つつじの花(東京都江戸川区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「3分で前向きに」とか「一瞬で元気に」といったタイトル、
ブログでも本でも、よく目にはしませんか?
たしかに、インパクトを狙って売り上げに繋げようとする意図は分かるのですが、
私に言わせれば、一瞬やつかの間ではどうにもならないこともあるのです。
もちろん、小さなことに囚われて、そこにあるチャンスや幸せに気付けないというのは、
非常にもったいない話ですし、後悔の種にもなりえます。
やっぱり、明るく生きているほうが、幸せの側にいられることは、間違いないと思うのですね。
しかし、です。
もし仮に全てのことが一瞬で解決し、全ての感情がわずかな時間で癒されるのなら、
そちらのほうが、どこか無理のある話だと思いませんか。
たとえば、たとえ一時的であっても、大切なものや人と離れるのはつらいことですよね。
そこを、離れた次の瞬間に気持ちを切り替えられるなら、
「一体、大切に思う気持ちなんてあったのか」という気にもなりませんか。
「悲しい」とか「寂しい」という、いわゆるネガティブな感情を持つことは、
だらしない話、情けない話とも思われがちです。
しかし逆に、「悲しい」とも「苦しい」とも思えないなら、そのほうが嘘くさく、
また、人間性に疑問を持ったり、人格に浅はかさを感じませんか。
人間、嫌な感情を持って当たり前なのです。
物の見方や考え方は一瞬で変えられるかもしれませんが、
大切に思う気持ち、愛着、重要性そのものまでは、一瞬で変えられるとは限りません。
そして、見方や考え方を変えることが難しかったり、心の引っ掛かりか取れなかったという場合は、一瞬での解決ではなく、気長に直すのが早道だったりもするのです。
表向きの立ち居振る舞いをそれなりに調えたほうがいい場面は、表向きだけは取り繕えさえすればいい。
でも、自分に嘘をついてまで、心の中の大切なものを、無視することもないのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「3分で前向きに」とか「一瞬で元気に」といったタイトル、
ブログでも本でも、よく目にはしませんか?
たしかに、インパクトを狙って売り上げに繋げようとする意図は分かるのですが、
私に言わせれば、一瞬やつかの間ではどうにもならないこともあるのです。
もちろん、小さなことに囚われて、そこにあるチャンスや幸せに気付けないというのは、
非常にもったいない話ですし、後悔の種にもなりえます。
やっぱり、明るく生きているほうが、幸せの側にいられることは、間違いないと思うのですね。
しかし、です。
もし仮に全てのことが一瞬で解決し、全ての感情がわずかな時間で癒されるのなら、
そちらのほうが、どこか無理のある話だと思いませんか。
たとえば、たとえ一時的であっても、大切なものや人と離れるのはつらいことですよね。
そこを、離れた次の瞬間に気持ちを切り替えられるなら、
「一体、大切に思う気持ちなんてあったのか」という気にもなりませんか。
「悲しい」とか「寂しい」という、いわゆるネガティブな感情を持つことは、
だらしない話、情けない話とも思われがちです。
しかし逆に、「悲しい」とも「苦しい」とも思えないなら、そのほうが嘘くさく、
また、人間性に疑問を持ったり、人格に浅はかさを感じませんか。
人間、嫌な感情を持って当たり前なのです。
物の見方や考え方は一瞬で変えられるかもしれませんが、
大切に思う気持ち、愛着、重要性そのものまでは、一瞬で変えられるとは限りません。
そして、見方や考え方を変えることが難しかったり、心の引っ掛かりか取れなかったという場合は、一瞬での解決ではなく、気長に直すのが早道だったりもするのです。
表向きの立ち居振る舞いをそれなりに調えたほうがいい場面は、表向きだけは取り繕えさえすればいい。
でも、自分に嘘をついてまで、心の中の大切なものを、無視することもないのです。
深大寺の黄菖蒲(東京都調布市)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
人間、独りよがりはいけません。
自分のことしか考えず、利己的で、自分に酔うしか能のない人は、
結局は人がついて来ませんし、あるいは、自分で気付く以外に道を修正する方法がありませんから、
幸せが遠ざけることになるからです。
しかし。
「じゃあ、人の言うままを信じればいいんですか」といえば、
それもまた、ちょっと違うのですね。
たとえば、国宝級の茶器があったとします。
しかし、もし価値がわからないか知らない人がその茶器を扱ったら、
ぞんざいにしてしまうかもしれませんよね。
人間であってもそれは同じで、
いくらこちらがきちんとしていても、きちんと人を見ないよう人であれば、
どんなにかいい加減な態度をとられるか、わかったものではありません。
私達は、人の評価に頼ることで、独りよがりではなく、きちんとした価値観や距離感をもって、
人と関わっていくことができます。
だからこそ、人の評価を謙虚に受け止め、改善すべきは変えたほうがいいのです。
しかし、人の評価がすべてというわけでもないのです。
「邪険にされ続けたから」といって、たまたま人との接し方がなっていない人としか関われなかったというだけという場合もあるのです。
つまり、本人の人柄や能力、実績や貢献度も、評価されたり、大切にしてもらえるかどうかは、本人の責任ではないこともあるのです。
言い換えれば、見る人が見ることで、初めて評価される場合も多分にあるのです。
ここまで話をすると、「結局、価値観をどこに置けばいいのさ?」と、疑問にもなるでしょう。
しかし、真理は一つだけなのです。
どうせ色々と言われるなら、のぼせない、へこまないことです。
そのかわり、「自分はこれだ」というものに、出来るだけ力を尽くしましょう。
そういう自負が、人に言われた言葉の吟味をやわらかいものにするのです。
誠実に生きましょう。
出来るだけでいいです。
その誠実さが、結局は生きる強さになるのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
人間、独りよがりはいけません。
自分のことしか考えず、利己的で、自分に酔うしか能のない人は、
結局は人がついて来ませんし、あるいは、自分で気付く以外に道を修正する方法がありませんから、
幸せが遠ざけることになるからです。
しかし。
「じゃあ、人の言うままを信じればいいんですか」といえば、
それもまた、ちょっと違うのですね。
たとえば、国宝級の茶器があったとします。
しかし、もし価値がわからないか知らない人がその茶器を扱ったら、
ぞんざいにしてしまうかもしれませんよね。
人間であってもそれは同じで、
いくらこちらがきちんとしていても、きちんと人を見ないよう人であれば、
どんなにかいい加減な態度をとられるか、わかったものではありません。
私達は、人の評価に頼ることで、独りよがりではなく、きちんとした価値観や距離感をもって、
人と関わっていくことができます。
だからこそ、人の評価を謙虚に受け止め、改善すべきは変えたほうがいいのです。
しかし、人の評価がすべてというわけでもないのです。
「邪険にされ続けたから」といって、たまたま人との接し方がなっていない人としか関われなかったというだけという場合もあるのです。
つまり、本人の人柄や能力、実績や貢献度も、評価されたり、大切にしてもらえるかどうかは、本人の責任ではないこともあるのです。
言い換えれば、見る人が見ることで、初めて評価される場合も多分にあるのです。
ここまで話をすると、「結局、価値観をどこに置けばいいのさ?」と、疑問にもなるでしょう。
しかし、真理は一つだけなのです。
どうせ色々と言われるなら、のぼせない、へこまないことです。
そのかわり、「自分はこれだ」というものに、出来るだけ力を尽くしましょう。
そういう自負が、人に言われた言葉の吟味をやわらかいものにするのです。
誠実に生きましょう。
出来るだけでいいです。
その誠実さが、結局は生きる強さになるのです。
ラベンダーの花(東京都渋谷区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
少し、深い話になります。
人から感謝されるように、持てるものを出し切ることは大切です。
人には優しく、親切にしていたほうが、幸せのお手伝いができますし、
ひいては、人を傷つけないようにもなるわけです。
あるいは、「感動しました」とか「元気が出ました」などと、
嬉しい言葉をいわれでもすれば、気分もよくなるでしょう。
・・と、「人に対して、持てるものを出し切ることはいいことですよ」という話をしました。
でもこれ、当たり前すぎる話ですよね。
言われなくたってわかってるさ!と言いたい方も、相当いらっしゃるはずです。
ここからが、ちょっと一癖ある話なんですね。
「ありがとう!」とか「感動しました」と言われた。
それはたしかに嬉しい言葉なのかもしれませんが、
本当に目指しているところはどこかということ、考えたことはありますか?
言葉を投げかけられて、それで終わりにはしていませんか?
人に優しするのは、心から幸せになってほしいからではないですか。
そうであれば、こだわるべきは、表面上の言葉や態度ではなく、
本当に幸せになってくれたか、これに尽きるのではないですか。
もちろん、人の言葉を信用しないなんて、本来であればあってはならないことです。
しかし、「お世辞」に代表されるように、必ずしも本音ではないばかりか、本心と逆のことを言う場合するあるのです。
だから、「幸せ」というものにこだわっていく必要があるのですね。
褒め言葉や好意的な言葉は、気持ちがいいもの。
でも、だからこそ、その相手こそ幸せなのかに対して、
気分が上がったときほど、気にかける必要があるのではないでしょうか。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
少し、深い話になります。
人から感謝されるように、持てるものを出し切ることは大切です。
人には優しく、親切にしていたほうが、幸せのお手伝いができますし、
ひいては、人を傷つけないようにもなるわけです。
あるいは、「感動しました」とか「元気が出ました」などと、
嬉しい言葉をいわれでもすれば、気分もよくなるでしょう。
・・と、「人に対して、持てるものを出し切ることはいいことですよ」という話をしました。
でもこれ、当たり前すぎる話ですよね。
言われなくたってわかってるさ!と言いたい方も、相当いらっしゃるはずです。
ここからが、ちょっと一癖ある話なんですね。
「ありがとう!」とか「感動しました」と言われた。
それはたしかに嬉しい言葉なのかもしれませんが、
本当に目指しているところはどこかということ、考えたことはありますか?
言葉を投げかけられて、それで終わりにはしていませんか?
人に優しするのは、心から幸せになってほしいからではないですか。
そうであれば、こだわるべきは、表面上の言葉や態度ではなく、
本当に幸せになってくれたか、これに尽きるのではないですか。
もちろん、人の言葉を信用しないなんて、本来であればあってはならないことです。
しかし、「お世辞」に代表されるように、必ずしも本音ではないばかりか、本心と逆のことを言う場合するあるのです。
だから、「幸せ」というものにこだわっていく必要があるのですね。
褒め言葉や好意的な言葉は、気持ちがいいもの。
でも、だからこそ、その相手こそ幸せなのかに対して、
気分が上がったときほど、気にかける必要があるのではないでしょうか。
クロッカスの花(東京都渋谷区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
力を尽くしても尽くしても出来ないこと、苦手なことは、
出来るなら、可能な限りやらないでおく。
これが出来ると、色々な発見が出てくるものです。
どんな人も、あまり気の進まないことって、あると思うんです。
でも、「やらなきゃいけない」とか「嫌だけど乗り越えないと、道が開けない」と、
本音からは離れた、義務や責任に強いられ、努力をするわけです。
そしてまた、「嫌だけど、それを乗り越えたからこそ得られる器量や能力、見られる風景」というものも、事実としてあるのは間違いないでしょう。
しかし、「それで失う時間もある」ということも、たまに考える価値はあると思うのですね。
人間、好きなことばかりして過ごすわけにはいきませんが、
だからこそ、好きな時間は大切にしたいと思いませんか。
好きなこと、得意なこと。
そんなものだからこそ、なるべく力を割きたいとは思いませんか。
気の進まないことを、自分から無理にすすんでやることはないと思います。
そのかわり、出来ることは精一杯やっていく。
自分がやることを選べる場面は、そう多くはないかもしれません。
しかし、やりたくないことや苦手なことを避けるのは、
逆に言えば、自分の得意を活かすための、積極的な選択とも言えなくはないでしょうか?
人はみんな、人間性も能力も、それぞれ違います。
つまり、なるべく力を出しやすいことを、力を出しやすいやり方でやった方が、
人助けをしたり、幸せを与えられ、
ひいてはそれが自分を助け、幸せにしていくことにはならないでしょうか。
自分を出し切るのも、少しずつで構いません。
好きな方向を向くことに、ためう必要はないのです。
人は、幸せで、楽しんでいる時こそが、
実は、人から見ても、一番素晴らしいのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
力を尽くしても尽くしても出来ないこと、苦手なことは、
出来るなら、可能な限りやらないでおく。
これが出来ると、色々な発見が出てくるものです。
どんな人も、あまり気の進まないことって、あると思うんです。
でも、「やらなきゃいけない」とか「嫌だけど乗り越えないと、道が開けない」と、
本音からは離れた、義務や責任に強いられ、努力をするわけです。
そしてまた、「嫌だけど、それを乗り越えたからこそ得られる器量や能力、見られる風景」というものも、事実としてあるのは間違いないでしょう。
しかし、「それで失う時間もある」ということも、たまに考える価値はあると思うのですね。
人間、好きなことばかりして過ごすわけにはいきませんが、
だからこそ、好きな時間は大切にしたいと思いませんか。
好きなこと、得意なこと。
そんなものだからこそ、なるべく力を割きたいとは思いませんか。
気の進まないことを、自分から無理にすすんでやることはないと思います。
そのかわり、出来ることは精一杯やっていく。
自分がやることを選べる場面は、そう多くはないかもしれません。
しかし、やりたくないことや苦手なことを避けるのは、
逆に言えば、自分の得意を活かすための、積極的な選択とも言えなくはないでしょうか?
人はみんな、人間性も能力も、それぞれ違います。
つまり、なるべく力を出しやすいことを、力を出しやすいやり方でやった方が、
人助けをしたり、幸せを与えられ、
ひいてはそれが自分を助け、幸せにしていくことにはならないでしょうか。
自分を出し切るのも、少しずつで構いません。
好きな方向を向くことに、ためう必要はないのです。
人は、幸せで、楽しんでいる時こそが、
実は、人から見ても、一番素晴らしいのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
最近、こんな音を聴いて、癒されています。
Robert Austin Crystal Bowl Sound Healer
なんだか頭が休まるんですよ(^-^)/
今日も皆様、ありがとうございます。
最近、こんな音を聴いて、癒されています。
Robert Austin Crystal Bowl Sound Healer
なんだか頭が休まるんですよ(^-^)/
クサノオウの花(東京都武蔵野市)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
基本的に、人は、信じてもらうことで、伸びたり、幸せを育む生き物ではないでしょうか。
たとえば、誰かが難しい課題や局面に相対したとします。
そんなとき、思い入れがあったり、事が大きければこそ、
ハラハラドキドキしてもしまうものではあるのですが、
相手の身からすれば、心配されることは、
気分の良いものではなかったりもするのです。
心配するのは、大切に思い、気に掛ける気持ちがあるからということで、
それ自体は、いいことなのです。
しかし、私達は、可能性が100%のものにたいしては、普通、心配などしないですよね。
できる可能性が低いからこそ、心配してしまうわけです。
物事が上手くいくかどうかは、大きく分けて、「本人の力量」と「環境」の、2つの要因があります。
このうち、「環境」が原因で上手くいくかが心配・・という場合、
たしかに、ハラハラドキドキしてしまうのも、無理からぬ話でしょう。
しかし、「力量」が原因で心配だという場合、なんだか、相手の力量そのものに疑いの目を向けていることにはならないでしょうか?
そして、です。
「どうせ」という態度でいい加減な接し方されれば、元はきちんと応えたい気持ちがあっても、
その投げやりな態度から、期待に応える意味を見失い、
その気がなくても、「どうせ」という態度で応えてしまうのが私達人間というものではないでしょうか。
だからこそ、人に望みを託す時は、是非、楽天的になさっていただきたいのです。
たしかに、期待は依存心から出る気持ちですから、場合によっては、重たくなったり、怖いような気分になってしまうかもしれません。
しかし、人は、信頼に応えようとしていくことで、自分の良さを精一杯発揮するようになる、
これは、動かぬ真理なのです。
喜んで信じるということ。
この気持ちの放つ強さは、きっと想像以上です。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
基本的に、人は、信じてもらうことで、伸びたり、幸せを育む生き物ではないでしょうか。
たとえば、誰かが難しい課題や局面に相対したとします。
そんなとき、思い入れがあったり、事が大きければこそ、
ハラハラドキドキしてもしまうものではあるのですが、
相手の身からすれば、心配されることは、
気分の良いものではなかったりもするのです。
心配するのは、大切に思い、気に掛ける気持ちがあるからということで、
それ自体は、いいことなのです。
しかし、私達は、可能性が100%のものにたいしては、普通、心配などしないですよね。
できる可能性が低いからこそ、心配してしまうわけです。
物事が上手くいくかどうかは、大きく分けて、「本人の力量」と「環境」の、2つの要因があります。
このうち、「環境」が原因で上手くいくかが心配・・という場合、
たしかに、ハラハラドキドキしてしまうのも、無理からぬ話でしょう。
しかし、「力量」が原因で心配だという場合、なんだか、相手の力量そのものに疑いの目を向けていることにはならないでしょうか?
そして、です。
「どうせ」という態度でいい加減な接し方されれば、元はきちんと応えたい気持ちがあっても、
その投げやりな態度から、期待に応える意味を見失い、
その気がなくても、「どうせ」という態度で応えてしまうのが私達人間というものではないでしょうか。
だからこそ、人に望みを託す時は、是非、楽天的になさっていただきたいのです。
たしかに、期待は依存心から出る気持ちですから、場合によっては、重たくなったり、怖いような気分になってしまうかもしれません。
しかし、人は、信頼に応えようとしていくことで、自分の良さを精一杯発揮するようになる、
これは、動かぬ真理なのです。
喜んで信じるということ。
この気持ちの放つ強さは、きっと想像以上です。