一橋大学の学園祭で
社会学者として様々な活動をしている
宮台真司氏の講演会があるということで
行ってきました。
宮台氏は最近の私のお気に入りで、
著書ををいくつか読み、
ひさびさに「この人はすごい」と思っている人です。
氏は社会学を中心に、政治・経済の分野で活躍されています。
好き嫌いは分かれるかもしれませんが
独特でラジカルな切り口が刺激的です。
その氏の話を生で聞ける良い機会でありました。
多くの情報量が詰まった1時間半でしたが、
話の中心はこれからを生きる若者へのメッセージで
現在の日本が持つ問題の原因についてでした。
印象的な話をひとつ
「金の切れ目が縁の切れ目」
経済と社会(=相互扶助)の関係。
現在、日本では相互扶助は機能していない。
それを市場原理で補おうとしている。
(高度)経済成長時は市場原理で経済がまわっており、
相互扶助の部分を経済が補い、社会が回っていた。
しかし、現在、低成長時代となり経済が回っていない。
そのため、相互扶助の考えが欠落した日本では
社会は回らなくなる。
金の切れ目が縁の切れ目、というわけである。
具体例の一つは自殺者数の増加である。
しかし、多くの日本人は
社会が回っていないから経済が回らないのだと思っている。
それは、そのような教育を受け、
また人間関係が希薄になった現代では
その間違いをだれも指摘してくれないためである。
本来ならば社会、さらに言うならば相互扶助の世の中のために
経済、市場原理は存在する。
しかし、経済のために社会がある、
と多くの民衆は思ってしまっている。
なんのための経済かということがまったくわかっていないのである。
民度が日本は低いのである。
市場原理の発祥はアングロサクソンの国である。
アングロサクソンは市場原理をうまく使っている。
市場原理、経済は社会を補うものと言う認識がある。
そこにはカトリックの教えが大きく影響している。
カトリックは自分が幸せになりたいという教えであり、
それは不安から生じている不安の宗教である。
その不安を拭うため、隣人愛、ドネーションといった扶助の行動が導かれている。
無宗教の日本ではカトリックのような考えが根底にないため、
経済が回らなくなると、金の切れ目が縁の切れ目となってしまい、
そして社会が回らなくなる。
社会学者として様々な活動をしている
宮台真司氏の講演会があるということで
行ってきました。
宮台氏は最近の私のお気に入りで、
著書ををいくつか読み、
ひさびさに「この人はすごい」と思っている人です。
氏は社会学を中心に、政治・経済の分野で活躍されています。
好き嫌いは分かれるかもしれませんが
独特でラジカルな切り口が刺激的です。
その氏の話を生で聞ける良い機会でありました。
多くの情報量が詰まった1時間半でしたが、
話の中心はこれからを生きる若者へのメッセージで
現在の日本が持つ問題の原因についてでした。
印象的な話をひとつ
「金の切れ目が縁の切れ目」
経済と社会(=相互扶助)の関係。
現在、日本では相互扶助は機能していない。
それを市場原理で補おうとしている。
(高度)経済成長時は市場原理で経済がまわっており、
相互扶助の部分を経済が補い、社会が回っていた。
しかし、現在、低成長時代となり経済が回っていない。
そのため、相互扶助の考えが欠落した日本では
社会は回らなくなる。
金の切れ目が縁の切れ目、というわけである。
具体例の一つは自殺者数の増加である。
しかし、多くの日本人は
社会が回っていないから経済が回らないのだと思っている。
それは、そのような教育を受け、
また人間関係が希薄になった現代では
その間違いをだれも指摘してくれないためである。
本来ならば社会、さらに言うならば相互扶助の世の中のために
経済、市場原理は存在する。
しかし、経済のために社会がある、
と多くの民衆は思ってしまっている。
なんのための経済かということがまったくわかっていないのである。
民度が日本は低いのである。
市場原理の発祥はアングロサクソンの国である。
アングロサクソンは市場原理をうまく使っている。
市場原理、経済は社会を補うものと言う認識がある。
そこにはカトリックの教えが大きく影響している。
カトリックは自分が幸せになりたいという教えであり、
それは不安から生じている不安の宗教である。
その不安を拭うため、隣人愛、ドネーションといった扶助の行動が導かれている。
無宗教の日本ではカトリックのような考えが根底にないため、
経済が回らなくなると、金の切れ目が縁の切れ目となってしまい、
そして社会が回らなくなる。
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