我が街ローザンヌの写真美術館エリゼは 毎月第一 土曜日は 無料開放している。
今回は フリップ・ハルスマンの写真
彼については マグナムのページより転載
1906年、ラトビアのリガに生まれる。父は歯科医、母は教師だった。
15歳の時に父親の古いビューカメラを初めて手にし、その魅力にとりつかれる。家族の写真を撮り続けるうちに、人間の顔が持つ様々な表情に興味を持つようになる。
18歳の時、ドイツのドレスデンへ工学を学ぶために留学。数年後、パリへ移り、写真家になることを決意する。
モンパルナスにスタジオを構え、1930年代パリに集まっていた芸術家、作家、俳優などのポートレイトを撮り、雑誌「ヴォーグ」、「ヴュ」などに発表する。
第二次大戦勃発とともにアメリカへ渡り、ポートレイト、広告、雑誌など、幅広い分野で活躍するようになる。
雑誌「ライフ」の表紙を100回以上こなし、撮影したアインシュタイン、アデライ・スティーブンソン、ジョン・スタインベックなどの写真は、アメリカの記念切手にまで使用された。
1979年没。
エリゼ写真美術館入り口風景
今回のエリゼでの展示は 有名女優、男優そして政治家などのジャンプポートレートが中心で 彼の様々な人物のジャンプ写真を見た後は
貴方も 是非どうぞ!・・・・ということで 地下の一室に 写真スタジオを設け 『勝手に撮影場』としているところなんざ 粋だね。
ボクも横で 便乗撮影。 だけど、デジコンだと 時差があって難しいねこういう場合は・・・それで実はいま 狙っているデジコンがあるけど
昨日より エプソンプリンターが故障して・・・思案中。
皆の 本当に楽しそうな様子を見ながら 写真って なんだろうか?・・・とふと考えたが、
写す方も 写される方も 時空を瞬時に 停止させることで 普段見えないモノを見出す 創作の喜び・・・なんて~のは あるはな。
今回は フリップ・ハルスマンの写真
彼については マグナムのページより転載
1906年、ラトビアのリガに生まれる。父は歯科医、母は教師だった。
15歳の時に父親の古いビューカメラを初めて手にし、その魅力にとりつかれる。家族の写真を撮り続けるうちに、人間の顔が持つ様々な表情に興味を持つようになる。
18歳の時、ドイツのドレスデンへ工学を学ぶために留学。数年後、パリへ移り、写真家になることを決意する。
モンパルナスにスタジオを構え、1930年代パリに集まっていた芸術家、作家、俳優などのポートレイトを撮り、雑誌「ヴォーグ」、「ヴュ」などに発表する。
第二次大戦勃発とともにアメリカへ渡り、ポートレイト、広告、雑誌など、幅広い分野で活躍するようになる。
雑誌「ライフ」の表紙を100回以上こなし、撮影したアインシュタイン、アデライ・スティーブンソン、ジョン・スタインベックなどの写真は、アメリカの記念切手にまで使用された。
1979年没。
エリゼ写真美術館入り口風景
今回のエリゼでの展示は 有名女優、男優そして政治家などのジャンプポートレートが中心で 彼の様々な人物のジャンプ写真を見た後は
貴方も 是非どうぞ!・・・・ということで 地下の一室に 写真スタジオを設け 『勝手に撮影場』としているところなんざ 粋だね。
ボクも横で 便乗撮影。 だけど、デジコンだと 時差があって難しいねこういう場合は・・・それで実はいま 狙っているデジコンがあるけど
昨日より エプソンプリンターが故障して・・・思案中。
皆の 本当に楽しそうな様子を見ながら 写真って なんだろうか?・・・とふと考えたが、
写す方も 写される方も 時空を瞬時に 停止させることで 普段見えないモノを見出す 創作の喜び・・・なんて~のは あるはな。
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