ブルーデイジー(東京都台東区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
愚痴や泣き言、弱音や文句。
言ったところでなんにも解決はしませんし、
誰の気分をよくするものでもありません。
しかし、それは理屈の上での話、
誰だって未熟な部分はあるし、気をつけていても、たまに人前でこういったことを吐いてしまうことはあるものです。
だからそれをとがめようとか、傷の舐め合いは絶対にやめろだとか、
そんな大層な話をしようというのではありません。
ただ、優しい人なんかだと「誰でも嫌なことはあるし、たまに口に出す分にはいいんじゃない?」という気持ちをもっているものですが、
そんな優しい人に「愚痴の多い人と少ない人、どっちと長くいたい?」と聞いたら、間違いなく後者を選ぶでしょう(笑)
なにごとも加減が大切と言われますが、
それは泣き言や愚痴も同じなのです。
素直にものを言える相手がいるというのは素晴らしいこと。
しかし、最初はいいかもしれないけど、年がら年中「嫌なこと」ばかり聞かされていたら、
余程のカウンセラーでない限り、こちらまで参ってしまいます。
やっぱり、あまり偏っている人の相手をするのは、疲れてしまうものなのです。
こういうわけで。
もしうっかり「毒」を吐いてしまった時、
あるいは「傷の舐め合い」みたいなことをしてしまった時は、
やっぱりフォローが必要なのです。
どうやったらまたその場をよい空気にして、元気を出していけるか、
これを考えておくと、つい悪いことを言ってしまっても、
相手の気力を下げなくて済むのです。
「傷を舐め合う」というのは、愚痴や悪口を言い合うということです。
ところで、肌にできた傷を実際になめたままにしたら、
どう考えても不衛生ですよね!?
実は、この「言葉を通じて傷を舐める」というのも同じで、
嫌なことを吐き出した瞬間はスッキリするかもわかりませんが、
吐き出したっきりにしておくと「相手に無駄話に付き合わせちゃったかな、愚痴ばっかりで嫌われてないかな…?」などと、
気を揉むことにもなってしまいかねません。
逆に、「嫌なことを吐き出してもらった側」だとして、
話をしてもらっても相手が元気になった気がしなかったら、
やはり気に病んでしまうこともあると思うんです。
そこで、私は「とりあえず抽象的なものでもいいから、なんらかの締めをする」ことを、お勧めしてみたいのです。
嫌なことがたくさんあれば、立ち直るためのヒントとか解決の足掛かりだって、
いくらかは隠れているものです。
そこで、「よし、これで〇〇がわかった」と、
なんの解決策が浮かばなくても、とりあえず結論らしきものを出しておくのです。
嫌なことを言い合ったままウヤムヤにするより、
「言い合ったなりのもの」があれば、それだけで嫌なことを引きずる度合いも減るのです。
どんなに本音を吐いてもいい。
ただし、どんなものも後始末が肝心なのです。
後始末をするという前提があるなら、言いたいことは言ってよいのです。
そこを間違えるから、「傷の舐め合い=全て悪」という発想が出てしまうのです。
まあ、しないに越したことはないんですけどね(笑)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
愚痴や泣き言、弱音や文句。
言ったところでなんにも解決はしませんし、
誰の気分をよくするものでもありません。
しかし、それは理屈の上での話、
誰だって未熟な部分はあるし、気をつけていても、たまに人前でこういったことを吐いてしまうことはあるものです。
だからそれをとがめようとか、傷の舐め合いは絶対にやめろだとか、
そんな大層な話をしようというのではありません。
ただ、優しい人なんかだと「誰でも嫌なことはあるし、たまに口に出す分にはいいんじゃない?」という気持ちをもっているものですが、
そんな優しい人に「愚痴の多い人と少ない人、どっちと長くいたい?」と聞いたら、間違いなく後者を選ぶでしょう(笑)
なにごとも加減が大切と言われますが、
それは泣き言や愚痴も同じなのです。
素直にものを言える相手がいるというのは素晴らしいこと。
しかし、最初はいいかもしれないけど、年がら年中「嫌なこと」ばかり聞かされていたら、
余程のカウンセラーでない限り、こちらまで参ってしまいます。
やっぱり、あまり偏っている人の相手をするのは、疲れてしまうものなのです。
こういうわけで。
もしうっかり「毒」を吐いてしまった時、
あるいは「傷の舐め合い」みたいなことをしてしまった時は、
やっぱりフォローが必要なのです。
どうやったらまたその場をよい空気にして、元気を出していけるか、
これを考えておくと、つい悪いことを言ってしまっても、
相手の気力を下げなくて済むのです。
「傷を舐め合う」というのは、愚痴や悪口を言い合うということです。
ところで、肌にできた傷を実際になめたままにしたら、
どう考えても不衛生ですよね!?
実は、この「言葉を通じて傷を舐める」というのも同じで、
嫌なことを吐き出した瞬間はスッキリするかもわかりませんが、
吐き出したっきりにしておくと「相手に無駄話に付き合わせちゃったかな、愚痴ばっかりで嫌われてないかな…?」などと、
気を揉むことにもなってしまいかねません。
逆に、「嫌なことを吐き出してもらった側」だとして、
話をしてもらっても相手が元気になった気がしなかったら、
やはり気に病んでしまうこともあると思うんです。
そこで、私は「とりあえず抽象的なものでもいいから、なんらかの締めをする」ことを、お勧めしてみたいのです。
嫌なことがたくさんあれば、立ち直るためのヒントとか解決の足掛かりだって、
いくらかは隠れているものです。
そこで、「よし、これで〇〇がわかった」と、
なんの解決策が浮かばなくても、とりあえず結論らしきものを出しておくのです。
嫌なことを言い合ったままウヤムヤにするより、
「言い合ったなりのもの」があれば、それだけで嫌なことを引きずる度合いも減るのです。
どんなに本音を吐いてもいい。
ただし、どんなものも後始末が肝心なのです。
後始末をするという前提があるなら、言いたいことは言ってよいのです。
そこを間違えるから、「傷の舐め合い=全て悪」という発想が出てしまうのです。
まあ、しないに越したことはないんですけどね(笑)