『Good-by New York 1986 』という私、一撮の作品は正式には未発表。
1985年、86年と2回に渡り計 7ヶ月ほどニューヨークに滞在した時、スナップショットした作品であるが
撮った写真は、2000年過ぎるまでネガのまま、まったく手を付けずにネガBoxに。
このニューヨーク滞在は、私にとって実に人生の『ターニングポイント』と言えるものであったのだが、
その事自体に私は気付かず、濃い霧の中を路頭に迷って自分が一体何をしているのか、何をしたいのかわからず
精神的に案外苦しい時期であったようなのだ。
私は子供の頃から、自分の思いを誰かに話すとか相談する・・・という習慣というか、発想すらなかったので
ずーっと遠回りして、ようやっと今頃になって『嗚呼…そうだったのか〜』なんて納得したりしている。
そういった点、相方のように定期的に『(心理)カウンセリング』を受けていれば、もっと早く色々な事に気付いたかもしれない。
ヨーロッパでは『カウンセリング』を受けることは、今では一般的であるが、相方の両親の世代では日本人同様抵抗感があるようだ。
1986年というのは私が鍼灸学校を卒業し、居士林での禅の修行にも一段落をつけ、長年の夢であった
ニューヨークへ行き、写真活動を・・・と淡いアメリカンドリームを頭の隅に描いて渡米したのであるが・・・
ニューヨークに着いたとたん、私は濃霧に襲われたように頭がボーツとした。(日本〜N.Y間のタイムラグのせいもあり)
渡米するまでの3年間は鍼灸学校に通いながら、土日は円覚寺居士林で坐禅するという『東洋的雰囲気』に浸り
卒業したらいよいよ海外…と思っていたのが、私の内面では案外に『道』にハマっていたのだと思う。
憧れの地に来た時、私は『虚無』の真っ只中に『落っこち』て絶望していたのだと思う。
この作品がある程度まとまった時に、無意識的に『Good-by New York 1986 』とタイトルを付けたが
その後、ヨーロッパ経由で帰国し、円覚寺に直行、老師の弟子(居士として)となって参禅を始めた経緯を考えると
『長年の夢』にGood-by し、『道』に真剣に向き合うことになったのだ。
帰国した時には『禅』のことと、生活を支える仕事のことで頭が一杯で、『写真は止めた』と思っていたし
ニューヨークでの写真にはろくなモノが無いと信じ込んでいた。
しかし、いま作品を見ると自分の写真作品の中でも一番いい作品かもしれない…と思っている。
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