拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

西洋率

2015年12月25日 | 瑞西考

 今年で24回目のクリスマスをヨーロッパの真ん中、ローザンヌで迎えた。
 スイス気候観測史上最も暖かい12月・・・と、誰かが言っていたのを耳にしたが、寒波に向かって突進する『覚悟』していたのに・・・これを『肩透かし』というのか?
 そして、年末だというのに引越し屋の仕事が結構立て込んで『師走』とは違った意味で気が競って『師走』であることすら忘れてた状態で『クリスマス』!

 ニコルの両親宅で暖炉を囲んで恒例の家族の集いも無事終了し、高台にある家の表に出ると、夜空に満月が雲をゆったりとなびかせ
 眼下にはレマン湖を縁取るイルミネーションが美しかった。

 今年のいつだったか? ふと、『西洋って?』という思いがわいた。
 考えてみると人一倍『洋の東西』にこだわる自分であったのに、いつの間にか・・・そんなことは綺麗サッパリと忘れ去っていたような・・・。

 日本人、Kさんが毎秋主催する『バッハ祭』のうち、二つのコンサートに招待していただいた時、ボクは強烈に自分との落差故に『西洋』を感じとっていた。
 それは、はじめて『能』を見た時の感覚に似ていた。

 何を言いたいのかさっぱり解らないけれど、真剣にそれを演じている人間に『不立文字』のメッセージを感じ取るごとき。

 ボクは日本を出る以前、『東洋医学』や『禅』や『太極拳』に励んで、どっぷりと『東洋』を担いでヨーロッパにやってきたので、実に『無一物』では無い。
 それどころか、生まれてから今日まで体験したモノモノを背負い込んでいる『蝸牛(かたつむり)』状であることをしっかり『意識』している。

 でバッハ・コンサートであるが、二つ目の『バイオリン独奏』を見聞した時、確かに演奏は素晴らしい・・・とは思ったのであるが、『何を言いたいのか』
 解らない状態の中で、じっと坐って演奏を聞き入る苦痛そのものの意識から演奏者や聴衆を眺めた時、そこに薫習された『西洋』の存在を感じたのである。

 そういえば、こちらヨーロッパでは・・・というか、スイスというかスイス・フランス語圏では、幼い子供にバイオリンやらピアノを習わせる両親が圧倒的に多い。
 のである。
 今、ボクがこちらで『西洋』を感じ取りたいのであれば、クラシック・音楽コンサートへ行くべきであるとおもっている。
 そこには、長年培った『西洋』の真髄が綿々と横たわっているようだ。 メリークリスマス!!

          



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