仏教書によると、仏陀が悟ったのは『縁起』である・・・と書いてあり、『12縁起』についての説明を読んでも今ひとつピンと来ない。
長い間、私にとって最も縁の薄く感じられる仏教用語が『縁起』であった。
それが、ちょっと視点の角度を変えるだけで、その意味が観えてくる・・・ということは案外あるものなのだ。
それは『0』について、考えた時まさにそれは『起』こってきた。
そもそも『0』はインド人が6世紀頃発見したそうだが、紀元前500年頃の釈迦の『悟り』とは無縁ではないだろう。
そうであれば、『0』と釈迦の悟った『縁起』とはなにか密接な関係があると・・・観た場合
密接どころか『0』=空、であるとき、初めて『縁』が『起』こった・・・ということが、解った。
頭では、『人は様々な縁によって生かされている』・・・と解ったつもりになっても、本当に『空=0』が分からなければ
人々の内に『縁』は『起』ちあがることはないのだ・・・。
それが、数学的に説明すると解りやすい・・・(と、数学に最も疎い人間が言うのもなんであるが…)
『0』が『起』ち上がることで、全ての数字が意味を持ち始める・・・ということだ。
1946年に没したイギリスの数学者、J・ジーンズは『宇宙はまるで純粋数学者が設計したかのようだ・・・』と言ったそうだ。
Youtubeで知った、韓国人 ノ・ジェス氏は今日本で『悟り』をベースにした啓蒙運動的、『観術』を展開して
『 0=∞=1・・・宇宙一美しい奇跡の数式 』という本を出しているが、まさに釈迦の『悟り』を数式にした結果であろう。
私達は『縁』があることを知っているが、いまだ『起』ち上がっていない・・・のである。
『縁起』はまた『不二の法門』であり『自他不二』であると智ったとき、そこに起きるのは『慈悲心』であり、『尊厳』なのだ。
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