権力に頼るのではなく国民の一人一人が、良い世の中をつくる努力をしなければ、世の中は良くならない.

権力とは、どの様なものなのか?
厨子王の父親は、自分の正しい道を、農民を救う政策を行おうとしたら、権力を剥奪され追放された.彼は自分の権力が剥奪されるのを承知の上で、農民を救おうとしたのだが.....
山椒大夫は、奴隷を使って金を稼ぎ、その金を朝廷、すなわち、より強い権力を持った者に貢いで(賄賂)、自分の権力の座を守ろうとした.
まとめれば、
権力とは、正しい者が正しいことを行おうとすると、剥奪される.
権力とは、悪人が悪事を行う為に、必要とするものである.
つまり、権力によって良い世の中にすることは、絶対に出来ない.

権力が親から子へと受け継がれる世襲制度が無くなることが、身分の差が無く皆が等しく平等の世の中になること、すなわち、人々を(奴隷)支配する権力が無くなる世の中への第一歩.
厨子王の権力は、関白という権力者から与えられたものであり、かつ、親から受け継いだものであった.
『私が職を辞することは、私と同じ苦労をしてきた人々の願いである』、厨子王はこう言い残して去っていった.


太平洋戦争において、戦死するときに『天皇陛下万歳』を叫んだかどうかは別として、日本兵は事ある毎に『天皇陛下万歳』と叫んでいたのは間違いないことです.
太平洋戦争で鉄砲の弾に当たって戦死した人は、ほんのわずか.餓死、および栄養失調を起因とする病死が半数以上.それから輸送船の沈没.
特攻隊というと、飛行機による特攻を思い浮かべるでしょうが、それだけではない.
ソ連が参戦して国境を越えてきたとき、850人の兵士が10Kgの爆薬を背負って敵戦車めがけて突撃を命じられ、実際に750名が突撃しました.
偵察を命じられ丘の上から見ていた人の話では、人間の体がバラバラに吹き飛ぶが、戦車はびくともせず進撃していった.

日本は東洋長久平和の為に戦争を行いました.つまり、天皇=権力者が言うことを正しいと信じ、良い世の中にするために戦争を行った、その現実は映画に描かれた奴隷たちよりも、もっと悲惨であった.

楊貴妃 (溝口健二)

2013年01月18日 02時18分30秒 | 溝口健二
(1955 98min)

普通の庶民になって、祭り見物に出かけたときが一番幸せだった.
皇帝は自分の作った法律に縛られて、思うことが出来なくなってしまった.自分の権力に、自分自身が縛られてしまったのです.
そして、
権力を求める人間が、彼らを不幸にした.
権威を守ろうとして、楊貴妃は殺された.

今一度、
皇帝と楊貴妃は、権威、権力と無縁な、普通の庶民になって、祭り見物に出かけたときが一番幸せだった.

新平家物語 (溝口健二)

2013年01月18日 01時42分41秒 | 溝口健二
(1955 108min)



夫を愛そうとしない妻、実の子を大切にしようとしない母親、この女は自分にとって大切だったのは、貴族の家柄、裕福な生活だけだった.
それに対して、実の子ではなくとも子供を大切にし、子供を守ろうと自害した父親.
清盛にとって、子供を大切にしない母親は不要の人間であり、どこの誰かも分らない父親、自分に何らかかわりを持たない父親も、やはり不要の存在であった.
権威、権力にしがみつく人間に取って、血のつながりが頼りなのでしょうが、一人の人間として自覚を持って生きて行くとき、血のつながりはどうでも良いことなのです.