
菜の花(神奈川県三浦市)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
やたら世話を焼きたがる人。
こういう人がなぜ迷惑なのか、考えたことはありますか!?
こちらが弱っていたり、助けや協力が必要な場合、
力を貸してくれる人というのは、とても大切な存在に違いありません。
しかし、こちらの事情だけでなぜ「迷惑者」呼ばわりをするのか、
そんな言い草はわがままじゃないかという考えの人がいて当然です。
逆に言えば、「そんなことを言ったら、誰にも親切にできないじゃん」という反論もあるでしょう。
しかし私は、きちんとした根拠があって言っているんですね。
薬の中には、「健常者が飲んではいけないもの」があるじゃないですか。
病んでもいないのに下手に飲んでしまうと、
栄養やら抗体やらのバランスが崩れてしまい、
かえって健康を損ねてしまうんです。
「頼んでもいないのに世話を焼く」というのも、
実はこれと一緒なんですね。
「とりたてて不満もない、毎日楽しい、平和な生活です」と言っている人に、
「いやいやあなたはまだ幸せになれる、そんな程度で満足しているようでは損ですよ」と言ったら、
一体どうなるか。
まずこの2人が仲良くなることは不可能だということは、ハッキリとしていますよね。
幸も不幸もその人の心が決めているものなのに、
相手の粗を探して「不幸な人」だと勝手に決め付けているわけです。
「間に合っている」という人にものを言うならば、
「あなたはよくやっているけど、こういう改善点がある」といった、
相手を肯定的に見るという前提があって、はじめて相手も受けとってくれるというものです。
ただ、相手が「余計なお世話です」と言ってくれるなら、まだ救いがある。
問題は、相手が「いい人」の場合です。
「そっかあ、この人も好意で言ってくれているんだな」と、
自分を「どこかおかしい人」と思い、
自分に対してしなくてもいいような粗探しをしてしまう。
その結果として自分を見失ってしまい、
ここに「助けてあげなきゃいけない人」の一丁あがり、となってしまうのです。
「ことだま(言霊)」という言葉はよく使われていますが、
「あなたは異常です」と言われ続ければ、
誰だって自分に対する疑いの目を、強めてしまいます。
困っていない人に、困っているかのように接するのは、
相手を呪っているのと寸分変わりません。
相手が強がっているのかもしれない。
困っていても、自力で解決したいのかもしれない。
あるいは、特定の誰かでないと救えないことかもしれない。
本当に誰かに親切やお世話をしたいなら、相手のニーズも読まずに気持ちを押し付けることは、
ただのエゴであるばかりか、相手を弱らせるだけだと知るべきです。
せっかくの親切心。
あたたかい気持ちを振り向けるにも、
その効果があるかないかを知らないのはもったいないことです。
親切心を親切に使うこと、
この心掛けが大切なのです。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
やたら世話を焼きたがる人。
こういう人がなぜ迷惑なのか、考えたことはありますか!?
こちらが弱っていたり、助けや協力が必要な場合、
力を貸してくれる人というのは、とても大切な存在に違いありません。
しかし、こちらの事情だけでなぜ「迷惑者」呼ばわりをするのか、
そんな言い草はわがままじゃないかという考えの人がいて当然です。
逆に言えば、「そんなことを言ったら、誰にも親切にできないじゃん」という反論もあるでしょう。
しかし私は、きちんとした根拠があって言っているんですね。
薬の中には、「健常者が飲んではいけないもの」があるじゃないですか。
病んでもいないのに下手に飲んでしまうと、
栄養やら抗体やらのバランスが崩れてしまい、
かえって健康を損ねてしまうんです。
「頼んでもいないのに世話を焼く」というのも、
実はこれと一緒なんですね。
「とりたてて不満もない、毎日楽しい、平和な生活です」と言っている人に、
「いやいやあなたはまだ幸せになれる、そんな程度で満足しているようでは損ですよ」と言ったら、
一体どうなるか。
まずこの2人が仲良くなることは不可能だということは、ハッキリとしていますよね。
幸も不幸もその人の心が決めているものなのに、
相手の粗を探して「不幸な人」だと勝手に決め付けているわけです。
「間に合っている」という人にものを言うならば、
「あなたはよくやっているけど、こういう改善点がある」といった、
相手を肯定的に見るという前提があって、はじめて相手も受けとってくれるというものです。
ただ、相手が「余計なお世話です」と言ってくれるなら、まだ救いがある。
問題は、相手が「いい人」の場合です。
「そっかあ、この人も好意で言ってくれているんだな」と、
自分を「どこかおかしい人」と思い、
自分に対してしなくてもいいような粗探しをしてしまう。
その結果として自分を見失ってしまい、
ここに「助けてあげなきゃいけない人」の一丁あがり、となってしまうのです。
「ことだま(言霊)」という言葉はよく使われていますが、
「あなたは異常です」と言われ続ければ、
誰だって自分に対する疑いの目を、強めてしまいます。
困っていない人に、困っているかのように接するのは、
相手を呪っているのと寸分変わりません。
相手が強がっているのかもしれない。
困っていても、自力で解決したいのかもしれない。
あるいは、特定の誰かでないと救えないことかもしれない。
本当に誰かに親切やお世話をしたいなら、相手のニーズも読まずに気持ちを押し付けることは、
ただのエゴであるばかりか、相手を弱らせるだけだと知るべきです。
せっかくの親切心。
あたたかい気持ちを振り向けるにも、
その効果があるかないかを知らないのはもったいないことです。
親切心を親切に使うこと、
この心掛けが大切なのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます