『禅とは何か?』・・・という問い…は、深淵だ。
釈迦の『悟り』をベースに極められた『人”間”工学』と中国、日本と1500年かけて築き上げた修行システムは人類に何をもたらした・・・のか?
それは、人間としてのアイデンティティ…つまり、信じたり、祈ったりするということではなく、正真正銘、自分自身の内から湧き出てくる
『ドスンと不二落ちる』実感(アイデンティティ)を心に生きる。
禅で言う『己事究明』以上に人間にとって重要なことはないだろう。
人間としてのアイデンティティが無いから人の世は『一切皆苦』となり、『イジメや自殺』・・・そのでかいのが『戦争』になったりする。
そのアイデンティティとは、西田幾多郎氏が提唱した『絶対矛盾的自己同一』に他ならない。
『絶対矛盾的自己同一』を英訳すると『Absolute contradictories Identity 』略して『AI 』は、『Artficial Intelligence』の『AI』時代には
なくてはならない人間の『アイデンティティ』となるだろう。
それは自分の行くべき道の地図であり、自分の現在地を教えるモノであり、それらを観自在するGPSのような視点だ。
それは『心の郷里(さとり)』で、誰もが生まれながらに自己の内に持って生まれた『性』・・・ということは
釈迦も達磨も道元も一休も良寛も大拙も、禅を今も支えている老師方も言っていることだ。
弥勒菩薩は、56億7000万年後の未来の世に仏となって衆生を救済する・・・と言われている。
この時間の長さは、各自の心の此岸から彼岸の距離であろう。
この『間隔』に意識を向けなければ自己の内に住む『弥勒菩薩』には永遠に出会うことは無いだろう。
意識を向けていれば、いつの日か『瞬時』に渡れる距離でもあるのだ。
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