<日時>2009年 3月14・15日
<場所> 黒百合平~稲子南壁
<メンバー> 岩ひばり嬢、M代さん、U山
当初はテント泊で八ヶ岳東面を計画していましたが、14日の天気がいまいちなので比較的短時間で登れる稲子南壁に行くことにしました。
稲子南壁は10年以上前の冬にW尾さんらと一度登ったことがあるだけでしたが、そのときは特に苦労することも無く日帰りで余裕を持って帰って来ましたので、一泊二日の今回も昼過ぎにはテントに帰ってこれるだろうぐらいの軽い気持ちで出かけました。
14日 正午に茅野市役所集合、渋の湯へ。
標高が上がるに従い雨は雪に変わり、渋の湯からは本格的な降雪の中の出発となりましたが、黒百合平に着く頃には天気予報通りに雪はほぼ止みました。しかしそこは標高2400mの山の上、風強くおまけに冷え込みも加わってきたのでそそくさとテントを設営。酒宴を経て9時過ぎに就寝。
<強風の黒百合平>
15日 天気は上々、7時出発。
中山峠からしばらく下ったところで過去の記憶を頼りに南壁に向けて樹林帯のトラバースを開始。モナカ雪の踏み抜き繰り返し、けっこうしんどい思いをしながら8時半に基部到着。
<樹林帯にて>
一休み後、左カンテの取り付きを探すも、どうも過去の記憶と壁の様子が一致しません。が、いたずらに時間を無駄にしてもいけないので、とりあえず残置ハーケンのある凹角に取り付いてみましたが、明らかに記憶の中のルートとは違うので5mほど登ったところでクライムダウン。その後三人で手分けをして、壁の基部を右に左に探索範囲を広げてみるものの一向にそれらしきルートは見つからず、10時を過ぎた時点で敗退を決定しました。
帰りは壁の左端から続く赤テープを追って比較的スムーズに登山道に合流。昨日の雪はアイスバーン状の旧雪となじみが悪かったようで、途中で横断する沢にも、中山峠直下の急な登山道斜面にもデブリが出ていました。
<沢のデブリ>
狐につままれたような気分を抱えたまま帰宅後、ふと学生時代にサークルのOBからもらった独標登高会の「八ヶ岳研究」に稲子南壁の解説が出ていたことを思い出し本を開いてみると、立派な南壁の概念図があるじゃありませんか(下図参照)。
この図と当日の状況を照らし合わせてみると、どうやら我々は、左フェース基部の一番左端の辺りで、もっと奥にある左カンテを探してうろうろしていたようです・・・。
冷静に考えてみれば、10年前のパートナーのW尾さんは何回も左カンテを登っていたはずで、そのときの私は取り付まで何も考えずにW尾さんの後を付いて行っただけだったのかもしれません。
ということで、岩ひばり嬢、M代さんの期待を裏切って申し訳ないことをしてしまいましたが、そのうちまた機会を作って再訪してみたいと思っています。
<場所> 黒百合平~稲子南壁
<メンバー> 岩ひばり嬢、M代さん、U山
当初はテント泊で八ヶ岳東面を計画していましたが、14日の天気がいまいちなので比較的短時間で登れる稲子南壁に行くことにしました。
稲子南壁は10年以上前の冬にW尾さんらと一度登ったことがあるだけでしたが、そのときは特に苦労することも無く日帰りで余裕を持って帰って来ましたので、一泊二日の今回も昼過ぎにはテントに帰ってこれるだろうぐらいの軽い気持ちで出かけました。
14日 正午に茅野市役所集合、渋の湯へ。
標高が上がるに従い雨は雪に変わり、渋の湯からは本格的な降雪の中の出発となりましたが、黒百合平に着く頃には天気予報通りに雪はほぼ止みました。しかしそこは標高2400mの山の上、風強くおまけに冷え込みも加わってきたのでそそくさとテントを設営。酒宴を経て9時過ぎに就寝。
<強風の黒百合平>
15日 天気は上々、7時出発。
中山峠からしばらく下ったところで過去の記憶を頼りに南壁に向けて樹林帯のトラバースを開始。モナカ雪の踏み抜き繰り返し、けっこうしんどい思いをしながら8時半に基部到着。
<樹林帯にて>
一休み後、左カンテの取り付きを探すも、どうも過去の記憶と壁の様子が一致しません。が、いたずらに時間を無駄にしてもいけないので、とりあえず残置ハーケンのある凹角に取り付いてみましたが、明らかに記憶の中のルートとは違うので5mほど登ったところでクライムダウン。その後三人で手分けをして、壁の基部を右に左に探索範囲を広げてみるものの一向にそれらしきルートは見つからず、10時を過ぎた時点で敗退を決定しました。
帰りは壁の左端から続く赤テープを追って比較的スムーズに登山道に合流。昨日の雪はアイスバーン状の旧雪となじみが悪かったようで、途中で横断する沢にも、中山峠直下の急な登山道斜面にもデブリが出ていました。
<沢のデブリ>
狐につままれたような気分を抱えたまま帰宅後、ふと学生時代にサークルのOBからもらった独標登高会の「八ヶ岳研究」に稲子南壁の解説が出ていたことを思い出し本を開いてみると、立派な南壁の概念図があるじゃありませんか(下図参照)。
この図と当日の状況を照らし合わせてみると、どうやら我々は、左フェース基部の一番左端の辺りで、もっと奥にある左カンテを探してうろうろしていたようです・・・。
冷静に考えてみれば、10年前のパートナーのW尾さんは何回も左カンテを登っていたはずで、そのときの私は取り付まで何も考えずにW尾さんの後を付いて行っただけだったのかもしれません。
ということで、岩ひばり嬢、M代さんの期待を裏切って申し訳ないことをしてしまいましたが、そのうちまた機会を作って再訪してみたいと思っています。
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