拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

必撮無眼流 〜 究極のプリント

2018年11月23日 | 必撮無眼流

久々の必撮無眼流であるが、これを生み出した経緯やらを考察しつつ・・・。

およそ35歳(1987)〜48歳(2000)の13年間ほど、写真活動を完全に休止していた。

51歳(2003)の時、それまでの観光ガイドという不規則な仕事から引っ越し屋に正社員として勤務することになり、週末土日休暇や生まれて初めてのバカンスなど規則正しい勤務体制にも慣れ、時間的余裕も若干できたことで少しずつ写真活動を再開することになった。

ただ、その時期というのが奇しくも写真界における大激震的変化の真っ最中であった。

2000年頃、写真は銀塩カメラで撮って、暗室作業を経て完成させるスタイルから、デジタルカメラで撮ってコンピューターを経て写真専用プリンターで完成させるというスタイルへ大きく移行する真っ只中であった。

それでも、ボクは昔通りアパートの物置的一畳間のスペースを『ラボ』と名付け、電気も配置して暗室を作り、週末などに写真を現像していたが、印画紙をはじめ現像用品が目に見えて写真用品店から激減する状態に一抹の不安をいだきつつの再開であった。

このころ、あるモノクロ写真展にでかけた時、写真家と誰かが写真について話しているのをそばで聞いていて驚愕したのは、モノクロフイルムをスキャナーでデジタル化してフォトショップで作業して自分のプリンターでプリントしたモノを展示している…という話であった。いまでこそ、ボク自身もその工程を当たり前のようにやっているが、その頃は信じられないような話だった。

それからだっただろうか?インターネットで日本の写真家達のブログを通して、激変する写真界の変遷期に悪戦苦闘しながらも前進する彼等から様々なことを学び、ボク自身のおよそ15年間のブランクを少なからず埋めることができ、2006年になって最初の一眼デジカメを買ってボクの写真デジタル化が始まったのである。

写真仲間が一人もいない中、まさに唯我独尊自己流の『必撮無眼流』が生まれた…。

と、前置きがものすご〜く長くなったが、要するに、これまで写真に関して受信一方であったが、今日のトピックは或いは発信することになるのでは?と思ったわけだ。

というのは、いままで見たこともない(単にボクだけが、遅れていたからかもしれないが)透明感抜群の仕上がりを見せるプリント法『Subligraphie』とここスイス仏語圏では名称しているものの存在についてである。

ボクも今回、試しにA2サイズにアルミ板にプリントしてもらったが、文句なしの出来栄え!これまで、写真の展示方法についていろいろ僕自身追求してきたが、見栄え、強度、軽さの点で写真の最終形態では?!と目下のところボクは思っている。

ただ、問題は料金なのだ。A2サイズで125フラン(12500円)と高いということ。

販売を目的に写真展を行うのであれば、仕上がりの点で素晴らしいのは間違いない。

店の主人の話ではこの手法はスイス国内でも彼のジュネーブ店だけ…だそうだ。

これから、写真の展示法もどんどん進展しそうだ。

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 -Imageの街- Vevey 2018 ・その1

2018年09月13日 | 必撮無眼流

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フォノグラフィ?だかなんだか知らないが物凄い臨場感に、俺は驚いた。

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妖しげな地下の一室に設置されるモニターにはわけのわからないパターン映像が…

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このぐらい徹底して遊んでくれると、こっちも楽しめる・・・

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 ヤバイ赤光線に『魔』がさすような雰囲気をかもしだす・・・今回は成功かも。

 

前回・2016年の『Image』展にはちょっとがっかりしたが、2008年から始まった2年おきの写真フェス『Imageの街』Veveyはやっぱり気になる写真フェスで今年で6回目をむかえたImageはやはり楽しみで、一昨日と昨日二日間で61展示19カ国、58名のアーティストによるタイトル『L'extravagance:常軌を逸したこと・不条理・非常識』の多分90%は見たと思う。

楽しかったし、いろいろ考えさせてくれる展示だったと思う。

この展示は8日から始まって9月30日まであるので、もう一度ゆっくり行ってみたい。

日本人で今野ふみこさんの作品もレマン湖岸の野外に展示されていた。

写真家が10人いたら、10通りの違う世界が現れる。今回は58人写真家がいるのだから

愉快だ。Vevey駅のホームに長さ5mの森山大道の1970年代と思われる『カメラのさくらや』なんかの看板のある東京のどこかの駅の朝の出勤風景、この頃は誰も携帯を持ってないのが面白い…、それと同じく大道のクジラのバルーンの巨大写真が駅の向かいにあるビルの壁に浮いていた。

 

 


 必撮無眼流 〜 袖触れ合うも他生の縁

2018年07月25日 | 必撮無眼流

 日本の40度の猛暑にくらべると、せせら笑うスイスの猛暑は30度である。
 年に数回しか使わない扇風機を昨夜は、寝る間際弱風で2時間にセットして寝入った。
 
 日本の家屋にはクーラーがあるとは言え、日中40度というのはちょっと冷や汗ものだ。
 30年ほど前東京に住んでた頃は、僕ら二間のアパートにはクーラーがなく、扇風機でしのいでいたのが懐かしいが
 今、日本で起きている猛暑は本当に異常で、いよいよ地球温暖化のつけを支払え!…と大地の母は抗議をしているのだろうか。
 昨日ギリシャの山火事がニュースになっていたが、今朝の時点で死者74人となっているという。スエーデンでも先日過去最悪の
 山火事があった。今年は北極圏でも32度を超える気温が観測されたようだが、尋常ではないことが地球規模で起きていることは間違いない。

 ニコルも今週からバカンスになり、昨日の朝、涼を求めいつもの湖畔の村へ散歩へ出かけると
 犬を連れた婦人の服に『度肝を抜かれ』そうになったが… なぜかボクは昔の映画『丹下左膳』を想起していた。

 そばに寄って、服に書いてある日本語短文を見、たぶんその意味も知らずに着ているであろうマダムを改めて見た時
 これは、見逃せない…と、写真を撮っていいですか?と、許可をもらったのがこの写真。

 

    丹下左膳の如く、不敵な笑みをたたえたマダム

 マダムによると、この服はローザンヌで買ったとのことで、『どんな事を書いてあるの?』と聞かれたので
 『袖触れ合うも他生の縁』と大胆な文字で目立っていたのが『安物買いの銭失い』をフランス語で説明してあげた。

 これだよなぁ〜・・・写真をやっていて楽しい瞬間というのは『袖触れ合うも他生の縁』!!

 

 


 必撮無眼流 ~ 袖触れ合うも他生の縁

2018年07月25日 | 必撮無眼流

 日本の40度の猛暑にくらべると、せせら笑うスイスの猛暑は30度である。
 年に数回しか使わない扇風機を昨夜は、寝る間際弱風で2時間にセットして寝入った。
 
 日本の家屋にはクーラーがあるとは言え、日中40度というのはちょっと冷や汗ものだ。
 30年ほど前東京に住んでた頃は、僕ら二間のアパートにはクーラーがなく、扇風機でしのいでいたのが懐かしいが
 今、日本で起きている猛暑は本当に異常で、いよいよ地球温暖化のつけを支払え!…と大地の母は抗議をしているのだろうか。
 昨日ギリシャの山火事がニュースになっていたが、今朝の時点で死者74人となっているという。スエーデンでも先日過去最悪の
 山火事があった。今年は北極圏でも32度を超える気温が観測されたようだが、尋常ではないことが地球規模で起きていることは間違いない。

 ニコルも今週からバカンスになり、昨日の朝、涼を求めいつもの湖畔の村へ散歩へ出かけると
 犬を連れた婦人の服に『度肝を抜かれ』そうになったが… なぜかボクは昔の映画『丹下左膳』を想起していた。

 そばに寄って、服に書いてある日本語短文を見、たぶんその意味も知らずに着ているであろうマダムを改めて見た時
 これは、見逃せない…と、写真を撮っていいですか?と、許可をもらったのがこの写真。

 
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    丹下左膳の如く、不敵な笑みをたたえたマダム

 マダムによると、この服はローザンヌで買ったとのことで、『どんな事を書いてあるの?』と聞かれたので
 『袖触れ合うも他生の縁』と大胆な文字で目立っていたのが『安物買いの銭失い』をフランス語で説明してあげた。

 これだよなぁ~・・・写真をやっていて楽しい瞬間というのは『袖触れ合うも他生の縁』!!

 

 


 ブレッソン〜フランク〜ドアノー

2018年06月13日 | 必撮無眼流

 先週の土曜(6月9日)Versoixベルソワというジュネーブ州の小さな町にある美術館 Boléro にて
 フランスの超有名な写真家 ロベルト・ドアノーの写真展と 孫娘クレモンティン・ドルディル監督の映画『パリが愛した写真家ロベルト・ドアノー永遠の3秒』
 の映画と孫娘さんの講演会が催されるというので、相方を誘って吹っ飛んで行ってきた。

 これだけの規模の写真展と映画がいち市町村の町レベルの美術館で無料で催されることに、まずビックラ!

 それと、孫娘のクレモンティンさんの屈託のない人柄にまず惹かれた。
 実際ドアノーの作品に彼女自身も子供時代の写真に何度も登場しているが、ドアノーの人間愛に満ちた作品から伝わるDNAをこの孫娘が確かに引き継いで
 いるのだナ〜という勝手な嬉しい感想をいだいたりした。

 ボク自身の写真に多大な影響を与えた写真家というと、20歳のころ買った重森弘淹著 『世界の写真家』に紹介されていた
 アンリ・カルティエ=ブレッソンやロバート・フランクなどが自分に一番ピッタリくるカッコイイ写真家としてボクの目に写った思い出がある。
 この本の中にはたぶんドアノーは紹介されていなかったように思う・・・。
 ロベルト・ドアノーはこの二人に比べると活動範囲がパリに集中したどこかローカルなイメージが当時はあった。

 あのころから40年以上経ているが、基本的にボクの写真に対する嗜好はほとんど変わっていない、と思う。
 人間の素晴らしさを一枚の写真で表現できる・・・そこに最大の魅力があると思うが、
 ドアノーの作品こそまさにそれを感じさせてくれるものだ。

 先月5月の誕生日に、義母がボクにくれたプレゼントが彼女が持っていたロベルト・ドアノーの写真集であった。

 その最初のページにドアノーの言葉が記されていた・・・
 『もし、イメージにたずさわるのなら、それについて話すな、書くな、分析するな、質問に答えるな…』 ・・・むむむ、深いね!!

 それと、孫娘に誰かが同世代のアンリ・カルティエ=ブレッソンとの関係を聞いたが
 『とくに晩年は非常に仲が良く、よく話をしていました』、とのことであった。

  ドアノーの自写像、鋭い目つきの裏にメロメロの表情が隠されている。『小柄で照れ屋』というところが一撮と共通点か?

  ドアノーの写真はどこの家庭にも一枚はあるのではないだろうか
  名もない被写体が醸し出すほのぼの感…はなんとも言えないの図(ボクの机の上の棚にいつもある絵ハガキの写真)


 カメラという道具

2018年05月25日 | 必撮無眼流

 写真学校で助手をしていた頃の話で
 デザイン科の若い女の子に頼んで野外で写真を撮らせてもらった時のこと、多分フイルム2,3本とったころ
 写真を撮っている最中に彼女が泣いた…というか、涙を流したのだ。
 不思議に思ったけど、ボクも彼女もその涙の理由はわからなかったと思う。
 そして、なんとなくその理由を知る必要もないように思えたものだ・・・。

 人の意識と意識が触れ合うとき、感動が起きた…のだろうと、単純なボクは思ったが

 あれから何十年もたった今
 ボクはまた量子論の『コペンハーゲン解釈』〜人間の意識の働き(観察)の有無によって、観察される電子の性質が変わる…という
 ボクにはチンプンカンプンであり、同時に『やっぱりね〜』と思われる科学的にいまだ解明されない高次の現象に思いがいたるのだ。

 カメラはそういった意味ではまさに、天が人に与えた素晴らしい『観察道具』だ。
 ボクの意識をレンズを通して被写体に念射し、それに反応する被写体の意識を念写する精密機器なのだと思う。

 

    そう、もっと寄ってよく見るんだよ…の図(オリンピック博物館の庭)


  必撮無眼流とな…

2018年03月16日 | 必撮無眼流

 自分の写真について聞かれたら…(まぁ、聞かれることもないだろうが)
 『必撮無眼流…です』と答えるかもしれない。
 その心は…拈華微笑なり。 華を撮(つま)んで、人々に示す・・・で、分かる人は微笑み、分からない人には分からない。

 最近、写真を指導する人々は自分の写真について『言語化出来なければダメ』という意見をよく聞く。
 しかし、これまでのボクの写真展を見てきた体験では、説明文は一見立派だが、肝心の写真のレベルが文章に伴ってない場合がほとんどだった。

 だいだい、言葉が出る先の心象景色を撮るのが写真の真髄ではないのだろうか。
 そののち、そこから数式を発見するようにピッタリ来る言語を取り出して心象を解き明かすのが、優れた評論家なのだろう。
 我々写真家は『直感』が示す先を観ることが大切であって、評論家になることではない…とおもう。

 
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 この写真は2007~2010にかけて撮りためた…というか、放置してあったスイスの闘牛写真がようやく本日まとめることが出来た
 タイトル写真です。いずれボクのホームページにアップしますので是非ご覧ください。
 ホームページというと、退職後やはり時間がゆるしますので、内容も若干それらしくなってきました。
      www.shinjiro1.jimdo.com    是非お立ち寄りください。


  必撮無眼流とな…

2018年03月16日 | 必撮無眼流

 自分の写真について聞かれたら…(まぁ、聞かれることもないだろうが)
 『必撮無眼流…です』と答えるかもしれない。
 その心は…拈華微笑なり。 華を撮(つま)んで、人々に示す・・・で、分かる人は微笑み、分からない人には分からない。

 最近、写真を指導する人々は自分の写真について『言語化出来なければダメ』という意見をよく聞く。
 しかし、これまでのボクの写真展を見てきた体験では、説明文は一見立派だが、肝心の写真のレベルが文章に伴ってない場合がほとんどだった。

 だいだい、言葉が出る先の心象景色を撮るのが写真の真髄ではないのだろうか。
 そののち、そこから数式を発見するようにピッタリ来る言語を取り出して心象を解き明かすのが、優れた評論家なのだろう。
 我々写真家は『直感』が示す先を観ることが大切であって、評論家になることではない…とおもう。

 

 この写真は2007〜2010にかけて撮りためた…というか、放置してあったスイスの闘牛写真がようやく本日まとめることが出来た
 タイトル写真です。いずれボクのホームページにアップしますので是非ご覧ください。
 ホームページというと、退職後やはり時間がゆるしますので、内容も若干それらしくなってきました。
      www.shinjiro1.jimdo.com    是非お立ち寄りください。


  写真の威力

2018年01月27日 | 必撮無眼流

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『生死事大 光陰可惜 無常迅速 時不待人』こういう言葉が厚さ10cm,で50x35cmぐらいの分厚い板に書かれ
禅道場の入り口に綱で掛けられボクが通っていた居士林では朝、晩の2度木槌で真ん中を決められた作法のやり方で
叩いて、真ん中がだんだん木が削られて凹んでいく。ボクも直日という役目をやっていた時、坐禅修行の始めの合図
終了の合図としてこの木板を木槌で叩いた。円覚寺の境内の森に染み入るカーンという乾いた音が懐かしい。

まぁ、言葉の意味はまさに文字通り…生死事大であり、時は人を待たず、いつ何時何があるかわからないのだから
光陰を惜しんで修行に励みなさい・・・と、そんなところであろうと思うが、当時は特別そう深刻にも受け止めて
いなかったことを告白しておこう。

ところで今、ボクは自分の写真ホームページを充実させるべく手を加えている最中で、上の写真も以前は
『光陰可惜  時不待人』と記入していたのを最近 『生死事大  時不待人』に変更した。

この文のメインはどう考えても後者であると考え直したのだが、同時にその重要性にもあらためて気付き
そのうえ、ある不可解な出来事の原因がここにあったのだ!!!と今頃になって腑に落ちたのだ。

というのは、今から三十数年前ニューヨークでボクは婚約者に連れられて彼女のご両親と兄弟達に
会うためにシカゴの実家を訪ねた時、皆さん大変歓待してくださり、夕食後にご両親の若き日の写真をスライドで
見せて頂いた。写真はボクとの共通項を分かち合いたいという気持ちからであろう、お父様が若き頃海軍の軍人として
横浜に兵役し、それを終えて帰国した日の港での御両親の写真が白い壁に映し出されたのだ。
その写真はまるで映画『愛と青春の旅立ち』の白い軍服を着たリチャード・ギアと若く美しい女性の写真であった。 

これを見た時、ボクは物凄いショック…と云うか、あるいは『恐怖』と云っていい気持ちに襲われてしまった。
自分でも何がどうしたのかさっぱり解らず、その後苦しんだが、ニューヨークに帰ってからほどなく
ボクは婚約者と別れて、ヨーロッパへ行った。そしてその3年後に再び円覚寺の禅門を叩き、本格的な修行を始めることにした。

この流れの意味合いに気付いたのは、実はさっきも言ったようにごく最近のこと。
ニューヨークで起こった出来事は何だったのか、長いこと自分でも不明であったが、『生死事大 時不待人』…
これであったと今は確信する。

あの1枚の写真には 『生死事大 時不待人』 これが凝縮して、ボクに強く迫った…のだった。


 必撮無眼流 ~ 猫の記憶

2018年01月17日 | 必撮無眼流

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   森山大道の『犬の記憶』に匹敵しそうな猫の図

パリのジュンク堂で森山大道著『犬の記憶』を買って、今日読み終えた。

彼の本を読んだのは初めてで、饒舌とも言える文才に舌を巻いた。
彼の写真から受ける印象、彼自身の肖像写真から受けた森山大道という人の印象から、ボクは彼のことを寡黙で
言葉表現の出来ない不器用な人物…という感想を勝手に思い描いていたから、この本『犬の記憶』を読んで
ぶったまげた…というか、裏切られたような、加えて若干嫉妬心などが湧きながらも、惹かれて読んでしまった。

ボクより14歳お兄さんの森山大道は、ボクが21歳(1973年)で写真学校へいく頃は写真雑誌『カメラ毎日』に連載したりして
すでに写真家の間では有名人であった。(彼は写真批評家協会賞・新人賞を1967年に『にっぽん劇場』でとっていた。)
1967年というとボクは15歳だから、ボクが写真を始めた頃は森山大道はブレボケ写真で有名であったから、別に新しいとも
思わず、ただボクとは方向性が違う…と感じていたので、彼が世界的に有名になってこちらヨーロッパで写真を見かけるように
なっても、これといった感想も特にないまま今日まで来ていた。

彼のモノクロ・ブレボケは日本のように湿気と血の気の多い人種には在って当然のように思えたし、事実彼を真似たブレボケ派
が70年代には一派を形成していた。(いまでいうラップ・ソングみたいなものだろうか。)

それにしても、彼の本『犬の記憶』は写真と云うものを考える時、それからボク個人の写真の歩みを考える時に実に『鑑』として
大いにボクを映してくれるものであった。

森山大道は21歳の時、関西で有名な『岩宮武二』、24歳で『細江英公』(三島由紀夫を撮った『薔薇刑』で有名な写真家)の弟子となり
その時、かの有名な東松照明とも接点があり、さらにかの有名な中平卓馬と公私に渡って親交があり、その他、横尾忠則や寺山修司等と
の関わりがあったことを『犬の記憶』で知るにつけ…この人は本当に写真の一時期を駆け抜けた時代の寵児であったなァ~…と、つくづく
思わざる得ない感想を抱き。  いつか、『森山大道』を主人公にしたドラマ映画が出来るに違いない!!!とボクは確信した。勝手に!

やっぱり、森山大道はだだの『ブレボケ』写真家ではなかった。第一、当時誌上でボクなどは七面倒臭い理屈をこね回すだけの人間に思えた
『中平卓馬』と語りあかす親友が『森山大道』だったとは、『犬の記憶』を読む今日まで知らなかったわけで、森山大道が写真の『記憶』について
これだけ、延々と記述できる素養は、中平や細江、東松、横尾、寺山などの傑出した人物に取り囲まれた幸運もあったであろう。

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    その寵児にすれ違った可能性があったかもしれない図

(森山をリーダーとするその一派が立ち上げたギャラリーCampでボクは1982年に6日間個展をしていた。
 その時もしかしたら森山大道にあったかもしれない?(そこは猫の記憶なんで…)
 何れにせよボクも人一倍ひと見知りで声をかけられなかっただろうけど・・・。


 一撮2017年度最高傑作写真発表…

2018年01月08日 | 必撮無眼流

 先日、12月31日に一昨年のブログを見ると、2016年度一撮最高傑作写真発表…というのがあった。
 該当作品なし…とあって、ああ、そういう一撮企画があったナァ〰と、それをすっかり忘れていた。

 早速、昨日、2017年中に撮った写真を精査したが、まったく気に入った写真がなくて、あゝ今回も該当作品なしか〰と
 床についたのだが、就寝中、夢なのか何なのか1枚の写真が見えてきた。
 あまりに身近なテーマなのでかえって見落としたというか、このテーマ自体が自分の望むものだろうか?とふと考えた時に
 テーマについて大事なことにあらためて気が付いた。

 『日常写真撮家』としてのボクの最重要テーマの一つとして、こういった1枚を再検討する時期であると再認識したわけである。
 これまで、昨年まで100%引越し屋として時間の大半を費やして実際身近なものしか撮れずにいたのが
 今年より時間もできて、より社会的なテーマ…なんてのを無意識のうちに考えていた自分であったが…

 デジタル時代になり携帯カメラで本当に身近な写真が一見反乱しているが、撮りっぱなしでテーマとして
 深掘りしてないし、まして、プロの写真家も案外盲点となっているように思う。

 こういった『日常』をより身近に意識することになったのは、自分なりではあるけれど、俳句や短歌の存在が大きいと思う。

 
            というわけで、これが2017年度一撮最高傑作写真大賞となりました〰の図
 


 『忖度』知らず

2017年12月13日 | 必撮無眼流

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先日、友人の陶芸家の恒例の展示会へ行った時の話。
日本人女性がスイス人の友人を連れて見に来ていた。
彼女(日本人)はスイスにもう40年以上住んでいるという。

ボクと陶芸家の友人とその彼女の3人の日本人でいろいろ話していると
陶芸家が今年の流行語大賞は『忖度』だったね…と話を振ってきた。

ボクは一瞬、珍しく他の日本人と一緒に安倍をディズれるかな…と思いきや
その彼女が『その忖度ってなんですか?』って真顔で聞いてきたのだ!
冗談だろう、と思いつつボクは『忖度知りませんか?』と失礼とは思いながらも
彼女の顔を覗くようにして聞いた・・・。
彼女は『忖度』という言葉そのものを知らなかったし
この言葉がどういった文脈というか、状況下で使われたかも全く知らない様子だった。
芸術家には、よくありがちな世間知らず…ということのようだ。

まァね…、『忖度』という言葉はべつに知らなくてもいいと思うけど
ということは、彼女は日本で何が起こっているのか知らないわけだ。
したがって、日本で選挙があっても在外投票なんかも全く行かないんだろうなァ~
と、思ったのだ。
まァ、ボクもこれが7,8年前だとインターネットもろくに使いこせてなかったから
彼女のように、当時の流行語大賞なんかも全く知らなかっただろうけどね…。
ちなみに彼女は毎年日本の実家に帰っているそうだ。

右写真は コンテンポラリー写真展を見に行った時、スライド映写画像にボクの影を忍び込ませたもの。
     忖度とは~他人の心中をおしはかること…だそうだが、写真家にはこれが必要だ。


 禅的箱庭

2017年12月05日 | 必撮無眼流

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 もう、20年ぐらい前だったか? 細長いバルコニーに禅的『箱庭』を制作。
 2種類作ったうちの一つ、これは小さい方。
 生き死にしながらも、シダがしっかり生息しているせいか、比較的安定した庭環境を自然維持している。
 そうだ、名付けようよ。えーと…ニコル(仁去来)の部屋からよく見えるので本日より ” 仁月庭 ”と名付ける。


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 こちらも、同時に制作したものだけど、細長いバルコニーの西の端にあって
 バルコニーに出ないと見ることが出来ない・・・ので、放置される事が多いせいか
 完全に枯れてしまったりして、何度も明確な生死を繰り返している箱庭大。

  これも、名付けて・・・、本日より“ 西瑞庭 ” とでもしようか。
 この西瑞庭… 定年退職後だから今年6月だったろうか、完全に砂漠化していたので、
 土を替えて石のみを配してそのまま放置すること、今日に至る!

 この変遷の様子を記録しようと、土と石のみの石庭の状態時から写真を撮ろう撮ろうと思いながら
 怠けて撮らなかった結果、6階のバルコニーに、どこから種がやって来たのか勝手に見事な 緑乱れる庭となったのだ…
 
 どこが、禅的であるのか? ただただ自然の生命力のたくましさに 脅威 するのみ。


 スイスの夏・2017(その2) ヨーデル祭り

2017年06月24日 | 必撮無眼流

  この6月末…というのは何故か、催し物がローザンヌ周辺で多く、想定外の暑さの中できるだけ見てやろう・・・と思っている
  ものの一つが昨日行ってきた『ヨーデル祭り』。(先週金曜、一週間間違えて電車で2時間のBrigという街に行ってしまった)

  このお祭りは3年に1回『連邦ヨーデルフェスト』と称し毎回違う場所で行われ、今回はバレー州のBrig という街で30回目を
  迎え、スイス各地から1万5000人のヨーデル歌手、スイス相撲の選手、アルプホルン奏者、それに約1万5000人の観衆が
  見込まれるという。

  スイスというと、いろいろなものを想起するが、その代表的なものとして『ヨーデル』もあげることができると思うが、
  ローザンヌ、ジュネーブあたりに住んでいると『ヨーデル』・・・というと、もう一つピンとこない。  
  よそ国の文化・・・みたいな感覚で地元人々はいるに違いない。

  ヨーデルという文化は基本的にスイスドイツ語圏が中心であり、さらに家畜がいる山岳地方で生まれ伝えられているものである。
  いまでも牧畜などを営む人々の生活と密接しているヨーデルはまた、音楽としても徐々に認められ、独り立ちして音楽愛好家
  の間で一目おかれている故に、こういった大規模な催し物となっているのだと思う。

  ボク個人的には、15年前まで10年間、スイス観光ガイドをしていた関係で時折ヨーデル音楽を聞いていたが、それが真からその
  美しさを理解したのは、アッペンツェル地方の新年を祝うお祭り『サン・シルベストル』を撮影に行き、ヨーデルが民衆の生活
  に溶け込んでいるのを目の当たりして以来である。

そういった経緯があって、『ヨーデル祭り』が行われるという情報を見た時、これは是非と思ったわけである。

  ただ、電車で1時間45分の街Brigには、ガイド時代以来で、ここがドイツ語圏であるということをすっかり忘れていたので
  駅から街に向かうにつれ、何か違和感があったが、コープでジュースを買った時にそれが『言語』であったことに気付いた。

           
              大きなステージでは、3年に一度、30回目を迎えたヨーデル大会の開会式が行われ
              伝統的ヨーデルも若い世代にもアピールしようと工夫たっぷりのショーが楽しめた。

 
             
 
            『 次世代の ハイジ育てる ヨーデルは  少女の胸に 沁みる夏風 』 一撮
                  

     
  

  

 必撮無眼流 〜 (新シリーズ)スイスの夏・2017(その1)

2017年06月22日 | 必撮無眼流
  今のスイス(6月)のうだるような暑さは スイス気象過去150年で2003年に次ぐ2番めのCanicule(カニキュール=酷暑)で明日
  ジュネーブは35度になるようだ。

  そう言えば、2003年はジュネーブの引っ越し屋に入社した年だったが、その15年後の退職年2017年もカニキュール。
  
  同じカニキュール(酷暑)でも今回は出社する心配のない分、気楽なんであるが、まだそれに慣れていない。

  暑さに弱い相方と去年気に入った湖岸浴場へ、この日、月曜日とさっそく泳いできた。日曜も結構暑かったにも関わらず
  水温はビックリするぐらい冷たくて、時間にして30秒だけボクは泳いだ。ニコルは17秒。

  俺たちはどんだけ寒さに『弱いんだ〜ッ』と落ち込みそうになった時、僕らがあがった後に泳ぎ始めた中年の男も3mぐらい
  のところで戻ってきたので、『冷たいよね〜』と水を向けると、『いやー、ボクはよくここに来て泳ぐんだけど
  今日の水温はありえない冷たさだね〜・・・』と言ったのでホッとした。翌日の月曜日は水温も上がってニコルは10分ぐらい。

  それで、今日木曜も朝から暑く、これまで行ったこと無い場所に行ってみようよ・・・ってことで、
  ニコルの友人がお薦めしてくれた山の多いバレー州の山中にあるプール&動物園がるというMarécotteへ行ってきた。

    
       小学生ぐらいの子供達が先生の引率できていて、岩場から飛び込んでいる図
       この写真、退職記念で会社から頂いたスマートホンで撮ったものだけど、このクオリティ!

  退職して時間がたっぷりあるぶんいろいろできるであろう・・・と、思ったけど、なんのなんの
  ぼ〜っとしていると時間はあっという間に過ぎてゆくではないか。
  それに、花粉症だの、暑いだの、なんのかんのと言いわけネタが次から次と出てきて「本」もしっかり読めない日々
  新しい必撮無眼流シリーズを思いつき立ち上げました。その名も「スイスの夏・2017」乞うご期待! 夜も暑い!!!