青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
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「宗教書」。

2013年06月01日 23時04分14秒 | 青裸々日記。
バラの花(東京都渋谷区)

 こんにちは。
 いつもありがとうございます。



 自分の考え方に幅を持たせるために、色々な本を読むのはいいことです。
 そして、自分を磨く過程で宗教書を読む人がいますが、
 これ、使い方や読み方次第で、毒にも薬にもなるんです。


 よく、「世界の名言集」みたいな本を見ると、たとえば聖書や仏典など、宗教書から引用された言葉を目にはしませんか。
 なぜこういう思想色が強いものから引用があるかといえば、考えや心について究めるという点では、科学も心理学も、宗教も同じだからです。
 そして、究めた果ての境地に達した人が言うことなのですから、あながち間違いではないことだって、いくつかあってもおかしくない、
 こう考えるのが自然ですよね。

 そしてまた、色々な角度から物事を考えるから、本質がつかみやすくなる、
 だから、たまに宗教書を読むと、知識や見聞を広められ、頭も明晰になってくるわけです。



 ただし、です。
 宗教書だって、結局は人間の書いたものです。
 人間だから、偏りもあれば誇張もあるし、下手したら間違えまであるのが普通ですよね。
 そこを、ある特定の価値観が強い人が書いたものが宗教書なのですから、
 偏りが強い部分、強弁してしまっている部分があって当たり前です。


 宗教書に限りません。
 いわゆる「専門家」と言われる
レベルの人達でも、意見が分かれたり、派閥があったりで、
 結局は、どの意見がしっくり来るかは、自分次第の面もあることが多いのです。


 どんなことでも、一介の真実も、根拠に乏しい説も含まれている・・・という目で見ること、
 これこそが、本質を見抜くコツです

 そもそも、信じるか信じないかは理屈ではなく個人の感覚なのですから、
 宗教でも学問でも、嫌なものなら見なければいいだけのこと、
 楽しく気持ちよく、ためになることを吸収していけばよいのです



 宗教だろうとなんだろうと、本質が見抜ける人であれば、納得できるかできないかの感覚は分かるもの。
 たとえ非論理的でも、世の中、理屈だけで動いているのではありません。
 自分の感覚を信じて、色々なものに触れてみませんか。

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