先日と言っても10月31日の、いわゆるハロウ〜インの夜の事。
我々夫婦が近所のカフェにいると、約30分ほどの間に市販のハロウイン衣装を身につけた子供達(4〜5歳)のグループが
3組ほどカフェにやって来て何か叫ぶと、その子供達に店主がお菓子を配る…という風景を眼にした。
主にアメリカで盛んなハロウイン祭りが、近年子供達のお祭りとしてヨーロッパにも流行りつつある、スイスではまだ新参の祭りだ。
店主と子供達のやり取りを観ていた私は、『デジャヴュ』的な、なんだか懐かしい・・・気がしたのであるが
その時はそれでまぁ帰宅し、しばらくその件は忘れていた。
それがある時、ふと『ローソク出せ、出せよ。出さないと○○ぞ!』・・・と口からついて出て、それはハロウインの夜に触発されて
蘇ってきた記憶で、はるか遠くからよみがえって来た、私の幼い時の記憶であった。
『ローソク出せ、出せよ!』の一節しか思い出せないので、ググって見ると、なんといまだに北海道だけで行われている風習で
まさに『ローソク出せ』…と称す、旧暦の七夕、北海道ではそれが8月に行われる行事で動画までアップされていた。
私の『ローソク出せ』の記憶も4〜5歳の頃の記憶で、浴衣を着て提灯を持って近所の家に『ローソク出せ、出せよ』といいながら
練り歩き、お菓子をねだった・・・記憶であった。私の記憶では4,5歳以降のこの行事の思い出が無いので、我が故郷北見では
この行事があるいは廃止されたのかもしれない?(子供がローソクを灯すので、火事を誘発する恐れがあることは確かであった)
私の子供の頃の記憶を考えると、案外『祭り』に関する記憶が多いことにあらためて気づく。
そう考えた時、『神事』や『盆』にまつわる伝統行事はそれを執り行っている大人達自身は無意識であっても
行事の中にしっかり秘められている郷里(悟り)は、大人になるいつの日にかに『悟り』として開花する種を子供達に
記憶として埋め込む通過儀礼なのだろう・・・。
『ローソク出せ、出せよ!』・・・と近所を練り歩く行事も、『自灯明法灯明』の仏陀の教えを知った今、
その行事が単なる『ローソク集め』で無いことは明らかなように・・・。
ハロウインの頃、スイス・フランス語圏の窓辺で見かけた風景
提灯を灯した、洋の東西似通った行事も『道』は同じとしても、その深さに格段の差があるようだ。
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