「失敗と模索」
二昨年前にC級から這い上がり、
前年はB級での現状維持に成功した神将だったが、
この年の神将は大きな挫折を味わうことになった。
春の一軍戦でのC級陥落。
二昨年前のレギュラーが集まらなかったがためのC級陥落とは意味が異なり、
実力の不足でC級に陥落してしまったことは
部員にも少なからぬショックを与えた。
オーダーがまずかったことや、
選手情報を部員に伝えきれていなかったとか、
様々なミスもあったが、
それを跳ね返す力も当時の神将には不足していた。
その年は、これまで幽霊部員状態だった橋本が部に復帰した一方、
神将を戦力面で支えてきた磯川、薮本の二人が抜け、
既存の戦力は昨年の秋からあまり伸長したとはいい難く、
即戦力級の有力新人も加入しなかった。
しかも、他大学は軒並み有力な新人が加入していたため、
相対的にも神戸大学将棋部の実力は大きく低下していた。
この状態では秋の一軍戦でB級に復帰することも覚束無いと、
私は危惧した。
そんなこともあって、この年は昨年から取ってきた方針に加えて、
より他大学との交流を密にすることによって部員に刺激を与え、
部の全体の力を高めていこうとした。
定期的に行う自主練、大阪府立大学との交流戦、
機関誌の発刊など様々なものがあったが、
一番大規模だった企画が
大阪大学、関西大学、神戸大学、近畿大学の
四大学を中心とする合同合宿である。
昨年まで付き合いの深かった関西大、近畿大に加えて、
この年に大きく躍進した大阪大学と一緒に合同で合宿を行ったことは、
部員にも大きな刺激になったと思う。
他大学と積極的に交流しようとする部員が少数だったことが少し寂しかったが、
徐々に交流に積極的な動きが出てきていることは素直にうれしかった。
上に掲げた方策が実ってか、
秋には部全体の力も大きく高まっているように感じた。
とりわけ、この年は1回生がよくがんばっていたと思う。
中でも、入部当初は初心者だった宮本君が、
レギュラークラスにまで棋力を高めたことはうれしかった。
1回生が元気に活動しているかどうかは、
将棋部の活力の一つの指標であると私は考えているが、
その意味でこれまでに無い手応えを感じていた。
そんな中で臨んだ秋の一軍戦では、優勝こそ逃したものの、
入れ替え戦の末B級に復帰することができた。
皆が「B級に復帰しよう」という意識を共有し、
切磋琢磨した時期があってこそ、チーム全体でつかみ取れた勝利だと思う。
入れ替え戦で勝った時の喜びの大きさは格別だった。
結果的に、B級→C級→B級とプラスマイナスゼロの結果に落ち着いたが、
部としては貴重な経験をした年だったと思う。
棋力という点ではまだまだのレベルだが、
チームワークの良さという点では、
この年は私が入学したどの年よりも良かったと思う。
春の失敗も、将来の発展のためのコストとプラスに考えて、
後輩たちに教訓を伝えていきたい。
+++++
この年はもう一つ大きな変化があった。
副部長の私が音頭を取る形で、
部内の様々な企画を進めていったことによって、
将棋部の組織の力関係が大きく変わることになった。
これまでの神将はどちらかというと伝統的に部長の権限が強く、
部長のリーダーシップの下で部が動いていくスタイルを取っていたが、
この年はそうしたシステムが機能しなかった。
部長が部内でリーダーシップを発揮することはあまり無く、
いつからか、部の仕事の多くが副部長の私のところに裁可を仰ぐ形になっていた。
他大学でも、私が部長だと思っていた人も少なからずいたようだ。
当時の部長が他大学の人に「一応、部長をしています」と話しているのを聞いて、寂しい気分になったのが今でも思い出される。
この年から、
部長職は「大学に対する部の代表。部内の調整役」として、
副部長(あるいは主将)は、
「部内の棋力を底上げするための様々な企画を行う仕事。大会の時のキャプテン」
として、役職を分離する動きが見られてきた。
今年に入ってその傾向はやや薄れているが、
それでも、以前と比べれば
部長はあくまで調整役に徹しており、
部長本人がリーダーシップを発揮する場面は少なくなっていると思う。
「部がうまく回っていくなら、それでもいいんじゃない?」
と、部員も概ね今の体制には好意的なように感じているが、
今後もその傾向が続くのか、続けるべきなのかは、
考察する必要のある課題だ。
二昨年前にC級から這い上がり、
前年はB級での現状維持に成功した神将だったが、
この年の神将は大きな挫折を味わうことになった。
春の一軍戦でのC級陥落。
二昨年前のレギュラーが集まらなかったがためのC級陥落とは意味が異なり、
実力の不足でC級に陥落してしまったことは
部員にも少なからぬショックを与えた。
オーダーがまずかったことや、
選手情報を部員に伝えきれていなかったとか、
様々なミスもあったが、
それを跳ね返す力も当時の神将には不足していた。
その年は、これまで幽霊部員状態だった橋本が部に復帰した一方、
神将を戦力面で支えてきた磯川、薮本の二人が抜け、
既存の戦力は昨年の秋からあまり伸長したとはいい難く、
即戦力級の有力新人も加入しなかった。
しかも、他大学は軒並み有力な新人が加入していたため、
相対的にも神戸大学将棋部の実力は大きく低下していた。
この状態では秋の一軍戦でB級に復帰することも覚束無いと、
私は危惧した。
そんなこともあって、この年は昨年から取ってきた方針に加えて、
より他大学との交流を密にすることによって部員に刺激を与え、
部の全体の力を高めていこうとした。
定期的に行う自主練、大阪府立大学との交流戦、
機関誌の発刊など様々なものがあったが、
一番大規模だった企画が
大阪大学、関西大学、神戸大学、近畿大学の
四大学を中心とする合同合宿である。
昨年まで付き合いの深かった関西大、近畿大に加えて、
この年に大きく躍進した大阪大学と一緒に合同で合宿を行ったことは、
部員にも大きな刺激になったと思う。
他大学と積極的に交流しようとする部員が少数だったことが少し寂しかったが、
徐々に交流に積極的な動きが出てきていることは素直にうれしかった。
上に掲げた方策が実ってか、
秋には部全体の力も大きく高まっているように感じた。
とりわけ、この年は1回生がよくがんばっていたと思う。
中でも、入部当初は初心者だった宮本君が、
レギュラークラスにまで棋力を高めたことはうれしかった。
1回生が元気に活動しているかどうかは、
将棋部の活力の一つの指標であると私は考えているが、
その意味でこれまでに無い手応えを感じていた。
そんな中で臨んだ秋の一軍戦では、優勝こそ逃したものの、
入れ替え戦の末B級に復帰することができた。
皆が「B級に復帰しよう」という意識を共有し、
切磋琢磨した時期があってこそ、チーム全体でつかみ取れた勝利だと思う。
入れ替え戦で勝った時の喜びの大きさは格別だった。
結果的に、B級→C級→B級とプラスマイナスゼロの結果に落ち着いたが、
部としては貴重な経験をした年だったと思う。
棋力という点ではまだまだのレベルだが、
チームワークの良さという点では、
この年は私が入学したどの年よりも良かったと思う。
春の失敗も、将来の発展のためのコストとプラスに考えて、
後輩たちに教訓を伝えていきたい。
+++++
この年はもう一つ大きな変化があった。
副部長の私が音頭を取る形で、
部内の様々な企画を進めていったことによって、
将棋部の組織の力関係が大きく変わることになった。
これまでの神将はどちらかというと伝統的に部長の権限が強く、
部長のリーダーシップの下で部が動いていくスタイルを取っていたが、
この年はそうしたシステムが機能しなかった。
部長が部内でリーダーシップを発揮することはあまり無く、
いつからか、部の仕事の多くが副部長の私のところに裁可を仰ぐ形になっていた。
他大学でも、私が部長だと思っていた人も少なからずいたようだ。
当時の部長が他大学の人に「一応、部長をしています」と話しているのを聞いて、寂しい気分になったのが今でも思い出される。
この年から、
部長職は「大学に対する部の代表。部内の調整役」として、
副部長(あるいは主将)は、
「部内の棋力を底上げするための様々な企画を行う仕事。大会の時のキャプテン」
として、役職を分離する動きが見られてきた。
今年に入ってその傾向はやや薄れているが、
それでも、以前と比べれば
部長はあくまで調整役に徹しており、
部長本人がリーダーシップを発揮する場面は少なくなっていると思う。
「部がうまく回っていくなら、それでもいいんじゃない?」
と、部員も概ね今の体制には好意的なように感じているが、
今後もその傾向が続くのか、続けるべきなのかは、
考察する必要のある課題だ。
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