拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  コーラル・プリンセス号 の旅 (1977)

2022年09月03日 | 還暦録

  先日、湖畔を散歩していた時、花壇の美しいのをたまたま前を歩いていた年配の男性に同意を求め話しかけた相方に

  愛想よく返答してきた男性は元町会議員だったそうで、町のことを褒められるとやはりうれしいらしいらしく

  町のことをあれこれ説明してくれた。最後に、『この秋に客船で3ヶ月かけて世界一周するんですよ…』と教えてくれた。

  私は貧乏性なので、咄嗟に『いくらかかるんですか?』という質問を投げかけたかったのをぐっとこらえた。

  一昨年はオーストラリアまで行った所で、コロナの為に中止になったそうで、今年は4000人乗船できる船で旅行するそうだ。

 

  私より少し年配のこの退職者は年金で悠々自適で生活し、夫婦で豪華客船世界一周・・・なのか。

  私は船が嫌いなので、どんなに豪華客船であっても別に羨ましいとは思わないし、老人ホーム如き客船旅行はちょっと抵抗がある。

  

  しかしそのあと、冷静に『還暦スキャン』してみると、私は25歳のとき、『兵庫県青年洋上大学』という企画に参加しコーラル・プリンセス号

  というイギリスの客船で25日間ぐらいの船旅を経験していた。

  20〜26歳までの男女400名、半額は県が持ち、半額は自分持ちだったと思う。職場の推薦も必要だったような気がする。

           

  若い男女が半数ずつ乗船しているのだから、まぁ、いまでいう県が企画する『でかい合コン』みたいなものであったろうか。

  神戸港〜パラオ〜マニラ〜ベトナム(ホーチミン市)〜神戸港・・・が主な寄港地であったと思う。

  洋上大学というくらいだから、テーマにそった議論などが行われ、私が参加したグループのテーマは『国際人になるには?』というような

  ものであったと思うが、話の内容はすっかり忘れてしまったが、グループの中で私一人がすっかり浮いてしまい、担当の教師が総会で

  私のことを批判したので驚いたことであった。以来あまり自分の意見を言わなくなったかもしれない。

           

  ガールフレンド探しを私なりに必死に(気持ちだけ)したが、まったくモテず、それよりもパラオという島に行った時

  グループの一人の男が英語が堪能で、彼の通訳で現地の人の案内を受けたが、その時の嫉妬というか羨望がもとで、

  その後、勤めていた芸術学院を辞め、車で弁当配達しながら、英会話スクールに1年半ほど通うことになった。

  今から思えば、どこにどんな動機は潜んでいるかわからないのが『青春』というものであろうか??

         

  こんなに素晴らしい企画で客船に乗せて頂き、実にありがたいものであったが

  事前にその国のことなどもっと勉強していたならより有意義なものになったであろうに(PCやipadeのない時代だった)

  私の25歳はボンヤリした馬鹿者だったようで、今思うと残念に思うことが多い。

  旅行記録など書いておけばよかったし、写真もバンバン撮ればよかったのに、ベトナムでは戦争が終了したばかりだから

  あまり撮らないように・・・という指導員の言うことを守ってしまってあまり撮っていなかった。

  

  

 

  



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