最近、オレンジ新棟の側で、快晴の日に何やらザルに入れられて干されているものがある。目ざとい者は、ザルを覗き込み、首をかしげた。
中に入っているのは、千切りゴボウらしきものである。誰が、何のために置いているのか。自分たちに、心当たりがないため、オレンジのスタッフ間では密かな謎となっていた。
そんな秋空の日。高階病院長は午後の散歩という名の、院外施設チェックをした。春の桜並木も見がいがあるが、秋の紅葉も美しい東城大学医学部だった。
オレンジ新棟から裏の赤煉瓦校舎へと続く道沿いには、桜以外にもいろいろな広葉樹が植えられているため、秋は紅葉が見事だった。最近は温暖化とかで、紅葉がどんどん年末へと移動しているが、そろそろ秋を感じたいのは、いい加減、暑さにうんざりしているためだ。
「いつになったら、涼しくなるんですかねぇ。もう、お彼岸ですよ」
などと、独り言を呟きつつ、一人で小径を抜けて、オレンジ新棟の裏に出た。
「この辺りには昔、学生が作った近道があったんですけど、最近は毛虫に脅されながらがんばる強者がいなくなりましたねぇ。あの毛虫、実は無害なんですよね。花壇が荒れないように、当局と獣医学部が結託して、無害で大人しい幼虫を置いていたんですよねぇ。しかも、朝から放して、夕方、回収していたですよねぇ」
と、誰かが聞いたら、えーっと言うようなことをぼやいていた。そのフットワーク軽く歩いていた高階病院長の足が、例のザルの前で止まった。
「これは何ですか?」
躊躇なく、ザルを手に取ると、千切りの一片を手に摘み、くんくんと匂いをかいだ。
「誰が、何のために置いているのでしょう。ザルには名前が書いてありません」
いや、普通、ザルに名前は書かないだろう。
「…誰かの忘れ物でしょうか? それとも、何かの実験でしょうか? それにしても、食べものをこんな所に放置してはいけませんねぇ」
などと、ぶつぶつ呟くと、高階病院長はザルを手にしたまま、院内PHSを取り出した。
などと、ぶつぶつ呟くと、高階病院長はザルを手にしたまま、院内PHSを取り出した。
「…お忙しいところを済みませんが、お手があきましたら、必ず、院長室までお願いします。いえいえ、無理難題ではありませんよ」
にっこりと笑いながら、電話を掛けた。
「今度は何だろう…」
どーんと暗い顔で、神経内科のお地蔵様こと、田口公平は院内電話の受話器を降ろした。
「どうされました?」
心配顔で、藤原が田口に尋ねた。
「病院長が手が空いたら、院長室まで来て欲しいとのことです。今度は何だろう。…今、院内に変な噂はないですよね」
田口は藤原に縋った。
「特には、聞きませんが?」
藤原も首を捻る。トラブル解消に田口が駆り出されるときには、事前に藤原の耳に届いていることが多い。(というか、届いている。)
「何か、お土産や頂き物のお裾分けとかではないのですか? 日頃、田口先生ががんばっていらっしゃるので…」
「そうでしょうか…」
病院長の狸具合を知りすぎている田口は、お裾分けなどでいまだかつて院長室に呼ばれたことないのを知っている。なので、今回も戦々恐々のあまり、胃が痛くなり始めるのだった。
コンコン。田口はわざと患者と患者の面接時間のすき間を縫って、病院長室に向かった。
「どうぞ」
「失礼します。病院長。診察の間を抜けてきたので、手短に用件をお願いいたします」
きっはりと、病院長が口を開く前に、田口は宣言した。
「…さっさと逃げる魂胆ですか? 田口先生らしくない、こそくな手段ですね」
「そうではなく、本当に時間が無いんです」
一筋縄でいかない高階病院長。今日も、したたかっだった。
「まあ。田口先生は我が病院でも一、二を争うほど人気の先生ですから、仕方ありませんね。
実は先ほどオレンジ新棟の近くでこんなものを拾いまして、このようなものが敷地内に放置してあるのは、危機管理上問題だと思ったものですから、こうして田口先生にご連絡をと思いまして…」
と、おもむろに、田口の前にザルを一個置いた。
「これ、何だと思いますか?」
「ザルと…、ゴボウですか?」
「そうです。これをオレンジの直ぐ裏で見つけたのですが、単なる落とし物か。誰が、何のために置いているものかわからなくてですね。爆発などの危険性はないと思いますが」
などと、高階が説明を始めた。田口は高階の話を適当にスルーしながら、ザルをチェックする。こんなものの処理は田口が担当ではないが、意味不明のものが院内で発見された場合、なぜか田口の元に届けられ、調査の依頼が来る。先日など、外来病棟を散歩する巨大なグリーン・イグアナが発見され、なぜか田口が捕獲隊長に任命されて、大騒ぎした。
「これ…、何となくうちのザルに似ているような気がするんですけど。このかじり跡、これはたぶんありすの歯形なような。でも、そうしたら、なぜオレンジでゴボウが入って、置いてある?」
自分の呟きで、一気に形勢不利に陥った田口だが、本人は気づいていない。
「…ザルは自分では歩いたりしませんから、誰かが持って来たということですよね」
冷たく、高階に突っ込まれて、慌てて田口は自分に容疑がかかっているのに気づく。
「……私は持って来ていません。それに、これがうちのザルだと、断言できませんし…」
必死で自己防衛を試みるが、
「田口先生。私は先生のそのような勘が外れないのを知っていますよ」
きらっと、高階の目が光った。
「…私は持って来ていませんし、ゴボウを入れる理由なん…て…。ん? ゴボウ?」
「ゴボウがどうしました?」
すかさず、高階に突っ込まれる。
「最近、速水がゴボウ茶にはまっていたのを、思い出しました」
「ゴボウ茶?」
「はい。体にいいとかで、近頃、オレンジの看護師さんの間でブームだとか。だとしたら、これでオレンジの誰かがゴボウ茶を自作しているとか?」
名探偵コナン並みの推理が閃いた田口。
「では、それを元の場所に置いて、誰が取りに来るか待てば、持ち主が分かるはずです」
「さすが、田口先生。では、さっそく誰が取りに来るか調べてください。対策はその後ですね」
にっこり、腹黒狸が微笑んだ。
「…ちょっと、病院長。私が張り込むんですか? 私にはこの後、患者さんとの約束が…」
「では、その間は、私が見張っていましょう」
「……お願いします…」
田口は病院長に取りあえずの見張りを頼むと、一目散に愚痴外来に戻り、ことの顛末を藤原に伝えた。
「何で、私がザルの持ち主を張り込まなくてはいけないんですか? だいたい病院長は、私を落とし物係と勘違いしていませんか? この間のイグアナだって…」
患者のカルテをチェックしながら、田口は藤原にぼやいた。これぐらいは藤原に愚痴っても許されるだろう。
「今日の病院長はそのまま放っておいていいと思いますよ? ご本人もそのつもりでしょうから。それに何かあれば、田口先生に直ぐ連絡が来ますよ」
「それで…大丈夫でしょうか?」
「ええ。大丈夫です」
いつになく強気の藤原に田口は不安を感じつつも、次の患者との面談時間になったため、そのままにすることにした。
「では、また、次にお会いするのをお待ちしています」
と、田口が愚痴外来の患者を見送って、ようやく一息ついたとき、白衣の胸ポケットに入れてあるPHSが鳴り始めた。
「はい、不定愁訴外来の田口です」
「行灯! 俺を助けに来い。今すぐにだぞ!」
「おい! 速水! 何だって?」
電話は直ぐに切れた。
誰が、誰を助ける? 速水? 何があったんだ? 意味が分からないまま、折り返し、田口は速水を呼び出した。
「速水、お前、どこにいるんだ?」
「オレンジの外壁付近」
今度は電話は切れなかった。
「壁?」
田口は首を捻った。
「…犯人は速水先生でした」
速水のPHSから、速水ではない声がした。
「え? 高階先生?」
「そうです。ザル事件の犯人は速水先生でした」
速水が犯人? ますます、田口は首を捻った。
「はあ…。よく分かりませんが、取りあえず、オレンジに行きます」
田口はそう返事をすると、急いでオレンジ新棟へと向かった。
速水は外にいるかもしれないと思いつつ、取りあえず、オレンジ一階へに行くと…。勝手知ったるスタッフが無言でセンター長室を視線で指示する。
恐る恐るドアノブを回すと、病院長に首根っこを捕まれ、ザルを手にしたまま、説教されている速水がいた。
「お前、何しているんだ?」
と、速水に尋ねれば、
「あんどーん、助けてー」
情けなく、速水が涙目で訴えた。小柄な高階に首根っこを捕まっている速水の姿は、とても滑稽だったが、ここで田口が大笑いしたらあとが怖いので、あえて難しい顔をして笑いをごまかす。
「助けてじゃないだろう。ところで、これ、何?」
「ゴボウの天日干し」
「それは見れば、分かるけれど…」
予想以上の即答に、田口は犯人は速水だと確信した。というのも、実は二週間ほど前、近所のスーパーで仲良く買い物をしたとき、速水が市販のゴボウ茶をいたく気に入ってカゴに入れた。が、支払うときに、田口が思っていたよりゴボウ茶は少量で高価だとわかり、次回からは購入しないと思った。
だが、ゴボウ茶にこだわる速水はどうしてもゴボウ茶が飲みたいようで、ちょっとした家庭内騒動に発展した。そこで田口は生ゴボウをスライサーでスライスして、天日に干して、フライパンで煎れば簡単にゴボウ茶ができるというのを知り、速水に「簡単だから、自分で作ればー」と言ったのだ。
実際、田口は自分で作ってみた。思った以上に美味しくできて、もっぱら田口はお茶にせず、乾燥したゴボウをそのまま、ぽりぽりとかじっている。ちなみに、ありすも大好きで、秋の夜長に小腹が空いたら二人で、干し煎りゴボウをぽりぽり食べていた。
「ゴボウをスライスするのは、結構面白いし、でもって、天日に干せば、それでけっこう美味しいし、腹の足しになるし、カロリーが低くて食物繊維も多いから、からだに優しいし…、ごにょごにょ」
言い訳をする将軍は、意外とかわいい。大きな体を小さくして、必死で田口の機嫌を損なわないようにしている。別に田口はゴボウ茶を買うなと入っていない。買うなら、自分の小遣いで買ってね。とは言ったが。(ちなみに、将軍の小遣いは決して少額ではない。田口の名誉にかけて言っておくが)
「とは言っても、勤務時間に、ゴボウのスライスはお勧めしないが…」
「いや。夜勤の間に作っておいて、朝から干しておくと、夕方には乾燥しているから…」
「…まあ、エコではあるけどな。ゴボウはどうやって手に入れた?」
「食堂のおじさんに頼んで貰った」
「スライサーは?」
「ああ? マイ・メスで削った」
「……」
「さすがに、ザルだけは見つからなくて、うちのを持って来た。けどな、初めは、ヘリポートの隅に置いていたんだが、ヘリの風圧で全部飛ばされてしまうから、オレンジの外にこっそり置くしかなかったんだ」
「……確かに、へりの風は強いよなぁ」
開いた口が塞がらないとは、このことだと田口は思った。怒っていいのやら、笑っていいのやら、もう訳が分からない。
「外科医は手先が器用ですし、臨機応変な対応が得意ですからねぇ」
高階が意味不明のことを言ので、田口は視点が違うだろうと、高階に突っ込みたいが、ここは黙っておくことにした。海千山千の外科医二人を相手にして、自分が口で勝てるとは思えない。今日は『沈黙は金』作戦である。
「とにかく、無事ザルの持ち主は見つかったことですし…。速水は私の部下ではなく、高階先生の管轄ですから、後はよろしくお願いします」
田口は高階に向かって、きっちり頭を下げると、回れ右をして、二人の声を聞く前に部長室から逃げた。廊下に出た途端、PHSの電源を切る。これは本当はしてはいけないことだが、速水などと違い、滅多に病棟や外来から緊急で呼び出されることのない田口はだからこそできる『雲隠れの術』だ。
あの二人に付き合っていたら、どんな理不尽な要求を押しつけられるか。田口は嫌というほど知っている。とっとと自分の城に逃げて、藤原の壁を築かなくては危ない。
脱兎のごとく逃げた田口を見送った高階は、「私もそろそろ戻ります」と言うと、本館へ戻るべくオレンジ新棟との連絡通路へと向かった。
大人しく見送りに付いてくる速水に、高階は「最近、田口先生は逃げ足が速くなってなかなか捕まらなくなって困っています」とぼやいた。
それに速水は「高階さんが行灯に変な絡みかたをするから、変な知恵が付いて、素直じゃなくなった」とぼやいた。
「別に私は田口先生に、私的な絡みなどしていません。この病院のために、田口先生に働いて貰っているのですよ。あなたこそ、もう少し、大人になってくれなくては、田口先生のストレスが増えるではないですか」
ここぞとばかりに、高階が速水を攻撃する。
「私は行灯にストレスなど与えていません」
「いいえ。今回の件にしても、あなたがきちんとザルに名前を書いていれば、こんなことにならなかったのです。自分の持ち物には、名前を書きましょうと、小学校でしっかり習ったでしょうに、どうして守れないのですか?
事務長も、常日頃から、私物には名前の記入を、と言っていますよ。
それだけでなく、所定の場所以外には私物は置かないようにしてください。昨今、病院内も何かと物騒ですので、爆破予告が届いた付属病院もあるそうですから」
「確かに…。すみません、これから私物には名前を書いておきます」
正論をぶつけられたら、さすがに速水も大人しい。もっとも、高階に速水が逆らえるとは思えないが…。
「最近はパソコンで名前シールも簡単に作れるそうですから、田口先生に作っていただいたらいいかもしれませんね」
「それはいい案ですね」
そんな二人の後ろを付いて行きながら、救命救急センター副部長代理の佐藤は、“俺の上司は、おとなの皮を被った幼稚園児だ”と思い、速水に名前シールなどといういらん知恵を付けた病院長に“なんで田口先生にプレッシャーを与えるようなことをするんだろう”と思ったのだった。
鎮痛剤にアレルギーがあるので、市販の湿布を貼って今日は過ごしています。
ところで、ストロベリーナイトの特典おもしろ映像はありましか? ジェネラル・ルージュではイメージを崩さないような映像だったと思いますが…(すでに忘れている…)。
それにしても、今日は寒いです(^^;)。
ネタに気づく暇が欲しいなぁ。