拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  私の昭和はこうして始まった・・・

2024年02月02日 | 還暦録

  先日、81歳になったポール・サイモンがギター弾き語りする動画にであって、その変わりように驚きながらも、

  懐かしい友人に再会したような不思議な気持ちと同時に、私の喉に刺さっていた魚の小骨のことを、思い出させてくれた・・・。

 

                 

 

  私を『道』に到らせた因縁に『観音』というキーワードがあることは、これまでこのブログに何度も書いてきているが、

  その『導(しるべ)』の一つとして、ポール・サイモン作詞作曲『Sound of silence』は、私の中でどうしても看過することの出来ないモノ・・・というか

  私の潜在意識にしっかり刻印された公案(禅問答)であったように思う。

 

  この曲との出会いは1968年、私が16歳のときに公開されたダスティン・ホフマン主演映画『卒業』のエンディングに流れていた時が最初だった。

  その後、自己流でギターを始めた時、自然とこの曲も練習したように思う・・・。

  ただ英語がよく解らなかったので、『静寂の音』と題する曲の内容については、『何か深い…』とは思いつつ、曖昧のまま私の喉に魚小骨として刺さったままだった。

    

                                                                                                        The Graduate - Sound Of Silence Music Video 

  歌詞の一節に『 When my eyes were stabbed by the flash of a neon light.  That split the night , And touched the sound of silence・・・』とあり、

  意訳すると 『 ボクの眼にネオンの光が飛び込んできた時、夜の闇が裂け、『静寂の音』に触れていたのだ・・・』というのだ。

 

  こうしたアメリカ音楽、映画との出会いは、多感だが無教養な私としては、砂漠のオアシスのように、乾きを癒すためには絶対に必要であっただろう。

  例えば、ポール・サイモン、ボブ・ディラン、ジョン・レノン・・・彼等の歌の意味はよく解らないなりに、私の心に何よりも強く語りかけてきた。

 

  私は、当時の自分のこういった傾向を『西洋かぶれ』・・・と若干コンプレックスに思っていた面もほんのちょっとあったように思うが

  今思えば、全くそうではなく『道』をそれぞれのやり方で、鳴り物入りで説く彼等の音楽に耳を傾けていた時代で、それが私の『昭和』であったのだと思う。

  『昭和』というと、一つの型にはまったイメージがあるが、一方で我々(昭和27年生)はアメリカン・ポップスに耳を傾けた世代でもあった。

  



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