久々の必撮無眼流であるが、これを生み出した経緯やらを考察しつつ・・・。
およそ35歳(1987)〜48歳(2000)の13年間ほど、写真活動を完全に休止していた。
51歳(2003)の時、それまでの観光ガイドという不規則な仕事から引っ越し屋に正社員として勤務することになり、週末土日休暇や生まれて初めてのバカンスなど規則正しい勤務体制にも慣れ、時間的余裕も若干できたことで少しずつ写真活動を再開することになった。
ただ、その時期というのが奇しくも写真界における大激震的変化の真っ最中であった。
2000年頃、写真は銀塩カメラで撮って、暗室作業を経て完成させるスタイルから、デジタルカメラで撮ってコンピューターを経て写真専用プリンターで完成させるというスタイルへ大きく移行する真っ只中であった。
それでも、ボクは昔通りアパートの物置的一畳間のスペースを『ラボ』と名付け、電気も配置して暗室を作り、週末などに写真を現像していたが、印画紙をはじめ現像用品が目に見えて写真用品店から激減する状態に一抹の不安をいだきつつの再開であった。
このころ、あるモノクロ写真展にでかけた時、写真家と誰かが写真について話しているのをそばで聞いていて驚愕したのは、モノクロフイルムをスキャナーでデジタル化してフォトショップで作業して自分のプリンターでプリントしたモノを展示している…という話であった。いまでこそ、ボク自身もその工程を当たり前のようにやっているが、その頃は信じられないような話だった。
それからだっただろうか?インターネットで日本の写真家達のブログを通して、激変する写真界の変遷期に悪戦苦闘しながらも前進する彼等から様々なことを学び、ボク自身のおよそ15年間のブランクを少なからず埋めることができ、2006年になって最初の一眼デジカメを買ってボクの写真デジタル化が始まったのである。
写真仲間が一人もいない中、まさに唯我独尊自己流の『必撮無眼流』が生まれた…。
と、前置きがものすご〜く長くなったが、要するに、これまで写真に関して受信一方であったが、今日のトピックは或いは発信することになるのでは?と思ったわけだ。
というのは、いままで見たこともない(単にボクだけが、遅れていたからかもしれないが)透明感抜群の仕上がりを見せるプリント法『Subligraphie』とここスイス仏語圏では名称しているものの存在についてである。
ボクも今回、試しにA2サイズにアルミ板にプリントしてもらったが、文句なしの出来栄え!これまで、写真の展示方法についていろいろ僕自身追求してきたが、見栄え、強度、軽さの点で写真の最終形態では?!と目下のところボクは思っている。
ただ、問題は料金なのだ。A2サイズで125フラン(12500円)と高いということ。
販売を目的に写真展を行うのであれば、仕上がりの点で素晴らしいのは間違いない。
店の主人の話ではこの手法はスイス国内でも彼のジュネーブ店だけ…だそうだ。
これから、写真の展示法もどんどん進展しそうだ。