拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  必撮無眼流 〜 右脳か左脳か?

2017年06月19日 | 必撮無眼流
 以前から脳の機能については非常に興味があった。

 最近、何かでそんな話を読んだ事がキッカケで自分が関わっている『写真』とか『禅』とかそういったことを
 この脳の機能ということから、これらのことをあらためて考えてみるのも面白いのではないだろうか。
 
 と言っても、ボクの場合深い所までは掘り起こせないし、表面的な所をちょっと撫でてみる程度…と云うのはいつものことであるが。

 先日出会った『脳』の記事(作者不明)を書いた方は、脳の機能を8つに分けていて、そのうちの理解系というところにボクは今回
 注目した。

 物事を理解する脳の機能というのは左右の脳にわたって存在しているとのことであるが、
 右脳は主に非言語情報、左脳は言語情報を取り扱っているのだそうだ。

 それを脳の断面図を示しながら、現代人の脳の特徴として左脳の言語情報ばかりを取り扱って、右脳はほとんど使ってない・・・とのこと。

 なるほどなァ〜・・・とつくづくおもうわけであるが、
 しかし、ボク自身の脳を覗いてみたら、恐らく非言語情報を取り扱う『右脳』の方がより発達しているのでは…と思う。
 その一つの理由として、『写真』とか『禅』とかに興味を持つ人間のタイプとして自然『非言語情報』により思いを馳せている
 に違いないからだ。

 最近、自分の写真に短歌や俳句をつけたりして遊んでいるが、それは左脳にいい影響を与えているのだろうか?

 それと、もう一つ大事な点は『 脳は死ぬまで成長する 』・・・ということだ。

 逆にのんべんだらりと生きていたら、40歳代から急激に脳は衰えるという。

 ボクは59歳のときにスマートホンを『手に入れた』わけであるが、これは『脳的』にいうとかなり画期的な出来事であったであろう。
 それは、うろ覚えであるが、キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』の冒頭のシーンで猿が何かを手に持って放り投げる場面が
 非常に印象にのこったが、それが今考えると『スマートホン』であったような気がするのと、その猿がボク自身と重なる
 錯覚というかイメージがボクの脳のどこかに焼き付けられている・・・これはかなり重篤な病であろか。
 

      
     駅の通路の物凄く狭いウインドウ・ショーケースに楽器を設置した3人の男達が右脳を刺激するような音楽を演奏していた図
       
      

必撮無眼流 〜 言葉の壁 (写真展最終回)

2017年04月20日 | 必撮無眼流
       
          

  言葉ほど『メンドイ』ものは無い・・・と言葉で意識しない段階で40年前、ボクは写真の道を選んだのであろうと確信する。

  それなのに今回の短歌付き写真『展』を催したのは・・・何故であろか???

  まぁ、お月さまを真正面から撮った写真、例えば。 
  ボクはこう詠った 『 満月は 映さぬ鏡 澄みきった 見るもの無きに 我を映して 』・・・
  無に向き合う喜び・・・みたいなものを表現しているのかな。
  そういった気持は、この写真(前回のブログにアップした)だけでは、わかってもらえただろうか? Maybe、あるいは、、、

  ギャラリーで見に来てくれた外人さんたちに、ボクは感想を聞いたが、ほどんどの人が写真と詩がマッチしている・・・といってくれた。
  沢山の人が、両腕を広げ、手のひらを下にしてゆっくりと沈める動作をして『静寂』の意を現した。
  ヨーロッパでも静寂の代名詞となっている『Zen』の言葉を誰も使わなかったことは、面白い。

  独仏語訳を付けたとは言え、写真に日本語の詩を刻みつけた写真を違和感なく見てもらえた事にボクは快かった・・・。

  こんな感じで最終日を終えるのかなぁ、と思っていた閉展の時間が迫った夕方、地元にすんでいるという日本人女性が来て
  挨拶などしている内に、短歌を始めた動機などを聞かれたので2011年からツイッターによって始めたこと
  しかし、そのツイッターによって日本の政治的現状が危い状態にあることなどを話始めたあたりから何かが狂い始めたのだ。

  ボクが、『政治的現状が危い』と言った言葉に彼女は反応してきたのだ。
  ボクは本当に浮かっであった、在外日本人は皆、ボクと同じように安倍政権を危ぶんでいる・・・と思い込んでいたのだから。
  そうでない人に出会ってボクはショックをうけるほど驚愕した。

  話が原発にいたり、彼女は『日本やドイツだけが止めても、意味がないですよね・・・』と言ったのを聞いた時、
  ボクはこの話は止めましょう・・・と提案した。
  彼女と会った時、茶道をしている彼女の話に聞き入って盛り上がったが、一瞬にして、それははるか遠い過去になってしまった。

  言葉の通じる同胞の人間との間にとてつもなく分厚い『壁』がボクらが立っているギャラリーの中でボクらを分け隔てていたのだ。

 必撮無眼流 〜 (写真展その3)日曜撮家の集大成

2017年04月18日 | 必撮無眼流
 図らずも退職記念写真展となったが
 今回展示した写真の大半は 定番の週末湖岸散歩の際に撮りためた写真に短歌や俳句を付けたものである。

 スイス社会の言い方では毎日普通に仕事をすることを100%の仕事、と表現するが、まぁボクも毎日仕事をしていて週末しか
 写真を撮れないので自然、日曜画家ならぬ『日曜撮家』となって、別段これといったテーマがあるわけではなく
 ブラブラと散歩する時にこれは!という風景に出会った時に一撮していたものが今回、形になった・・・という感じである。

 まとめて見てわかったのは、やたらと野鳥が多いこと。
 湖には白鳥、カモ、鷺、カモメ その他名の知らぬ野鳥が沢山いるのだから自然と風景の中のポイントみたいな感じで
 写っている。昔人間しか撮らなかったのが、その後『猫』となり、徐々に『鳥』となったか?
 しかし、考えてみればスイスのバレー州で盛んな『闘牛』も一時テーマとして撮りためてあるし、美しい乗馬用の馬を育成している
 州の『馬』祭りなんかも何回か出かけて撮ったりして動物モノが意外に多い。
その反動もあってか、人間様をまともに真正面から撮った作品もある。

さて今回の写真展であるが、短歌、俳句付きの作品の発表は初体験。
ボクの俳句歴は2011年に始めたツイッターが動機であるから、6年目を迎えるが、なにせ独学というか
ブログやツイッターに時々一方的に載せるだけで批評なども受けたこともない七五調。
それでも緊張感も無く発表できるのは、どうせ見るのは外人さん、、、と思っているのか?
これが日本であったら、もっと緊張するのだろうか?やはり、いつの間にか浦島太郎状にあるのか?

ギャラリーの入り口の導入部に掛けたのがこの二枚




どの写真を何処に配置するか、最も楽しく悩むパートであるが、この青い鳥と青年の像の写真は最初に持って
いこうというのはなんとなく決めていた。後でその横に月の写真を配置した時、何故最初にこれが来るべきと
考えたのか自分なりにクリアーに理解できた。

成果の有無はとにかく、ボクは渡欧する直前まで禅の修行をしていた人間で、禅による生き方は、そうでない
生き方で行き詰まった人間に別な生き方の糸口を提示できるのでは…と思って来た経緯もあり、
写真にしろ短歌にしろそんな想いを無意識のうちにも託していたと思う。

そいう想いもあって、デカルトも哲学も何にも知らないけれど、西洋の行き方とはまた違う道も
ありますよ〜〜っ的な意味合いを持たせたつもりだけど・・・・。

ある中年の女性(地元のスイスドイツ語圏の人) は、感想を聞きに行ったボクの袖を引いて、
この写真の前まで来て『本当に、そうよね〜』…と言ってくれたのが印象に残った。

 

必撮無眼流 〜 退職記念写真展 その2

2017年04月17日 | 必撮無眼流
今日は写真展4日目、月曜だけど昨日は復活祭だったので振替休日。
僕自身は現在,在職最期のバカンス中だし、ヨーロッパ全体(?)も復活祭で今日まで4連休ということで
なんだか曜日感覚がなくなって変な気分…、…その理由は一日中ギャラリーに籠っていることもある。

写真展であるが、復活祭で皆バカンスをとってだれも来ない…のではと案じられた金曜のオープニングは
意に反して結構たくさんの人が来てくださった。2人展の相方、人形作家の典子さんは地元ビエンヌでは
すでによく知られた作家なので彼女のファンの人々が沢山来ていたが、ボクの友人知人も遠路はるばる
( ジュネーブから車で2時間,ローザンヌから1時間) 来てくれ、感謝感激。とくにボクの大好きなホームドクター
女史がご主人とお姉さんを連れて来てくださったのは嬉しかった。
それで金土日曜と来てくださった皆さんの反応であるが、大方良好だったのも意外な感じがした。
A2サイズ写真に日本語で短歌…横にA4で5・7・5・7・7に区切った日本語のフランス語訳とドイツ語訳の
直訳、その下にそれぞれ意訳を配して、わかりやすいように工夫をした…のが功を奏したようだ。

写真と文字の配置具合が良い…とか、詩がなかなかマッチしているとか言ってくれる人が多勢いたように
思う。ビエンヌの街はドイツ語、フランス語、2ヶ国語の言語境界の街なのでこんなややこしい事になった
のであるが、友人を煩わしても訳した甲斐があったというものだ。( 今回の写真展で一番大変だったのは
詩の翻訳であったから…、そしていかに訳することが難しいことか痛感させられた)


16歳の名ばかりの長身の息子ジョナスに大いに助けられた展示準備の図



夕方にやっと展示が終わって記念写真

 必撮無眼流 〜 退職記念写真展(短歌付き)

2017年04月13日 | 必撮無眼流
  去年の暮だったか?!3人合同展を4月にする予定だった人形作家の友人から、一週間予定が空いているんだけど『やりませんか?』・・・という申し出があった。
  ギャラリー代無料との有難い申し出なので即答でOKした。
  その時は全く意識していなかったが、いよいよ4月を迎えて『6月より退職するんだ』・・・ということが何かにつけ意識されるようになり
  
  考えてみれば今回の写真展と云うのは自分にとっては図らずも『退職記念写真展』ということになるんだナア・・・と実感する今日この頃。

  しかし、『退職』という言葉も元祖フリーターを自認する自分にとってはなんだか他人主催による芝居演出の感がして全くピンと来ないのである。
  幸運にも『退職』するに至ったこの『引越し屋』業だって15年前、50歳の時に、フリーの観光ガイドからの乗り換えだったわけで、その時、自分が
  『退職』などという社会的栄えある栄誉に浴するとは全く予期していなかったから、棚からぼた餅のようで有難いような、そうでもないような・・・
  案外複雑な気持ではあるが。
  そういった気持も明日から始まる『退職記念写真展』を見に来てくださる人々と『語り合ったり』する内に、誰にも決して言わなかった
  『フリーター』としての生き様を貫くことができたこの15年間のことなどをしみじみと自分なりに噛みしめたりするのであろう・・・。

  退職後はもとの『フリーター』に戻るだけの話で、その後の展開というのも、どうなるかわからない、昔通りの『不安と期待』でそれはそれで
  ちょっぴり楽しい間なのである。

   ( *フリーターの定義 〜 自由であることを、あるいは、自由な時間を確保しようとして定職につかず、アルバイトで生計を立てる人 )
    自分の場合は、フリーターの風上にも置けない、邪道の定職につかざるをもやもうえず(海外で生きるのは簡単ではない)15年の正業に耐えた。

   (関係無いが、今日、たまたま浅田真央ちゃんの引退表明記者会見動画をみて、その立派さに感動の涙が・・・。ありがとう!真央ちゃん)

  ということで、明日から始まる写真展の準備を昨日、名ばかりの息子(と云うのはボクはゴッド・ファーザーであるから)ジョナス16歳に
  手伝ってもらってどうやらこうやら形になった。ジョナスには全く世話になり、180cmの上背のある彼に21枚ある写真を壁に掛けてもらった。
  
  写真の内容(短歌付き)などについては後日、記してみたい。

       

        場所はスイスはヌシャテルの隣街の『ビエンヌ』という街の旧市街です。オープニングが15時から19時まで
        お近くに住んでいる方、時間のある方は是非おいてくださいまし。4月14日〜19日で、私は毎日います。

 必撮無眼流 〜 意識!

2017年02月06日 | 必撮無眼流
  先日、フェイスブックを流し見していたら、看過できない記事に出会った。

  タイトル:量子論と意識の奇妙な関係  と題した、ランザ博士の著書からの紹介記事

  生命中心主義:いかに生命と意識が宇宙の本質を理解するための鍵であるか(という著書名)によると
   物質ではなく、生命と意識こそ現実理解のための基礎的な要素であると断言・・・
   意識は肉体的な死とは別物である以上、脳が意識を生み出しているわけではないと主張しているのだ!
   ランザ博士によると、量子力学の『二重スリット実験』を例にあげれば簡単に理解できるという。
     (・・・略)
   この実験では、二つのスリット(細長い穴)を通った電子が壁に衝突して作る痕跡をもとに電子が波なのか粒子なのか確定
   されるはずだったが、
   観察者がいない場合、電子は波の性質に見られる干渉縞を作り
   観察者がいる場合、粒子にみられる痕跡を残すという・・・非科学的な事態が生じたことで大問題となる。
   つまり、電子は『波であり、波じゃない』 『粒子であり、粒子じゃない』という矛盾する性質を抱えている事が判明したのだ。

   ここで、問題となるのは『観察者』の存在だ。
   物理的世界に直接の影響力を持ちそうにない『観察』という意識的な行為がどういうわけか、量子レベルでは大きな影響力を
   持ってしまっているのである。・・・・

  まぁ、引用はこの辺までにしようと思うが、これを読んだとき、ボクはつい先日アップした写真と短歌のことを考えていた。


    

  必撮無眼流的に一撮する時には必ず『気合』が入っているものであるが、これが『意識』なのだと思う。
  鍼灸を学んでいた頃の話だが、先生が患者の肉体に触れずに手をかざしてツボを気で探っていた時、そばで観ていた
  ボクもはっきりツボを感じたが、意識を向けたときのみ感じるという経験をしたものだ。
  禅にしても無意識の時に感得できる『意識』の体験ではないだろうか・・・などと愚考した。

  だから、無関心は良くないと思う。自分が関心を持ったからといって何にも変わりはしない・・・と社会で起きている事柄に
  無関心では、心は枯れてしまうだろう。意識を向けるだけでも『変える』一助になっている。

必撮無眼流 〜 My home-page

2017年01月20日 | 必撮無眼流

           

        やっと、念願の我がホームページを公開する決意がついた・・・というか、これ以上グダグダと細部にこだわっていても
        しかたがない気がし、清水の舞台から飛び降りるつもりで公開に踏み切りました。
        未完成もいいところなのですが、徐々に完成を目指して奮闘努力する所存です。

        shinjiro1.jimdo.com    まで是非お立ち寄りください。(ご意見、ご感想がありましたら是非コメントをお寄せ下さい。)

必撮無眼流 〜 アフリカの面

2016年12月10日 | 必撮無眼流
  今年の夏ボルドーに行った時、露天の市場で『アフリカの面』を買った。

  ボクの中では多分、もっとも縁のない国アフリカ、そしてお面。
  ただ、何故か昔から木製のお面には(どこの国によらず)漠然とした畏敬の念を持っている。

  15年以上も前のこの時期、ボクがガイドをしている頃、ローザンヌの駅前にクリスマス目当ての小屋が出て
  その一つに、アフリカ面を売るアフリカ人の店があった。
  ボクはその小さな小屋いっぱいの掛かっているアフリカ面と棚におかれているアフリカ彫像に惹かれた。
  どれもアフリカの土の匂いがするようで、なんでも新品のように理路整然としたスイスの有り様とは全く違った様相に
  強く惹かれたのかもしれない。
  そしてまた、売っているアフリカ人のオッサンがアフリカ面そのものの面相で実にいい顔をしているのだ。
  多分一週間ほど続いた店に2,3回ボクはその店に出向いて、このオッサンにコーヒーなどを買って持っていった。

  ある日、このオッサンが『どれか好きなお面があるか?』と聞くので、ボクはいろいろあるのをジックリ見てそのうちの一つを
  選んだ。オッサンはそれを『本来は120フラン(1万2千円)のところを90フランでどうだ』・・・というのだ。
  ボクは正直欲しかったけど、金がなかったので買うことが出来なかった。

        
          お面は買えなかったが、許しを得て彼の写真を撮ることが出来た

  
        
         これが今年の夏、90ユーロから60ユーロにまけてくれたアフリカのお面

  この時期、ローザンヌにもいろいろな小屋店が沢山でているが、昔のようにアフリカ面の店はでてないようだ。
  

 必撮無眼流 〜 カオスの街(ルッツエルン・カーニバル)2005&6

2016年12月04日 | 必撮無眼流
  今日、ここにアップするのは、スイスに来てから撮った白黒写真。
  2005、2006年と連続して見に行った『ルッツエルンのカーニバルの写真』のスライド・ショーである。

  ボクの住んでいるスイスフランス語圏は基本的にプロテスタントなのでカーニバル(謝肉祭』がない。(一部の地域を除き)
  強いて言えば、隣り町ジュネーブではエスカラード祭という、1602年に(現フランス領)サボワ王国がジュネーブに夜襲、それを
  撃退したのを祝う祭りがあるが、60km離れている我がローザンヌの住民は全く興味を示さず、見たことがない人がほとんどだ。

  そんなだから、祭りとして噂の高い『バーゼル・カーニバル』と『ルッツエルン・カーニバル』をスイスに生活してから
  だいぶあとになって見に出かけた。(それもルッツエルンの方は相方は興味がなく一人で観に行った)

  バーゼル・カーニバルは評判は高かったけれど、ボクにとっては比べることが出来ないほどルッツエルンのカーニバルは
  特別であった。バーゼルの方はそれぞれ趣向を凝らしたグループが続々と街に繰り出す整然とした祭りであるが、
  ルッツエルンの方はしばらく時間が経つにつれ『異次元街』に紛れ込んだ感があって
  まさに良い意味で『カオス』であった。大小のグループあり、たった一人仮装あり、老若男女、家族や友人、観光客も巻き込む
  カーニバルで・・・文化にまで昇華したまさに『遊戯三昧』!

  ローザンヌやジュネーブの人達を『頭の固いカルヴィニズム』・・・といった悪口を時折耳にしたが、このカーニバルを見ることで
  その意味がよく納得できる気がしたものだ。(プロテスタント対カトリックの違いというようなものを初めて感じた事柄でもある)

  ルッツエルンという街はボクがガイドであった15年前には何度もよく行った街で湖あり山ありの静かなたたずまい
  の街、どちらかと言うと地味な街という印象を持っていたのであるが、カーニバルでは異次元であった。
   (しかし、ボクが見たのは1週間の間繰り広げられる祭りのほんの一日だけを撮ったものであるから・・・)

  



          

 必撮無眼流 〜 還暦にはスライド・ショー

2016年10月09日 | 必撮無眼流
 アラ還・撮家としては、撮り散らかした過去の写真を『還暦』することは非常に重要である。
 その意味では、デジタル時代に『還暦』を迎えた自分は本当に幸運であると思う。

 というのは、ネガフイルムをデジタル化して『時』の流れによる『表現』の流れを『音楽』の流れに乗せて発表出来る媒体のスライド・ショーは
 撮家としての自分にとって非常に理想的スタイルであるからだ。

 今回まとめたのは1973年、ボクが写真学校1年生(21歳)の時の作品。
 当時ボクは神戸は灘区の牛乳屋さんに住み込み、朝の牛乳配達と月一の集金を仕事にして学校に通っていたが、毎朝出会う他社の牛乳配達人の
 見事な走りっぷりに興味を持って、撮影の許可をもらい2,3日追いかけて撮影したのがきっかけ。
 彼は本来散髪屋さん、ボランティアで施設の子供達の散髪に行くので一緒に来ないか?と声をかけてくれたことで、ボクの最初のドキュメンタリー風
 の作品となった。(しかし、今日の2016年まで作品化しなかったけれでも)
 

 

 
         

必撮無眼流 〜 『撮家』宣言

2016年09月30日 | 必撮無眼流
 写真活動をやる人間として、自分を称するに『撮家』・・・がもっともふさわしい事に気づく。
 
 『写真家』というと普通、写真を職業として活動している人ということになっている。
  プロでない『写真家』を『アマチュア写真家』と称しているが、どこかプロ写真家に劣るニュアンスがあるような気がする。

 例えば、『詩人』のようにプロ、アマを問わないような存在であり
 『作家』のように独自の視点を掘り下げることに全力を捧げる人・・・みたいな意味でボクは『撮家』宣言をしたい。

 
       

 必撮無眼流 〜 SMは猫だったの巻

2016年09月16日 | 必撮無眼流
 バカンスはやはり馬鹿にできない。
 グダクダすごしているようでいて、バカなりに最後の2週間目の後半にはわずかながらにも自己の日常の面で多少なりとも進化している・・・
と思えた進化というのは
この夏、アルル・写真フェスティバルに行くにあたり名刺は必要であろう、と相方にたのんでネットで作ってもらった『名刺』にまつわる。
     
    
 これがその名刺であるが、ボク自身は結構気に入ったのであるが、『SM』というのがちょと目立って気になるナア〜・・・
 『サド/マゾ』をイメージする人がいるんではないか?と考えたが、
 案の定、相方の姉から電話があってあの『SM』はマズイんでは?との余計なおせっかい。
 ボクはこの名刺を見た時、この『SM』に隠れているカワイイ猫姿が見えていた。
  『M』は猫の耳、『S』は猫のシッポ・・・む~、なかなかイイんじゃないですか!ってなわけでボクはこのデザインにOKしたわけである。

 その話はそれで一件落着であったのであるが、
 このバカンス中、ボクはホームページ制作に着手していて、ボクが選んだ新テンプレートにはロゴを配置するスペースがあって
 ロゴなんか別に要らないナア〜・・・と思った瞬間に、この『SM猫』が思い浮かんだわけである。

    
  それで出来上がったのがこのロゴ。猫の『耳』と『尻尾』がどうみても取ってつけた感があるものの
  自分のロゴがあるってぇ〜のは、なんとなく『自分の店を構えた』様な『気』がしてうれしくなった。

  しかし、猫との接点がず~っと無かった自分のロゴに猫がふさわしいだろうか?とも思ったのであるが
  約20年近く止めていた写真活動を再開して一眼デジカメを買った2006年に一匹の猫と出逢った。

  その時にデジカメ慣らしと、猫と花鳥風月の関係の追究を始めることにしたが・・・
  考えてみるとそこには、進化の象徴のデジカメとその対極にある象徴としての『猫=風流』との出逢い・・・
  ここに、自分のロゴとして猫があってもイイんじゃないかナア〜・・・と納得したわけである。

  その成果を2015年3月にYoutubeにアップしたんだけど、もう一つ見てもらえていない気がして
  今回、Youtubeの画面に『日本語字幕』をつけることが可能とわかり、付け焼刃ですが、字幕を付けてみました。是非ご覧ください。
   
   ただし、PCとかアイパッドとかスマートフォンなどの違いによって画面のどこかを操作して『字幕』とか『日本語』を『オン』
   にしなければ字幕が出ないことがあるかもしれません。(画面右下のカセット風のアイコンをクリックすると日本語字幕がでるようです・・・)

      

  必撮無眼流 〜 走れメロス (1978)

2016年09月10日 | 必撮無眼流
 『2週間のバカンス』『ホームページ』『気になる昔の写真の作品化』・・・などのキーワードがバカンス前からボクの顔面前に、馬には人参のごとくぶら下がって強迫観念症におちいって、
  早くも一週間になろうとしている。ボクが写真家であることを知っている数少ない知人たちは、会うたびに『写真を撮ってます?』の挨拶代わりの質問をしてくるが
  『それどころじゃない!撮り散らかした過去の写真どもを少なくとも発表できる作品として形にまとめるのに気が迫ってますだに・・・』とも言うわけにもいかず。

  だいたい、写真家というものは、撮るだけではなく撮ったものを自身が納得できる形にすることもまたさらに重要なのだ。

  それにしても、今回まとめた『走れメロス 1978』は、今から38年前・・・ちょっと遅すぎでは?、、、
  たしかに、しかしだれでも簡単に写真をスライドショーにして見せることが出来る時代が来るとは予想もしていなかった・・・
  それが可能な時代を迎えたボク、そしてそれまで、じっと我慢・・・というか単に怠惰で放置していたことは、幸いであった!であろうか?

  とにかく38年前、芦屋芸術学院写真科助手だったボクに、デザイン科の生徒だったK君が演劇+舞踏の写真を撮らないか?・・・と声をかけてくれたのがキッカケだった。
  どういう意図でボクに撮影をたのんできたのか今だによくわからないが、10月下旬の大阪厚生年金ホールでの公演までの約一ヶ月、といっても毎週末の撮影であったと
  思うが、林田舞踏研究所という大阪のどこであったかわすれたが、そこでの稽古風景を主に、本番までの様子を撮影した。
  
  走れメロス・・・については原作(太宰治)も読んでおらず、演劇とか舞踏とかの世界に縁が無かった若き一撮(当時26歳)ではあったが、出演者の大半の若者たちが
  新聞の?公募によって集ったということと、演劇、舞踏の指導者達も暖かい目で迎えてくれているようで、遠慮無く写真を撮れる場を与えてもらえたことを喜んだ。

  そこで出逢った人々、舞踏振付の林田鉄先生、演出の小松徹先生、沢山の若いダンサー、衣装の真野さん夫婦、メロスを踊った久本さん、グループのリーダー格の馬原さん
   (公演後間もなく事故で亡くなった)など、などとの思い出。演劇がどのように作られていくのか、その過程をつぶさに観察する貴重な体験をさせていただいた。
  それにしても、ボクの写真は公演の為のパンフレットに使って頂いたものの、解散後も写真をまとめよ、、、とかいう依頼もなく、自分自身もまとめる意思もなく
  今日まで放置していたことは、面白い(そんなのがまだあるが。)

  まとめるにあたり、スライド・ショーが可能であることが、どんなに有難いことであるかと強く思う。
  写真以前に映画やTVの影響をたっぷり受けた一撮には自己の写真をよりよく表現する意味で音楽の存在はMustであるから。




                 
                    あれから38年の歳月が流れ、彼等はどこをどんなふうに走っているのだろうか?

 必撮無眼流 〜 アルル審美眼フォト・フェスティバル・2016 その一

2016年07月25日 | 必撮無眼流
 7月4日〜9日朝までアルルへ行き、フェスティバルの目玉?『ポートフォリオレビュー』に参加してきた。
 ポートフォリオレビューとは・・・ギャラリーのオーナーや、写真美術館のディレクター、編集者、フォトフェスティバルの主催者やキュレーターなど
 普段写真と関わっている専門家をエキスパートとして招集し、この人達に自分の写真を見てもらいたいという写真家達がそれこそ世界中から集うというもの。
 一人のエキスパートの持ち時間は20分、その間に作品を見てもらうわけであるから『大変』だ。

 7年前の2009年に初参加しこれがどのように行われるのか、を知っていたので今回はもっと要領よくやろう・・・と思って準備万端のつもりが、やはりボクは
 甘かった。当然有名なエキスパートには誰もが自分の写真を見てもらいたいものであるから、この人達の限られた参加枠にインターネットでゲットする時点で
 期せずして出遅れてしまっていた。 というか、蓋を開けたら全部『満席』状態であったのだ。
 どういうエキスパートとがいて、その人はどういう系統の写真に興味があるのか?・・最低でもそれを知る必要があるから彼等についてのレポートを読んでいる
 内にサッサと決まっていたというわけ。(事前にチェックすべきで・・・レポートを読み始めるとヤメることが出来ない自分を責めた・・・というか、
  英語とフランス語であるのでしっかり理解しょうと思うと自然時間がかかるのだ。)

      続く

       
                       スイスに戻ってくると山があったの図

 必撮無眼流 ~ 魂源

2016年05月15日 | 必撮無眼流
 先日、コンテンポラリー写真展の話をしたけど、そもそもボクは『コンテンポラリー』について何もしらない・・・というか、知りたくて調べよう
 という気が起こらないタイプの人間であるからこそ、『写真』と関わったのであろう・・・という意味で『視覚から得る感慨』こそが『写真の本質』
 であるべき・・・と思っている人のまま、コンテンポラリーと云われている写真を見たけど、さっぱりわからないというレベルより腹が立つレベル
 であったわけだ。

 そもそも、写真に『言葉』が干渉してくるところに、写真をダメにしている現代としての『コンテンポラリー写真』の存在・・・・とかなんとか
 書いている自分にすら面倒臭くて、洒落臭くて、気が短いボクは、書くことでより一層本質から遠ざかる馬鹿さ加減に気が滅入るのだ。『喝!』

 しかし、考えてみれば人にもいろいろあるように、写真にもいろいろあるわけであるからね~、自分がわからない・・・というだけで。

 写真は、19世紀だっけ?出来たの?それも西洋で?フランス人、ニエプスとかなんとかあたり。

 だけど、ボクが思うのは(薄識であるので知らないだけ、の可能性を前提)
 視覚から得た情景『瞬景』を『五七五』調でまとめた俳句こそ写真以前の写真スピリットの原型であるのでは、、、ないだろうか。
    『古池や 蛙飛び込む 水の音』・・・例えば。

 だとしたら、日本人こそ写真魂のよりよき理解者であり、それゆえにこそ写真機の開発情熱において世界に先駆けて・・・いる理由なのだ。と思うのである。

 結論~芸術としての写真というのは、人の生き様としての魂源から発生する感慨や魂源への探求という自己の『魂源』への往復旅路・・・という所に落ち着く。


         
         写真は知り合いの子供ユイちゃんの後ろ姿だけど、三歳ぐらい?で強烈な個性の持ち主
         この子を見た時、この個性というのは何処から来るのだろうか?・・・と思ったわけだ。