今回から、しばらく総集編の将棋部編をお送りします。
+++++
本論に入る前に、2004年度の神将を説明する必要があると思いますので、
まずは前年度の解説から。
当時の神将は数年前の全盛期を知る4回生陣が主力。
B級でも上位を狙える位置にいましたが、
いかんせん、一軍戦当日の集まりが悪く
(1回生も含めて7、8人しか集まらなかった)、
神将は前年度の春にC級に降級してしまいました。
当時の僕は幽霊部員状態で、大会には参加しませんでしたが、
OBのでかうーぴんさんの日記を読んで、
部の人たちに迷惑をかけてしまったと後悔しました。
この時のことは今でも申し訳無い気持ちでいます。
以来、大会には必ず参加することにしています。
このままではダメだ、という反省もあり、
C級で戦うことになった秋の一軍戦は
ほとんどのレギュラーメンバーが集まりました。
その当時の模様は、OBのおすぎさん、
でかうーぴんさんの日記を読んでもらえればいいかと思います。
1回生の育成も視野に入れた布陣だったため、
けっこうギリギリで昇級することになり、
途中はかなり冷や冷やしていましたが、
優勝した瞬間は本当にうれしかったです。
+++++
さて、B級に戻ったのはいいとして、
それまでの主力だった4回生陣が卒業することになり、
再び神将は戦力的にピンチに立たされます。
4回生陣が抜けた後にB級でも十分に戦えると考えられていたのは、
橋本、礒川、藪本、穂満、正司の5人でしたが、
橋本氏はこの当時はあまり部の活動に参加していなかったため、実質4人。
人数が集まらずC級落ちしてしまった春と戦力的には大差ありません。
このままではさすがにまずいと思いました。
この事態を打開するには、
1,2回生が強くなるしかありません。
と、いうことで、年度の終わり頃から、
1回生と穂満新部長を中心として、自主練を行うようになりました。
週1の活動日だけではさすがに練習量が不足しているため、
それに加えて週1,2で学生会館のロビーに陣取り、
来訪した部員で集まって指していました。
今と比べればあまり質の高い将棋を指していたとは言い難いですが、
それでもその甲斐があってか、1回生陣は
入部した当初とは見違えるように強くなりました。
それでも公式戦で結果を上げるにはまだまだで、
1,2回生がチームの中心となった最強校戦・キリン団体戦は、
二つともブービー賞となってしまい、
先行きの厳しさを痛感させる結果となってしまいました。
そうこうしているうちに、
待ちに待った新人勧誘の季節が巡ってきました。
いてもたってもいられなくなり、
入学手続きの日に勧誘のビラを配りに行ったり、
将棋部の宣伝に努めました。
そして、4月に入り、新歓祭当日を迎えることになります。
+++++
ちなみに、今となってはおなじみになった
ネットリーグ「じょんいる杯」は、
この年から始まりました。
OBの茶坊主さんが棋戦を立ち上げ、
多くの神将部員がそれに参加しました。
それまで幽霊部員同然だった僕もこの棋戦に参加したことで、
神将になじむきっかけをつかむことができました。
主催者の茶坊主さんならびに、
快く僕を向かいいれてくれた先輩の方々には、
感謝の気持ちでいっぱいです。
+++++
なお、この時期、個人的に重要だった出来事としては、
連盟理事就任が決まったことです。
いきなり決まったのでびっくりしましたが、
やるからには全力を尽くそうと思いました。
最強校戦が終了して、その帰り道、
新理事長の松井さんに理事として必要なことを質問してみたところ、
「他大学の主要選手の名前を覚えておけば、何かと便利だよ」
とアドバイスをもらいました。
そのこともあって、年度の変わり目の頃は、
連盟や他大学の機関誌やHPを閲覧するなどして、
情報収集に努めていました。
他大学の情報収集のやり方はもちろん、
団体戦での偵察やオーダー戦術の考え方、
「他大学と交流を進めるべきだ」などの考え方は、
この当時に形成されたものです。
情報収集の傍ら、
目に止まった学生棋界関係者の文章は片っ端から読んでいきました。
とりわけ、僕が愛読したのは、
OBの勢田さんの書いたエッセイ「ねおん」と、
大阪府立大のwebページの日記、
平成13年度版の「縮図」などです。
これらは僕の将棋部に対する考え方や、
連盟理事の仕事に対する考え方について、
大きな影響を与えてくれました。
学生棋界を知れば知るほど、
その世界の面白さにのめりこんでいった気がします。
そのことで「いつかA級に昇級したい」という思いも強くなりました。
「まったりしたいから」という理由で将棋部に入部したのに、
今から思えば、よくまぁここまで変わったなぁと苦笑せざるをえません。
僕がこうなったきっかけは、
この時期の将棋部が逆境だったからかもしれません。
順調だったら、恐らく部に定着せず、
今頃は帰宅部だったことでしょう。
運命の巡り合わせって不思議だなと思います。
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本論に入る前に、2004年度の神将を説明する必要があると思いますので、
まずは前年度の解説から。
当時の神将は数年前の全盛期を知る4回生陣が主力。
B級でも上位を狙える位置にいましたが、
いかんせん、一軍戦当日の集まりが悪く
(1回生も含めて7、8人しか集まらなかった)、
神将は前年度の春にC級に降級してしまいました。
当時の僕は幽霊部員状態で、大会には参加しませんでしたが、
OBのでかうーぴんさんの日記を読んで、
部の人たちに迷惑をかけてしまったと後悔しました。
この時のことは今でも申し訳無い気持ちでいます。
以来、大会には必ず参加することにしています。
このままではダメだ、という反省もあり、
C級で戦うことになった秋の一軍戦は
ほとんどのレギュラーメンバーが集まりました。
その当時の模様は、OBのおすぎさん、
でかうーぴんさんの日記を読んでもらえればいいかと思います。
1回生の育成も視野に入れた布陣だったため、
けっこうギリギリで昇級することになり、
途中はかなり冷や冷やしていましたが、
優勝した瞬間は本当にうれしかったです。
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さて、B級に戻ったのはいいとして、
それまでの主力だった4回生陣が卒業することになり、
再び神将は戦力的にピンチに立たされます。
4回生陣が抜けた後にB級でも十分に戦えると考えられていたのは、
橋本、礒川、藪本、穂満、正司の5人でしたが、
橋本氏はこの当時はあまり部の活動に参加していなかったため、実質4人。
人数が集まらずC級落ちしてしまった春と戦力的には大差ありません。
このままではさすがにまずいと思いました。
この事態を打開するには、
1,2回生が強くなるしかありません。
と、いうことで、年度の終わり頃から、
1回生と穂満新部長を中心として、自主練を行うようになりました。
週1の活動日だけではさすがに練習量が不足しているため、
それに加えて週1,2で学生会館のロビーに陣取り、
来訪した部員で集まって指していました。
今と比べればあまり質の高い将棋を指していたとは言い難いですが、
それでもその甲斐があってか、1回生陣は
入部した当初とは見違えるように強くなりました。
それでも公式戦で結果を上げるにはまだまだで、
1,2回生がチームの中心となった最強校戦・キリン団体戦は、
二つともブービー賞となってしまい、
先行きの厳しさを痛感させる結果となってしまいました。
そうこうしているうちに、
待ちに待った新人勧誘の季節が巡ってきました。
いてもたってもいられなくなり、
入学手続きの日に勧誘のビラを配りに行ったり、
将棋部の宣伝に努めました。
そして、4月に入り、新歓祭当日を迎えることになります。
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ちなみに、今となってはおなじみになった
ネットリーグ「じょんいる杯」は、
この年から始まりました。
OBの茶坊主さんが棋戦を立ち上げ、
多くの神将部員がそれに参加しました。
それまで幽霊部員同然だった僕もこの棋戦に参加したことで、
神将になじむきっかけをつかむことができました。
主催者の茶坊主さんならびに、
快く僕を向かいいれてくれた先輩の方々には、
感謝の気持ちでいっぱいです。
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なお、この時期、個人的に重要だった出来事としては、
連盟理事就任が決まったことです。
いきなり決まったのでびっくりしましたが、
やるからには全力を尽くそうと思いました。
最強校戦が終了して、その帰り道、
新理事長の松井さんに理事として必要なことを質問してみたところ、
「他大学の主要選手の名前を覚えておけば、何かと便利だよ」
とアドバイスをもらいました。
そのこともあって、年度の変わり目の頃は、
連盟や他大学の機関誌やHPを閲覧するなどして、
情報収集に努めていました。
他大学の情報収集のやり方はもちろん、
団体戦での偵察やオーダー戦術の考え方、
「他大学と交流を進めるべきだ」などの考え方は、
この当時に形成されたものです。
情報収集の傍ら、
目に止まった学生棋界関係者の文章は片っ端から読んでいきました。
とりわけ、僕が愛読したのは、
OBの勢田さんの書いたエッセイ「ねおん」と、
大阪府立大のwebページの日記、
平成13年度版の「縮図」などです。
これらは僕の将棋部に対する考え方や、
連盟理事の仕事に対する考え方について、
大きな影響を与えてくれました。
学生棋界を知れば知るほど、
その世界の面白さにのめりこんでいった気がします。
そのことで「いつかA級に昇級したい」という思いも強くなりました。
「まったりしたいから」という理由で将棋部に入部したのに、
今から思えば、よくまぁここまで変わったなぁと苦笑せざるをえません。
僕がこうなったきっかけは、
この時期の将棋部が逆境だったからかもしれません。
順調だったら、恐らく部に定着せず、
今頃は帰宅部だったことでしょう。
運命の巡り合わせって不思議だなと思います。
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