にゃんこと黒ラブ

猫達と黒ラブラドール、チワックスとの生活、ラーメン探索、日常について語ります

90年代を駆け抜けたNBA旋風『我が心のMJ』

2021-02-10 19:45:00 | 日常

 学生時代、小学校から大学までバスケットボールに取り組んだ。生まれつき少しばかり背が高かったこと、足が速かったこと、体力があったことなどバスケという競技に向いていたみたいだ。

 昔は高校時代までなら野球、バスケ、サッカーは競技人口が多い男子の3大スポーツだった。大学でも競技としてこれらのスポーツに取り組む学生も今より割合が多かったと思う。

 長い学生生活を経て一応勤め始めた1988-89シーズンからNBAの衛星放送を見られるようになった。パラボナアンテナと受信チューナーを購入して、そのアンテナ📡の方向と角度を調整しながら、砂嵐の画面に受信できたときの感動は今でもよく覚えている。

 今やスマホでデジタル信号を簡単に受信して見られるから、40代前半の人にはこの手の苦労と感激はわからないだろうと思う。










 我が心のバスケヒーローは昔も今もMJこと『マイケルジョーダン』。これほどしなやかでリズム良く空中に長く居られる美しい選手をMJ以外見たことがない。

 80年代後半から大活躍する90年代は、NBA史上で最もハードコンタクト(身体接触が許された)時代だ。88年、89年と東地区でデトロイトピストンズの「バッドボーイズ」にMJのシカゴブルズはさんざん痛めつけられてファイナル(決勝)へ進めなかった。

 MJは個人のスーパープレイからチームとしてのスーパープレイに変貌して90年からの3連覇を果たした。その直後、お父さんが不慮の事故(銃による殺害)から野球へ転向。再びNBAへカムバックしてのまたもや3連覇と、MJの波瀾万丈バスケキャリアは全世界のバスケファンを巻き込んだ嵐のような風となって熱狂的に吹き荒れた。










 私もバスケ経験者としてもれなくMJ教に没入したひとりだった。この10年もよくNBAは観ているので、この頃のNBA選手もよく知っている。アメリカ人以外にもヨーロッパから凄い選手が活躍する時代になった。

 日本からも八村塁や渡邊雄太がまだまだこれから成長してであるが、驚くようなプレイを時折見せてくれている。一昔前の日本人では考えられないレベルまで到達しつつある。

 NBAの中継は、生中継でなくても観たいときに見られる便利な時代になった。また、ワンゲーム120分を総集編で10分から15分くらいのハイライト映像も見られる。

 便利であることは良いことだけれど、昔のVHSビデオテープに録画して擦り切れるほど何度も見るような没頭や興奮はない。手軽に見れて手軽に見なくても済む。

 NBAだけでなく膨大なスポーツ映像が手軽に見られる時代に、90年代のようなコアなファンはいないかも知れない。どちらがよいとかじゃなくて90年代をとても懐かしく回想する思い出である。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿