目黒天空庭園から(東京都目黒区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
人をモノ扱いする人を見ると、心が痛むものです。
まして、自分がモノ扱いされては、耐えられない気持ちにもなるのが普通です。
だから、「人をモノ扱いするのはよくありません」というのは、どこにも間違いはありません。
しかし、「モノ扱いする人」が、どんどん人をモノ扱いしていくと、果てにはどうなるか。
幸せになることは、まずないのです。
モノ扱いというのは、つまりは「自分のために利用すること、言い換えれば利己的な考えの下に人と接することをいとわない」ということですよね。
ということは、「自分の目的さえ達成されれば、後はどうなっても構わない」ということにも繋がります。
そして、です。
「後はどうなっても構わない」のであれば、大切にしようという気持ちも、必然的になくなります。
この「大切にしようという気持ちがなくなる」ということ、どれほど重いことか、ちょっと考えてみましょう。
人間相手に「大切にしない」という場合は、簡単ですよね。
もし皆さんが邪険に扱われるようなことがあったら、そんな人とは関わりたくなくなるのが自然でしょう。
これ、モノであればどうなるか。
「心がないなら大切にしなくたっていいじゃない」と言いたい人は、それでも構いません。
しかし、大切にしないと、その物本来の特長や性質を引き出すことは出来ません。
たとえば、同じ100円のお皿でも、洗わないままであれば一回しか使えませんが、
きちんと洗えば、何回も使えますよね。
そしてこれ、すべての物に言えなくはないですか。
そう、つまり、モノすら大切にできないなら、そのモノからの恩恵すらも受けられないのです。
今時、機械化が進む中で、「モノには作った人の心が」などと話すのは、どこか時代錯誤だと受け取る向きもあるかもしれません。
しかし、心がどうのと考えなくても、モノすら大切にできないということは、回り回って自分にも不利益が忍び寄るのです。
まして、人をや、というわけです。
だから、人をモノ扱いする人は、結局は幸せになれない可哀想な人なんだと理解してください。
そして、幸せになるために必要なのは、利己的な発想で動くことではなく、普通に良心に従うこと、
これこそが、本当のところなのですね。
ここに気付くまで、利己的な人は、自分も他人も消耗させていくのです。
そして、綺麗事でもなんでもなく、良心に従う人が増えるほど、世の中は幸せになるのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
人をモノ扱いする人を見ると、心が痛むものです。
まして、自分がモノ扱いされては、耐えられない気持ちにもなるのが普通です。
だから、「人をモノ扱いするのはよくありません」というのは、どこにも間違いはありません。
しかし、「モノ扱いする人」が、どんどん人をモノ扱いしていくと、果てにはどうなるか。
幸せになることは、まずないのです。
モノ扱いというのは、つまりは「自分のために利用すること、言い換えれば利己的な考えの下に人と接することをいとわない」ということですよね。
ということは、「自分の目的さえ達成されれば、後はどうなっても構わない」ということにも繋がります。
そして、です。
「後はどうなっても構わない」のであれば、大切にしようという気持ちも、必然的になくなります。
この「大切にしようという気持ちがなくなる」ということ、どれほど重いことか、ちょっと考えてみましょう。
人間相手に「大切にしない」という場合は、簡単ですよね。
もし皆さんが邪険に扱われるようなことがあったら、そんな人とは関わりたくなくなるのが自然でしょう。
これ、モノであればどうなるか。
「心がないなら大切にしなくたっていいじゃない」と言いたい人は、それでも構いません。
しかし、大切にしないと、その物本来の特長や性質を引き出すことは出来ません。
たとえば、同じ100円のお皿でも、洗わないままであれば一回しか使えませんが、
きちんと洗えば、何回も使えますよね。
そしてこれ、すべての物に言えなくはないですか。
そう、つまり、モノすら大切にできないなら、そのモノからの恩恵すらも受けられないのです。
今時、機械化が進む中で、「モノには作った人の心が」などと話すのは、どこか時代錯誤だと受け取る向きもあるかもしれません。
しかし、心がどうのと考えなくても、モノすら大切にできないということは、回り回って自分にも不利益が忍び寄るのです。
まして、人をや、というわけです。
だから、人をモノ扱いする人は、結局は幸せになれない可哀想な人なんだと理解してください。
そして、幸せになるために必要なのは、利己的な発想で動くことではなく、普通に良心に従うこと、
これこそが、本当のところなのですね。
ここに気付くまで、利己的な人は、自分も他人も消耗させていくのです。
そして、綺麗事でもなんでもなく、良心に従う人が増えるほど、世の中は幸せになるのです。