29歳の時、新宿にある東洋鍼灸専門学校へ入学すると、一人黒い着物に袴という出で立ちのユニークな先生がいた。
物凄いエネルギッシュな先生で、当時の鎌倉円覚寺の老師の鍼灸主治医をしていて、12月の接心には必ず参加する・・・という禅者でもあった。
その先生が授業後、生徒を誘って近くの喫茶店でお茶にしようというので、同級生ら5,6人とお茶をした時
この先生が私の顔を見るなり、『お前の部屋は汚いだろう…』と言われた。
いきなりなんていう事を言う人だろうか!・・・と憤然とした気分と、その質問というか、決めつけと云うか、何故そんな事を言うのか??
不思議で不思議で・・・だからその事は今でもよく覚えているのだ。
その頃はまだ禅の『ぜ』の字も知らない時で、その後、まさか自分が禅の修行にハマるとは・・・この先生も思わなかったであろう?
いや、果たして彼は私の禅修行突入を予想していたのだろうか?・・・
というのも彼のあの『トンチンカンな問いかけ』は私の最初の『公案』であったと今にして解る・・・からだ。
実際、円覚寺居士林で修行を始めるわけだが、坐禅している時以外はとにかく掃除、掃除、掃除で道場内外、境内の階段など掃き清める作務をやらされた。
ある時、庭にある手押しポンプのある流し台で、食器を洗っている先輩格の学生居士が、ご飯粒が流れたと言って慌てて摘んで食べる光景に出会って私は驚愕した。
飽食時代と言われているこのご時世に、米粒一つ流れたからと言って、目の色を変え一心不乱に米粒を追う学生居士の姿は決して忘れられない風景であった。
そういった細々とした体験は、禅修行の三学『戒・定・慧』という段階を踏んで『般若の智慧』、つまり『悟り』へと誘う『行』であった。
『戒』とは『戒律』のことで、『してはいけない事=戒』、『しなければいけない事=律』だそうで、とにかく『清静』という基本に全力で向かっていたわけだ。
25歳ぐらいの時の私のアパートの『汚い部屋』の証拠写真・・・いや〜実に恥ずかしい写真で公開を憚りましたが・・・
『清い』・・・ということが、解らなければ『汚い』ということが解らない。『色即是空・空即是色』もまた然り、『空』がわからなければ『色』は解らない。
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