![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/c1/3ec7d857b74541a3072da60e54c95544.jpg)
ひまわりの花(東京都武蔵野市)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
元気よく振る舞うこと、前向きな発言をすることは大切です。
もし、特に理由はなくても、つれないような態度ばかり取っていたら、
周りの人に、気をつかわせてしまうからです。
皆さんも、もし苦虫を噛みつぶしたような表情の人がいたら、
おそらく、腫れ物にでも触るように接すると思います。
まして、それがわかっていればこそ、表情には余計に気をつかうようにもなるわけです。
もちろん、自分を外から見ることは、人とよい関係でいるためには、とても大切です。
しかし、この「客観視」というか、大袈裟に言えば演技が過ぎてしまうと、
実は、かえって人間関係がズタズタになってしまうことがあるのです。
人間、自分に嘘はつけません。
嘘という言い方がきついなら、「痩せ我慢」と考えればいいのでしょうか、
いずれにしろ、本心と違うことをやり続けるには、それなりの心労が伴うものです。
人間なら、本当はネガティブな部分もあるし、くたびれることもあるのが普通でしょう。
まして、自分をごまかすとか、本心と違うことをするということは、
心のどこかを隠すことにほかなりません。
それで取り繕えるのなら、いいのです。
でも、人に悪い姿を見せまいと、自分の本心がどうかをさておき、演技を優先してしまう人がいますが、
私に言わせれば、それは順番が間違っています。
もっと言うと、一時は取り繕えたとしても、限界は近いと思うのです。
なぜでしょう!?
それは、得体の知れないものを隠そうとするからです。
箱で物を隠すとして、隠す物の特徴がわかっていれば、箱の大きさや材質も決められます。
でも、何を隠していいのかがわからないと、有り合わせの箱では隠しきれない場合が出るのです。
大きさはもちろんのこと、隠す物は液体かもしれないし、壊れやすいものかもしれない。
あるいは、生物(なまもの)であれば、きめ細やかな管理もしなければなりません。
そうすると、「どんなものでも対応できる箱」を用意する必要がありますが、
それはなかなかつらいもの。
中身もわからないもののために、かなり極端なものを用意することになるからです。
そう、話を戻すと、隠したい本音がわからないほど、かなり無理な言動を強いられてしまうわけです。
だから、本音はきっちり、自分でわかっておく必要があるのです。
いいじゃないですか、みっともない気持ちがあっても。
誰にでも、だらしない部分や醜い心の一つやふたつ、あるものです。
それを謙虚に認めれば、自分の特性や心情に即した「演技」ができるのです。
本心を理解してから演技をしましょう。
自分を理解した人ほど、腰の坐った演技ができるのですから。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
元気よく振る舞うこと、前向きな発言をすることは大切です。
もし、特に理由はなくても、つれないような態度ばかり取っていたら、
周りの人に、気をつかわせてしまうからです。
皆さんも、もし苦虫を噛みつぶしたような表情の人がいたら、
おそらく、腫れ物にでも触るように接すると思います。
まして、それがわかっていればこそ、表情には余計に気をつかうようにもなるわけです。
もちろん、自分を外から見ることは、人とよい関係でいるためには、とても大切です。
しかし、この「客観視」というか、大袈裟に言えば演技が過ぎてしまうと、
実は、かえって人間関係がズタズタになってしまうことがあるのです。
人間、自分に嘘はつけません。
嘘という言い方がきついなら、「痩せ我慢」と考えればいいのでしょうか、
いずれにしろ、本心と違うことをやり続けるには、それなりの心労が伴うものです。
人間なら、本当はネガティブな部分もあるし、くたびれることもあるのが普通でしょう。
まして、自分をごまかすとか、本心と違うことをするということは、
心のどこかを隠すことにほかなりません。
それで取り繕えるのなら、いいのです。
でも、人に悪い姿を見せまいと、自分の本心がどうかをさておき、演技を優先してしまう人がいますが、
私に言わせれば、それは順番が間違っています。
もっと言うと、一時は取り繕えたとしても、限界は近いと思うのです。
なぜでしょう!?
それは、得体の知れないものを隠そうとするからです。
箱で物を隠すとして、隠す物の特徴がわかっていれば、箱の大きさや材質も決められます。
でも、何を隠していいのかがわからないと、有り合わせの箱では隠しきれない場合が出るのです。
大きさはもちろんのこと、隠す物は液体かもしれないし、壊れやすいものかもしれない。
あるいは、生物(なまもの)であれば、きめ細やかな管理もしなければなりません。
そうすると、「どんなものでも対応できる箱」を用意する必要がありますが、
それはなかなかつらいもの。
中身もわからないもののために、かなり極端なものを用意することになるからです。
そう、話を戻すと、隠したい本音がわからないほど、かなり無理な言動を強いられてしまうわけです。
だから、本音はきっちり、自分でわかっておく必要があるのです。
いいじゃないですか、みっともない気持ちがあっても。
誰にでも、だらしない部分や醜い心の一つやふたつ、あるものです。
それを謙虚に認めれば、自分の特性や心情に即した「演技」ができるのです。
本心を理解してから演技をしましょう。
自分を理解した人ほど、腰の坐った演技ができるのですから。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます