2日前の日曜日、ローザンヌから電車で2時間のチューリッヒまで行って、私が普段考えているテーマ『考えるな、漢字ろ!』で
話をする機会を与えて頂き、こちらに住んで20年以上の日本人数人(直前に2人、Zoom で4人)に聞いて頂いた。
去年、ジュネーブで同じ趣旨の話をしたので2度目ということになるが、それ以外の普段はほとんど自分自身としか話をしていないので
最初はいつも、『声が出るであろうか?』…というようなあたりから心配し、緊張するが、特に話の出だしをどんなところから
話始めるのが良いのか?・・・ということが前日あたりに迫って、焦った時に出てきたのが何故か例の芭蕉の俳句であった。
『 古池や 蛙飛び込む 水の音 』・・・
この17音の言葉で表された情景…って、とても容易にイメージできるが、これのどこが日本文化を代表する要因というものがあるのか??
というようなことを考えた時、この俳句は非常に面白い・・・と思ったのだ。
一応、テーマみたいなものが『東洋思想の真髄』というようなことで、禅者であるつもりの自分が話すのだからつまるところ『禅』みたいな
ところに着地することは間違いないのである。
そうすると、古池=東洋思想=禅(深まった結果)…であり、飛び込んだ蛙=私てなことで、『心身一如と冷暖自知』の要点を抑え
最後の水の音=が入門となって導かれる『観音の世界』つまり『悟り』とか『空』・・・みたいな処に日本文化の根源あるあるのではないだろうか…。
その時、まぁ、水の音が導く静寂の世界、それは水音が消えるという風に捉えるのではなく、水音が観音によって覆い尽される世界にも我々は生きている。
というような事を言いたいわけで、その『観音』を私はこのさい『慈音』と勝手に名付けてしまった。もともと観世音菩薩は慈悲の菩薩と言われているのだから
そんなに間違ってはいないであろう。にしても…水音からいきなり『観音』だ『慈音』だと勝手なことをいっても分けが分からない、だろうけど・・・。
そんな流れで、あれこれ考えていたら、 インドは『0』を発明し、中国は『☯』を発明、日本は『道』を発明した…という点に到り、自分なりに納得したのだった。
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