
コスモスの花(東京都小金井市)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
こと人間関係において、正論は劇薬のようなものだと、私は思います。
あまり人を責めると、後が怖い。
「ええかっこしい!」と背筋を伸ばすのはいいですが、背筋もたまに緩めてやらないと、疲れてしまいますよね(笑)
それと同じなんです。
いくら「前向きがいい」とか「人に優しく」、「意欲を研ぎ澄まそう」といっても、
そうそういつも、出来るものではないと思います。
たまには暗くもなるし、余裕がなければ人にも当たってしまうし、
ペースもずっとMAXでいられない、
人間なら、これが当たり前というものです。
誰だって、時におっちょこちょいなこともするし、間違えることもあります。
そう、人間は素晴らしい生き物ですが、完璧というわけでもありません。
ということは。
いかにも立派なことを言っているあの人やこの人も、
見えないところ、目の届かない場所では、とても人間らしいことをしている…と考えるのが、
自然な考え方ではないでしょうか!?
もちろん、全く歯が立たない相手、魅力的すぎるように見えて、雲の上にいるような相手でも、
やっぱり、どこかしらでは情けないようなことをしてしまうわけです。
逆に、自分がいわゆる「正論」を言ったり人をたしなめる側だったら、
相手から見れば、「なにさ、自分を鏡で映してみなさいよ!!」と思われている可能性だって、あるわけです。
いずれにしても。
「立派」と言いつつも、100%折り目正しく生きている人なんて、いないのです。
ひとたび「立派な人間」に立候補してしまうと、後でいたく苦しい道を辿ってしまうことになる。
たまになら「立派」は素晴らしいことですが、
「いつも立派でいなければならない」、こんなプレッシャーを浴び続けるのは、嫌ですよね。
本当は、みんなそこそこ立派で、みんなそこそこだらしない、
これが、人間という生き物です。
そしてまた、完璧に立派でない同士が「立派さ」を持ち寄ってなんとか支え合っているのが、この世の中です。
だとしたら、人に完璧を望むのも、神経をピリピリさせて完璧を装うのも、
どちらも本当はおかしな話だとわかるハズです。
みんなが、たいしたことない。
みんなが、素晴らしい。
どちらも、嘘ではないのです。
嘘でないなら、誰だって、たまには立派でない瞬間があっても、
それはそれで良いのではないでしょうか!?
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
こと人間関係において、正論は劇薬のようなものだと、私は思います。
あまり人を責めると、後が怖い。
「ええかっこしい!」と背筋を伸ばすのはいいですが、背筋もたまに緩めてやらないと、疲れてしまいますよね(笑)
それと同じなんです。
いくら「前向きがいい」とか「人に優しく」、「意欲を研ぎ澄まそう」といっても、
そうそういつも、出来るものではないと思います。
たまには暗くもなるし、余裕がなければ人にも当たってしまうし、
ペースもずっとMAXでいられない、
人間なら、これが当たり前というものです。
誰だって、時におっちょこちょいなこともするし、間違えることもあります。
そう、人間は素晴らしい生き物ですが、完璧というわけでもありません。
ということは。
いかにも立派なことを言っているあの人やこの人も、
見えないところ、目の届かない場所では、とても人間らしいことをしている…と考えるのが、
自然な考え方ではないでしょうか!?
もちろん、全く歯が立たない相手、魅力的すぎるように見えて、雲の上にいるような相手でも、
やっぱり、どこかしらでは情けないようなことをしてしまうわけです。
逆に、自分がいわゆる「正論」を言ったり人をたしなめる側だったら、
相手から見れば、「なにさ、自分を鏡で映してみなさいよ!!」と思われている可能性だって、あるわけです。
いずれにしても。
「立派」と言いつつも、100%折り目正しく生きている人なんて、いないのです。
ひとたび「立派な人間」に立候補してしまうと、後でいたく苦しい道を辿ってしまうことになる。
たまになら「立派」は素晴らしいことですが、
「いつも立派でいなければならない」、こんなプレッシャーを浴び続けるのは、嫌ですよね。
本当は、みんなそこそこ立派で、みんなそこそこだらしない、
これが、人間という生き物です。
そしてまた、完璧に立派でない同士が「立派さ」を持ち寄ってなんとか支え合っているのが、この世の中です。
だとしたら、人に完璧を望むのも、神経をピリピリさせて完璧を装うのも、
どちらも本当はおかしな話だとわかるハズです。
みんなが、たいしたことない。
みんなが、素晴らしい。
どちらも、嘘ではないのです。
嘘でないなら、誰だって、たまには立派でない瞬間があっても、
それはそれで良いのではないでしょうか!?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます