私は還暦を迎えて、12年目になろうとしているが、以来『還暦』という言葉を、『60歳という人生の節目』の意味から
文字通り『自己の暦(歴史)を還り観る』行為として『還暦スキャン』という造語にして様々に使いまわしている。
私は仏教の肝(きも)である『悟り』というものが、日本文化のそれこそ至る所に『網の目』の如く張り巡らされている現状を証明する事を
使命の一つとして『東洋自分なり研究所』を立ち上げた事を、たった今これを書きながら認識したようだ。(実況中継風に言うと…)
そもそも、『還暦』・・・という言葉自体が、人々をして『悟り』を大いに促していることを私達は知るべきではないだろうか。
その一例として私の『還暦スキャン』を観ると、
小学校入る前ぐらいの年齢(5〜6歳?)の、自分的にはどうしても忘れられない、一見取るに足らない一瞬の出来事であるが。
北海道、北見市の1950年代の田舎街にも秋祭り(?)には、獅子舞が一軒一軒尋ねきては、子供たちの頭を『ガブリ!』と喰らいつく行事が
行われていて、その獅子舞等が我が家の数軒前に近づいた時、私は家にいる母に『獅子舞が来たよ〜ッ』と、知らせるべく大急ぎで
たぶん半ばパニック状態で走り戻る時、自分の『涙』に、ふと『なぜ泣くの?』と疑義を抱いた・・・ことが忘れなれない事として覚えている。
『 獅子舞が 近くに来たと 泣きながら 知らせに走る 我は誰ぞな・・・』 馬骨
いま考えると、『獅子舞』はまさに『龍』といえないであろうか。子供達にとって恐ろしい怪獣が襲ってくる・・・っていうパニック状態。
あっ、いま解った『龍』+『衣』=『獅子舞』・・・が、子供を『襲う』ことから、『襲』の字が由来していることを。(馬骨論ですが)
(ここ数日、今年の干支から『龍』の字、能登半島地震から『襲』の字についてブログに書いてきたもので・・・)
この、『覚醒(悟り)ショック』療法・・・というのは、禅界でも昔から様々なやり方で行われている話を、スズキ大拙は沢山書き残している。
『獅子舞』という伝統的『目覚め装置』で、『(悟り)に目覚めた』子供たちを日本人は量産してきたのだ。
『龍』というのが、衣をつけて『獅子舞』の姿で『悟り』を促し、『仏縁を起』こしてきた『縁起モノ』である由来はこれであろう。
真実の自己というのが『自分』・・・『自ずと分かれ、自ずと分かる』という日常用語に使われている国、日本って実に『悟りの郷』である。
昨日5日、スイスの首都ベルンでの風景。スイス発祥(2000年)の楽器『ハンドパン』を見事に演奏し
モンゴルに伝わる発声法ホーミーを駆使し5オクターブの歌は素晴らしかった。
我々がフランス語圏から来た事を知ると、美しいフランス語で歌ってくれた。
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