思えば、禅入門とは『悟学留学』そのもので、禅界は日本にありながら別次元の世界への旅立ちであり、
日常の言葉は奪いつくされ、のみならず『思考の自由』などもってのほかの、まさに『言語道断』の世界であった。
約十年の間、居士としての禅修行は娑婆と道場の往復で『道場でせっかく温まった薬缶が、娑婆で冷めてるようじゃ… 』の揶揄も
何回か浴びせられながら、それすら『馬耳東風』でやり過ごし、40歳を目前に修行に区切りをつけて渡欧した先はそれこそ
言葉の通じぬスイス・フランス語圏(西瑞仏語圏)であったが、何故そこであったのか?は、宿縁のみが知っている事情。
『語学』ならぬ『悟学』留学をさらに探究させんとする仏母心のなせる業か、結果的に『仏語』の世界で『観光ガイド』、『引越し屋』
などに身を粉に、聾唖者の如く押し黙って三十年、65歳で定年退職を迎えた流れで、『東洋自分なり研究所』設立にいたった。
我が研究所の目的は一に、『東洋思想の簡潔化と普及』にあり
かなでも東洋思想の中心となる『仏教』は最重要項目でありながら、宗派も多く、使われている用語も複雑多岐に渡り解りにくい…
そういったところを馬骨の独断と『遍』見で新解釈を試みようというものである。
今日の本題であり、我がブログタイトル『拈華微笑』…とは
『いつもは講義で始まる釈迦の教えが、その日は釈迦が『華』を拈じ示して弟子たちに無言で問いかけることで始まった…。
一同何のことかと、ぼんやり押し黙るなか、一人摩訶迦葉だけが、微笑で応答したところ
『私の仏法は摩訶迦葉に伝えられた』…と釈迦が宣言した。』 ・・・という有名な逸話が基となっている。
そもそもこの逸話は禅の根本理念『不立文字・教外別伝・直指人心・涅槃寂静』そのものを表明したものであると考えられているが、
私はこの話の一見『言葉の無介入』であるところの『語学=悟学』の持つ無尽の可能性に強く魅せられる一人である。
言葉の壁のみならず、あらゆる『壁』を超える人間の在り方、その可能性を端的に表す『拈華微笑』・・・
それこそが『仏語』で、仏教では若干別な文脈で使われる『真言(マントラ)』の起源であり根本なのだと思う。
仏の真言は『拈華微笑』にこそ観じられるものであると思う。