拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

   素朴な疑問

2023年11月13日 | 還暦録

  昨日、我がYoutubeのホームページに、『若年性認知症』をテーマにした動画が紹介されていて、一つ観ると次から次と様々なドキュメント動画が

  アップされ、身につまされる思いでいくつもの動画を観てしまった。

  65歳未満で発症する認知症を『若年性認知症』・・・と言うらしい。

  円満なご夫婦が、定年退職時期をねらったかのように、奥様が『認知症』になってしまった例があって、ご主人は健気に身の回り一切の世話をしていた。

  『立派!』…と、心の中で拍手喝采をしながら、果たして自分はどうなんだろう・・・という不安がもちあがったりして複雑な気持ちであった。

  もっと若い時期に『認知症』になった夫婦のことを思うと、『悲しい』・・・と同情するしか出来ない無力感を思い、

  我が夫婦の愚脳を活性化するべく、今日も『花札』に興じたりした。

 

  脳が萎縮して、記憶や言葉が奪われる・・・その前に、駄洒落であろうが、なんだろうが頭に思い浮かぶ事柄を書くが良い!・・・という

  仏様の御託宣(ごたくせん)を受けとめた時、以前より心の片隅にあったこのテーマは是非書かなければと、ここにいま書く次第。

 

  例の『還暦スキャン』よりずーっと以前から私の愚脳を時折刺激していたテーマであったように思うが、

  小学生高学年?・・・何歳頃であったかさだかではないが、『自分は、一人のときはいい子なのに、学校でクラスメイトと一緒だと嫌な自分になってしまう…』

  という『素朴な疑問』というか、悩みを抱いたことを覚えている。 71歳になった爺の回想としてはカワイイすぎるかもしれないが

  しかし、これはとても重要な『着眼点』であった!! ことをここに記録しておきたいと思う。

  たぶん、子供は皆、そのことに気がついていると思う。しかしその疑問の『掘り下げ』を後押しする『何か』(親や先生、友人などのアドバイス?)が

  欠けているために、大切な着眼点が見過ごされてしまっているのだ。

 

  『 幼子が 次第次第に 知恵つきて 仏に遠く なるぞ悲しき・・・』 この詩に出会った時、その疑問が解けたのかも・・・

              

             フォロンの『疑問符の像』・・・『?』は『!』への鍵である。



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