青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

フレンドリーに。

2013年03月31日 22時17分36秒 | 青裸々日記。
八重桜の花(東京都千代田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「大は小を兼ねる」と言われますが、人間関係では、必ずしもそれが当てはまらない場合があります。

 たとえば、一般に、知的な人や上品な人は、好かれるものです。
 しかし、博学すぎて話の内容が高度でついていけないとか、品があるために下手な振る舞いが出来ず、萎縮してしまうとか、
 「持っている」がために、かえって人を遠ざけてしまうことも、あったりするわけです。

 さて、そこで。
 「じゃあ、知性はいらないし、下品なほうがいい」かと言えば、それも違いますよね(笑)
 やっぱり、頭が柔らかいほど会話も弾みますし、品がなければ、不愉快になる場面だって増えて当たり前でしょう。


 ということは、です。
 敷居は低いほうがいいこともあるのかもしれませんが、敷居がないのはいけないのです。


 さて。
 そうは言っても、「大は小を兼ねる」という格言は、昔から言い継がれてきたからこそのものですよね。
 ということは、「持っている人」は、何かが間違っているのです。

 それは何だと思いますか?


 「持っている人」で、苦手な人が多いという場合、それは、柔軟性や適応力に成長の余地があるということです。
 たとえば、「本当に頭のいい人」は、話をかみ砕いて、簡単に言い換えて説明できる人だと言われます。
 なぜなら、仕組みや筋道を理解し尽くしていればこそ、難しい言葉を易しく言い換えたり、身近な例を挙げて話すことができるからです。

 あるいは、ツンと澄ましていても、場の空気が盛り上がっているにもかかわらず溶け込めないようだったら、
 品のよさも台無しです。
 せっかく人と関わるなら、場に溶け込めるに越したことはないでしょう。


 つまり、です。
 「持っている人」や「長所や得意分野がある人」には、
 「変幻自在に自分の資質を操る力」が必要とされるのです

 フレンドリーさに欠け、人を寄せつけないようでは、
 何のための能力であり、人間性かわかりません

 だから、人間関係において、「大は小を兼ねるとは限らない」という事実を、肝に銘じておく必要があるのです


 「フレンドリー」に、能力を使っていきましょう。
 それが、自分の能力、ひいては自分自身を使ってもらう、早道になるのですよ。

ポピー

2013年03月31日 11時26分35秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 3月も下旬となり、ポピーが咲き出しました。
 暖色系のカラフルな花弁に、癒されます。


 花がなかなか多くて、撮っていて飽きない季節ですね(*^^)/


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お仕置き。

2013年03月30日 23時38分44秒 | 青裸々日記。
ハクモクレンの花(東京都千代田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 皆さんには、腹の立つ人、恨みのある人、嫌な人はいますか?

 これ、「いない」と言い切るほうが難しいことなんですよ(笑)
 頭では「人を嫌いたくない」「心の狭い人間になりたくなんかない」と、
 どこか、人を攻撃したり、貶めたくないような考えになったりするもの。
 しかし、心は正直ですから、
 なんとなく嫌な気持ちがしたり、傷ついたものを遠ざけたくなったり、
 これが現実ですよね。
 それに、我慢を重ねればストレスになり、ストレスが過ぎれば、身体が壊れます。
 だから、やっぱり「嫌な人」はいてほしくないものの、
 どこかで歪み(ひずみ)が出てきてしまうのです。
 そしてまた、なんとなく、やっつけてやろうとか、教育して無理にでも直そうとか、
 色々考えてしまうのも、全く自然な話でもあるわけです。



 しかし、です。

 嫌な人に対して、その人がどうなれば自分が幸せになれるか
 考えてみたことはありますか。

 人間、自分を変えるのは、なかなか難しいことです。
 長年育ってきた環境もあれば、自分で培った信念や哲学もある。
 それを、いきなり全部変えろなんて無理な話ですし、
 増してや、自分が間違えてもいないのなら尚更でしょう。


 これ、「嫌な人」にも、当てはまることなんですね。
 いくら「嫌な人」とて、自分が悪いとは思っていないし、
 それで通用してきた時代があれば、落ち度にも気がつかないし、どこでもやっている場合だって、あってもおかしくないんです。

 そんな「分からず屋さん」を、自分の力でなんとか変えようなんて、
 かなりの労力が必要にはなりませんか。
 そうすると、ものすごい労力を割くことになりますが、
 労力を割くのが嫌となれば、悶々と恨みつらみを続けていくことになります。
 これ、どっちも生産性がありませんよね。



 こういうわけで。

 「お仕置き」は、神様に代行サービスをお願いしてみましょう
 たしかに、人間は、罰を与えることはできるかもしれませんが、
 相手がきちんと考えを直す、別な言葉で言えば、正しい道を選べるように直すまでやるのは、なかなか難しいものです

 だから、気が済むまで気持ちを出し切ったら、あとは嫌な人のことを考えないほうが得策なのです


 ちなみに。
 お仕置きが楽しいのは、心が満たされていない証拠です。
 極論になりますが、「お仕置き」は、する人ほど、人からも嫌な気持ちを投げかけられてしまうのです。

都電荒川線 その2

2013年03月30日 05時40分09秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 都電荒川線沿線の飛鳥山公園には、
 昔、飛鳥山をぐるっと回り込むように走っていた荒川線の旧型車両が保存されています。


 いかにも「旧型」っていう感じで、
 古きよき東京を知っていそうな風貌ですよね。
 末永く保存してほしいものです。


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尊敬は尊敬から生まれる。

2013年03月29日 21時08分16秒 | 青裸々日記。
コブシの花(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 人に尊敬されたかったら、人を尊敬することです。


 一般に、「人は自分を認めてくれた人を認める傾向にある」と言われています。
 それはそうでしょう。
 人間、敵意丸出しの状態で、同時に尊敬することは出来ないからです。
 そしてまた、心理学では好意だのなんだのと言われますが、
 相手を認めないと、まずは認知すらしてもらえないという点も見逃せません。

 これ、嫌な話なんですよ。
 「尊敬されたい」という欲があること自体はごく自然な話かもしれません。
 しかし、「認められたいから」と、我欲に突き動かされるがままに、心にないおべんちゃらを言う人にも、この法則が当てはまってしまうからです。
 自分が先陣を切って、見習われるべきモデルになるなら、
 「尊敬されたい」という欲も、満更ではないもしれません。
 しかし、チヤホヤされたいというだけで心にないことを言っても、それ以外の言動が伴いませんから、
 結局、人を傷つけたり、人に嘘をついてのことですから、尊敬されても心は決して満たされないのです。



 ということは。
 「尊敬されること」は望ましいことに変わりはないのかもしれませんが、
 「尊敬されたい気持ち」には、なるべくなら無頓着でいたほうがいい、
 こんなことが、言えそうです。


 それでは、どうやったら意識せずに「尊敬される人」になれるのでしょうか?

 冒頭で、「人を認めれば人から認めてもらえる」という話をしましたが、
 これを、違う角度から考えてみましょう。


 人を尊敬するということは、見習う点、学べるところがあるからこそのことですよね
 ということは、尊敬して見習って、自分も同じレベルか追い越せるぐらいになれば、
 自然と自分が磨かれ、人に尊敬される・・・ということにもなります。
 つまり、「人を認めれば人から認められる」というのは、
 心理学の中だけの話ではなく、尊敬の念が、現実の自分も磨くようになる、という側面もあるのです。


 他にも、理由はあります。
 「人を尊敬する」という姿勢は、謙虚にならなければ出来ません。
 そうやって、人を立てて尊重する態度こそが、人として尊敬したくなる気持ちを掻き立てるようになるのではないでしょうか。
 いくら秀でている部分があろうと、他人を見下すような人には、付いていったりはしたくないですよね。


 世の中には、残念な人もたくさんいます
 しかし、美点を備えた人、羨ましいものを持っている、人間性の高い人は、たくさんいます
 そんな人達の後に続いてみたくはないですか



 この際、尊敬できなあ人達はどうでもいい。
 その分は、尊敬することに、貪欲になりましょう。

都電荒川線

2013年03月29日 05時44分37秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 お花見の途中に見つけた、都電荒川線の旧型車両。
 電車は新型が好きなんですが、この都電荒川線だけは、なんだか旧型車両が好みです。


 いかにも「路面電車!」っていう感じがするからですかねぇ。
 近く、乗りに行こうかな。


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答えは自分の中にも。

2013年03月28日 22時34分08秒 | 青裸々日記。
カタクリの花(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 不慣れなこと、知らないこと、あるいは手ごわそうなことを目の前にすると、
 ついつい怯んだり、混乱したり、パニックになってしまう時があるものです。
 人間、「分からない」という状態には弱いものですから、
 見通しが立たないぶん、どうしたって、不安定になりがちなものだったりもするのです。


 さて。
 まずは、「誰だって不安定になる時の一つやふたつある」と、腹をくくることです。
 苦手なものに平常心で立ち向かいましょうと言っても、どだい無理なのです。


 そのうえで、ちょっとだけ、振り返って考えてみたいことがあるんです。
 それは、過去、自分が立ち向かってきた葛藤なのですね。



 人間の悩みの性質には、似通った傾向が見て取れる場合がほとんどです
 なぜなら、考え方や個性、気質は、そうは変わらないからです
 だからこそ、いくつ歳を重ねようと、同じような悩み方をして、同じような解決の仕方を選んだりもするのです。


 さて、お気付きでしょうか?

 今現在、抱えている問題が全くの初物ということも、実はあんまりないというのが、現実である場合も少なくないのです。
 「困っていること」をよくよく見てみると、過去、さりげなく上手くかわしていたり、答えを出していたりした問題によく似ていたりもする。
 そして、そんな問題が目の前に現れて、
 たまたまその解き方を思い出せないというだけという場合も、少なくないのですね。
 そう、過去も満更ではないのです。



 大変なこと、困ったこと、難しいこと。
 色々あると思います。
 生きることは問題を解き、進化していくことという側面もあるからです。

 しかし、問題を解決できないからといって、その答えは必ずしも遠いところにあるとは限りません。
 「灯台、下暗し」とも、よく言われている通りです。


 誰だって、乗り越えた壁があるものです
 そして、壁が壁なら、似たようなものだって多いはず
 そんな自分をもっと信頼することが、問題解決には大切なこともあるのです


 他人も偉大ですが、自分も偉大なところがある。
 その証明は、過去にしてきているはずなのです。
 そこを探してみませんか。

井の頭公園

2013年03月28日 05時26分03秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 先日、井の頭公園に、夜桜を見に行ってきました。
 園内はさすがに大勢の人で賑わい、「春」を実感できました。


 ここはいつ来ても、水面が美しいですよね。

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カタクリ

2013年03月27日 06時21分57秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 公園の片隅に見つけた、かわいい花。
 柔らかな陽射しに、春の陽気が伝わってきます。

 春はたくさんの花が咲き出して、季節に彩りを付けますよね。


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さわやかさ。

2013年03月26日 22時37分45秒 | 青裸々日記。
ソメイヨシノの花(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 あくまで印象の問題でしかありませんが、なるべくなら「あの人、爽やかだよねぇ~」と言われていたいものですよね。
 こう言い切れるのは、一般に、爽やかであるほど、印象や好感度が上がるものだからです。

 それでは、どうすれば「爽やかさ」が身につくようになるのでしょうか。


 「爽やかさ」というのは、簡単に言えば、「風通しがいい」ということです。
 よかったら、ためしに「爽やかなもの」を、思い浮かべていただきたいんです。
 なんでもそうですが、「爽やかなもの」には、スーッと抜けるような感じやニュアンスが感じられませんか。
 あるいは、遮るものが少なく、シンプルでわかりやすいというのも、爽やかさに繋がる要素になると思うのですね。


 ということは、もうお分かりですね。
 心の中を、なるべく整理しておくことで、
 それが態度や表情に反映され、結果として「爽やか」だと言われるようになっていくのです。


 とは言え、なかなか心が澄み渡ることって、現実にはありませんよね。
 やっぱり、どこかしらにシコリがあったり、自分でも自分のことがよく分からなくなったりすることも、あると思うんです。

 …と、ここでちょっとだけ、考えてみましょう。
 「爽快感」という言葉がありますよね。
 これ、あくまで感覚の問題ですから、100%でなくても良いわけです。
 つまり、ちょっとでも爽やかさがあれば、「爽快感がある」ということになります。

 ということで、あんまり考え過ぎるのもよくないんです。
 「自分の中の、風通しの良い部分はどこだろう?」と、
 あくまでゆるーく、構えてみる。
 そうすると、意識がだんだんと、爽やかな方向に向いてきます。
 なぜなら、心がラクな姿勢、落ち着く姿勢、望ましい姿勢になりますから、
 結果として、「あの人、爽やかだよねぇ」と言われるようになってきます。


 気持ちのわだかわりやとどこおりは、なるべく解消しておきましょう
 風通しがいいと、自分とも他人とも、折り合うことができます
 「さわやかさ」は、折り合える度合いを見るバロメータみたいな部分もあるのです



 私達はもっと、「爽やかでいること」に、気を向けていいのかもしれません。
 なぜなら、それでみんな幸せになれるのですから。

ハクモクレン

2013年03月26日 05時32分47秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 先日の「コブシ」に似ていますが、
 今日の花は「ハクモクレン」と言います。

 私も違いをよく知らないのですが、花弁の形に特徴の違いが出ているので、
 そのへんかなぁ・・・と。


 白って、いい色ですよね!


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「話を聞く」とは?

2013年03月25日 22時09分04秒 | 青裸々日記。
サンシュユの花(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「話を聞いて下さい」と言われたら、皆さんはどんな心構えになるでしょうか?

 たいていの場合、特に意識をしないと、物理的に「音声や言葉を、耳で聞く」というイメージをしてしまうものです。
 そしてまた、実際に話が終わると、それで済んだような気にもなってしまうものです。


 しかし、「話を聞いてもらう側」からすれば、ただ単に言葉を耳に入れてもらいたいだけ・・とは限りません。
 使う言葉は「話を聞いてもらう」でも、本当の意味としては、「気持ちや心情を受け止めてもらう」という場合が、えてして多いのですね。

 これは仕方ありません。
 なぜなら、「話を聞く」という言葉の意味、難しく言えば、国語的な解釈の上では、全く正しい理解になるからです。


 さて、ここまでを踏まえて。
 皆さんは、人に相談をしてもった時、言葉だけでなく、その背景にある心情を、どの程度まで読む意識をしていますか
 「そもそも論」みたいなことになってしまいますが、
 「話をする」という言葉自体、本当は「意思のやり取りをする」という意味合いも強いのです。
 ということは、一口に「話を聞く」といっても、
 ・状況を報告したい
 ・意思のやり取りをしたい
 ・心情を汲んでほしい
 ・気持ちを分かち合いたい
 ・自分を受け止めてほしい
 と、ザッと挙げただけでも、これだけの意味合いが含まれているのです。
 そしてまた、これらの意味合いが複数入り混じっていることもあるのです。



 世の中、同じ話を何回もする人、話したがりな人がいるものです。
 そういう人達は、ただ話をしたいだけではないのです。
 話したいというよりは、話すことで心を満たしたいのです。
 逆に言えば、話を聞いても心が通じないと、際限なく口が止まらないということにもなります。
 そしてまた、「あの人はいつも同じ話を・・」という場合、気持ちを分かち合えば、嘘みたいに話が穏やかになる場合も多いのです。



 自分が「話をしたい時」、「話を聞いてもらいたい時」は、どんな時でしょうか
 そんな考えに根差した応じ方をすれば、きっとお互いに有意義な話ができると思うのです
 簡単に言うと、「話」→「心」と代入して考えると、わかりやすいかもしれません


 話し合うことは、分かち合うことです。
 一方通行の「お話」は、なるべく減らしていきませんか。

八重桜

2013年03月25日 11時16分22秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 色々選んだ結果、今日は枝垂れ桜になりました。

 私はソメイヨシノより、この枝垂れ桜のほうが和な感じがして好きです。
 雨や風に負けず、長持ちしてほしいですね。



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記憶術。

2013年03月24日 23時05分02秒 | 青裸々日記。
クロックスの花(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 私は休日など、時間に自由が利く日は、都内をバスで移動することがあります。
 実は、駅から駅だけだと地下鉄のほうが時間的に多少有利な場所でも、
 バス停の位置取りがきめ細やかで、結果的にバスのほうが早く着いたり、歩く距離を短くできたりするからです。


 …と、ここまでは、豆知識。
 本当の理由は、「その時に読んだ文章や記事、本の内容」を、頭に定着させやすくなるからです。

 なんでもそうですが、文字だけだと、なんとなく無味乾燥になりがちです。
 これは記憶力に関しても全く同じで、全く関連のないものでも、画像と結び付けて覚えたほうが、何倍も頭に焼き付きやすいのです。
 バスの例で言えば、風景と一緒に文字を読むことで、文章と風景がペアになりますから、
 「あの時の話」というような、頭に残りやすくなるのです。
 そもそもの話、ドライな言い方をしてしまえば、文字というのは記号に過ぎないわけで、
 記号からイメージを膨らませるより、実際の画を見たほうが、何倍も頭に優しいのではないでしょうか。
 ちなみに私の推測ですが、文字での記憶は左脳のみに依存する一方、画像込みで覚えると、右脳て左脳両方を使いますから、
 脳にとっても負担なく、効率的に記憶ができるのではないかと思うのですね。
 つまり、物事を暗記するコツは、頭の使い方次第という面もある気がするのです。



 さて、この話、いわゆる「お勉強」だけでなく、
 人生や日常に活かせる面も、多分にあるのではないでしょうか。

 生きていれば、嫌なこともあれば、傷つくこともありますよね。
 そして、こじらせれば、トラウマになってしまうこともあるでしょう。
 このトラウマというのは、「嫌な記憶」が、画と思い出、言い換え頭と心の両方に残ることで、
 焼き付きやすくなっている面もあると思うのです。
 逆に言えば、反省や総括というのも良し悪しで、あまりにも気分が悪くなるようだったら、
 下手にやって、悪い定着をしてしまうより、全然いいことにもなりませんか



 反対に、人生の幸福度は、成功体験や幸せが頭に焼き付くことで、生まれます。
 なぜなら、いい記憶や感覚がベースになることで、気分をよくしていられるからです


 記憶力というのも、使い方次第です。
 軽くお話ししてしまいましたが、この話も軽く記憶にとどめていただければ、幸いに思います。

コブシ

2013年03月24日 11時23分55秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 コチラは「コブシ」という花なんですが・・、

 「ハクモクレン」や「ハナミズキ」と似てますよね。
 私はその中だと、このコブシが一番好きです。


 写真を撮っていると、なんだか花の名前に詳しくなってしまいますね。


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