I Got It! 思いつきの備忘録

アイデアや頭の中にあるストックの備忘録ブログ:
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密貿易屋敷

2014年04月28日 | log
(wikiより)

坊津

大陸との貿易で栄えた坊津の今 近衛信輔による坊津八景網代夕照の双剣石が見える。
坊津(ぼうのつ)は、薩摩国川辺郡坊津(現在の鹿児島県南さつま市坊津町坊)の地名であり、日本の古代に栄えた港名。



目次 [非表示]
1 概要
2 歴史
3 名所・旧跡
4 関連項目
5 脚注
6 外部リンク


概要[編集]

古代から薩摩藩政の中盤頃(享保年間)の長期に渡って、海上交通上の要地であった。遣唐使船の寄港地としての他、倭寇や遣明船、薩摩藩の密貿易の拠点として栄えた。

中国明代の文書『武備志』では主要港として、安濃津・博多津と共に日本三津(さんしん)に挙げられている。

歴史[編集]

日本での仏教黎明期の538年に百済に仕えていた日本人の日羅が、龍厳寺(後の一乗院)を建てる。その後も坊舎や坊主といった仏教と密接な地であったため、「坊津」と呼ばれるようになったと考えられている。

飛鳥時代から、遣唐使船の寄港地となり、「唐(から)の港」、「入唐道(にっとうどう)」とも呼ばれるようになった。

奈良時代、天平勝宝5年(753年)12月20日に鑑真が渡日6回目にして、近縁の秋妻屋浦(現在の秋目地区)に上陸している。

平安時代末期には近衛家の荘園となる。

室町時代、倭寇や遣明船の寄港地となり、大陸をはじめ、琉球や南方諸国とも貿易が活発化した。この頃、先の一乗院も大いに栄えるようになる。また、島津氏の中国(明)・琉球貿易の根拠地ともなっていた。文禄3年(1594年)には、後陽成天皇の勘気に触れた公家近衛信輔が配流され、同地で3年程過ごしている。

この頃伝来したキリスト教とも縁がある。1549年にフランシスコ・ザビエルが日本でまず最初に上陸したのはこの地である。また、江戸幕府のキリシタン追放令で国を出て、ローマで司祭となって戻ってきたペトロ・カスイ・岐部が寛永7年(1630年)に上陸したのも同地である。

江戸時代になると主要貿易港としての地位は長崎へ移り衰退するが、薩摩藩歴代藩主や調所広郷などに重用され密貿易の地として、鹿児島城下の直轄地としてその地位は保っていた。しかし、密貿易は享保年間に突如徹底的に取り締められ、貿易港としての機能にピリオドが打たれた(享保の唐物崩れ)。この事件の背景には江戸幕府の命令があったとも、御用商人に密貿易を独占させようとした薩摩藩の政策転換があったとも言われる[1]。その後はカツオ漁業・カツオブシ産業の地として栄える。また、幕末から明治にかけて行われた廃仏毀釈運動により一乗院は廃寺とされ、さらに昭和に隣の枕崎市に近代的な築港が完成すると、より一層衰退することとなった。

一方景勝地として知られるようになる。近衛信輔は文禄3年(1594年)に配流されるが、「坊津八景」を和歌に詠んでいる。また歌川広重は『六十余州名所図会』のうち「薩摩、坊ノ浦、双剣石」に描いている[2]。

名所・旧跡[編集]
鑑真記念館
坊津歴史資料センター輝津館
一乗院跡(現在は旧坊泊小学校で門前に仁王像のみ残る。)
近衛屋敷跡・近衛公園(近衞文麿に依る碑も建立。お手植えの藤は季節に花を咲かせる。)
寺田旅館(現存する密貿易商人の屋敷)
鳥浜屋敷(現存する密貿易の豪商の屋敷)
寺田旅館から鳥浜屋敷の周辺は、古い石畳が残っている。
また、南西端に位置する坊ノ岬には、坊ノ岬灯台がある。坊ノ岬の沖合いは、1945年4月7日、第二艦隊旗艦として沖縄水上特攻作戦に赴いた戦艦大和が米軍高速空母機動部隊の艦上機群の空襲により撃沈された坊の岬沖海戦の戦場となった海域(大和が撃沈された海域は、この岬の400km沖合いの東シナ海)であることから、坊ノ岬に近い場所には、戦艦大和のレリーフが刻まれた慰霊碑も建っている。

関連項目[編集]
旧坊津町 - かつて川辺郡に属していた町。2005年に合併して南さつま市の一部となっている。
日本国指定名勝の一覧

脚注[編集]

1.^ 枕崎水産加工協同組合公式ブログ
2.^ 国指定文化財等データベース。

外部リンク[編集]
坊津 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
坊津歴史資料センター輝津館(南さつま市)

岩殿寺, Iwadono temple

2014年04月06日 | log
坂東三十三札所、第二番、岩殿寺。日曜の午後、ぶらり逗子の札所まで行ってきました。三浦の崖に囲まれた地形の中にある雨に濡れた緑と椿が美しいお寺でした。

I went to one of the Kanto thirty-three temples in Zushi-city, Kanagawa, called Iwadono-dera. I enjoyed beautiful contrast of green leaves and red camellias even in a rain.






War ate itomo

2014年04月01日 | log
http://www.japantoday.com/category/entertainment/view/tamoris-waratte-iitomo-variety-program-ends-after-nearly-32-years?utm_campaign=jt_newsletter&utm_medium=email&utm_source=jt_newsletter_2014-03-31_PM



Tamori's 'Waratte Iitomo' variety program ends after nearly 32 years
ENTERTAINMENT MAR. 31, 2014 - 03:00PM JST ( 18 )

"Waratte Iitomo" host Tamori
File photo
TOKYO ―
Television comedian Tamori’s midday variety program “Waratte Iitomo” (It’s Okay to Laugh) on Fuji TV came to an end Monday after 31 1/2 years on the air.

The popular program started in October 1982. The 68-year-old Tamori, whose real name Kazuyoshi Morita, is known for his trademark sunglasses (very few people have ever seen him without sunglasses).

On the final show, comedian and movie director Takeshi Kitano appeared to award Tamori a testimonial. When asked by Takeshi what he was going to do from now on, Tamori said, “I don’t know. That’s what I’m worried about now.”

Tamori was “discovered” by Yosuke Yamashita, a jazz pianist in his hometown of Fukuoka and gained popularity through his manic imitation of foreign languages. He was then invited to Tokyo and started to appear on some TV and radio programs.

“Waratte Iitomo” was his first daytime program which he made a hit through his ad-libbing in front of live audiences.

Asked the secret of lasting so long, Tamori said, “Don’t be too enthusiastic and don’t regret anything.”

Japan Today

小野田さんの言葉

2014年01月18日 | log
小野田さんの言葉: 時代によって言っていることは様々。それに振り回されないように生きたほうがいい。


私見:
現在から見ると、戦時中に国のためと言って自ら死を選んだ時代はずいぶんおかいと感じる。
同様に100年、200年後に現在の日本を振り返ると、「よく経済だけのために朝から真夜中まで会社で人のために働いて、そしてものを考えることを止めれたな」
と現在もずいぶんおかしな時代と感じる。

巡礼 - Pilgrim

2014年01月13日 | log
昨年より始めた札所巡礼。

今日は坂東三十三観音の27番札所、銚子の飯沼山園福寺に行って来ました。

その後は犬吠埼への海岸線をジョギングし、温泉から灯台と太平洋を眺めてのんびり。


I started pilgrim last year.
Today, I visited the 27th temple of the east Japan thirty-three temples at Chosi, Chiba.
After the visit, I had a jog along the coastline a few hours and finished up with taking a bath at a hot spring as always.

半沢直樹を見て憂う

2013年12月30日 | log
今年最後に一言

今年、半沢直樹というドラマがヒットした様で、
その中の「倍返し」という言葉がすごく流行っています。

これを聞くと憂いを感じます。

ドラマは金融業界の設定で、
殺伐とした関係性の中でやられたことをやり返すだけでなく、
倍にして返してやれ!
と言う展開。

これを現実の職場で間に受けて実践してる人間が存在する様子…

倍返しという考えは全くナンセンス。
これは、仏教の「二本目の矢は受けない」という基本概念に完全に反します。
二本目の矢を受けないというのは簡単に言うと、
憎しみを報復で持って返さない、ということ。
そうでないと憎しみは増幅して止まりませんから(子供でもわかる)。

倍返しをフィクションの世界でエンターテイメントとして楽しんでいる程度なら良いですが、
現実社会で無知に実践しちゃう現象が起きてるのが事実です。

備忘録: あなたの仕事に革命を起こす!「しないことリスト」 [Kindle版]

2013年11月04日 | log
タイトルの電子書籍がAmazonで売られていました。

何気なくそのページを下に見ていくと、
内容紹介は次のように書かれていました。

以下を読んだだけで十分、本の内容は分かってしまいますね。



内容紹介
【内容紹介】
世の中「忙しくて時間がない!」という人ばかり。

少ない時間に「すること」をたくさん詰め込み過ぎて
時間に追いかけられ、結局非効率になっていませんか?

もう仕事を詰め込む生活はやめにしましょう!

本当に頭のいい人、仕事のできる人は、
「なにをするか」よりも「なにをしないか」
を明確にしているのです。

本書では、
〇完璧主義にならない
〇仕事は家に持ち帰らない
〇できない約束はしない
〇嫌いな人には近づかない
〇がんばらない

……などなど、ビジネスで陥りがちな悪循環から抜け出し、
仕事の能率や成果を飛躍的に向上させる「25のしないことリスト」を公開。

仕事に革命を起こす「NotToDoリスト」を実行できるかできないかで、
あなたと同僚の能力差が決まる!

【目次】
はじめに

第一章 あなたの仕事に革命を起こす「しないことリスト」
●「しないことリスト1」完璧主義にならない
●「しないことリスト2」嫌いな仕事はしない
●「しないことリスト3」仕事は家に持ち帰らない
●「しないことリスト4」プライドを持たない
●「しないことリスト5」夢に固執しない

第二章 時間に追いかけられる仕事はもうやめよう!
●「しないことリスト6」時間に追いかけられない
●「しないことリスト7」返信メールは待たせない
●「しないことリスト8」名刺入れを膨らませない
●「しないことリスト9」つきあいのいいヤツにならない
●「しないことリスト10」できない約束はしない

第三章 他人に振り回される生活はもうやめよう!
●「しないことリスト11」嫌いな人には近づかない
●「しないことリスト12」愚痴をこぼさない
●「しないことリスト13」飲み会に参加しない
●「しないことリスト14」簡単に引き受けない
●「しないことリスト15」他人の夢の奴隷にならない

第四章 「しないことリスト」は「ToDoリスト」の10倍すごい!
●「しないことリスト16」「ToDoリスト」ではすごい仕事はできない
●「しないことリスト17」「ToDoリスト」に振り回されない
●「しないことリスト18」ここを外さない!「しないことリスト」のルール化
●「しないことリスト19」進め方を間違えない!「しないことリスト」のポイント
●「しないことリスト20」固定しない!「しないことリスト」を進化させる

第五章 「しないことリスト」はあなたの人生をこんなに豊かにする!
●「しないことリスト21」劣等感を持たない
●「しないことリスト22」無理しない
●「しないことリスト23」がんばらない
●「しないことリスト24」競争しない
●「しないことリスト25」けっして迷わない