『工学』とは…何かよく解らず、ただカッコいい語感に惹かれて、この言葉を使用しているが…、数学、物理学抜きの
私自身の中では、あれとあれがああして、こうして結びついて、こうなった…的な『奇っ怪工学』が
我が『禅脳』によって密かに巧みに構築され、いつの間にか『知の巨人』松岡正剛氏が提唱する『編集工学』にまでに至った。
松岡正剛氏の存在については、私がスイスに在住してからのことであるとずーっと思っていたが、実はもっと以前の
私が関西の写真学校在学中、学校の図書でみた季刊誌『遊』(1971年創刊され、あらゆるジャンルを融合超越した独自のスタイル
は、日本のアート、思想、メディア、デザインに多大な衝撃を与えた…Wikipediaによる)の編集が松岡正剛氏(当時27歳)であって、
21歳であった私は、この素敵にへんてこりんな雑誌『遊』を夢中で鑑賞する形で松岡正剛氏と出逢っていたことを後で知った。
これは創刊号の表紙…毎号目ン玉が飛び出る内容の図
( この写真から触発されたて観えてきたのは、蛙が飛び込んだ瞬間の 水の音を水玉自ら観ている(観音玉)が飛び跳ねる図 )
松岡正剛氏は何故『遊』の字を選んだのか? 氏はすでに禅語として『遊戯三昧』を知っていたのだろうか?
1987年、氏が43歳のとき、編集工学研究所を設立。『人間の意識や感情や行為の伴う(意味情報)に着目し、それらが生成
交換される(生きた情報システム)を扱っていくための方法論の構築に向かった…(Wikipedia)』という難解なものを始めた。
私はカメラをデジ一眼レフに変えた時、(2006年)猫を練習台に撮ったが、その後、『花猫風月』というタイトルで
写真展をするまでに『猫』にハマった。そして『花鳥風月』を勉強するために松岡氏の著書『花鳥風月の科学』を買ったところから
松岡正剛ワールドに少しずつ接点を持つことになった。
彼の云う『編集工学』…を長い間、私は理解できないでいたが、『悟り』を軸とする『漢字』の『編集工学』性に開眼してから
急速に彼の『編集工学』を理解するようになったと思う。
で『遊戯三昧』、 一般的に悟った後の『悠々自適』な境涯を指していると思うが、
実際には、泳げない人が此岸から彼岸に向けて必死に泳ぐ姿にこそ、『遊戯三昧』であった…と、後に『還暦』するのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます