拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  Alien

2012年01月22日 | 瑞西考
 ボクの人生の かなりのパーセンテージ%を 映画が占めているとおもわれる。
 ボクが4,5歳のとき? 近所の家でテレビを見させてもたった それはマンガの「ポパイ」だったような気がする。

 小学校に入ってから 授業で「紙芝居」が 最大の楽しみであったから ボクは子供の頃から 「物語」が好きな人間だった。

 近所に悪ガキの先輩がいて 親の金を盗んでは ボクを誘って 映画を見に行き 帰りにラーメンを食べる・・・という凄いコースが
 あった。 彼は多分 小学校5,6年生 ボクが2,3年生?だっただろうか。 
 しかし、彼 タケオちゃんは 急に病気になり 死んでしまった。 葬式の日 ボクは一人で映画を見に行った事・・・を覚えている。

 昔の映画は 普通3本立てで  今考えると結構 無茶だった。 映画館から出てきたら 頭クラクラしたものだが 無理もない。

 中学の時は 映画に行くのに いちいち担任先生の 許可(印鑑)をもらわなければならなかった。(今はどうなのかな?) 
 それを映画館の人に いちいち見せたのだろうか・・・その辺の記憶が ないのだけれど。 

 北海道の何もない片田舎に 生まれ育ったボクにとって 映画からの影響は 物凄いものだった と思う。
 高校生になるまで 本というものを殆ど読まなかった ボクにとって 映画から学んだ人生学・・・そんなものを
 追究したら 面白いかもしれない。
 ボクの日本人的な部分の一部は その頃たくさん見た時代劇から 来ているかもしれない。武士道・・・みたいなもの。

 兎に角 一切の評価をせず 手当たり次第に 映画を見てきた時代が長かった。監督とか役者とか分野にもぜんぜんこだわらなかった。
 
 話は突然 ボクの今日のテーマに戻るが(今までが脱線していたのだけれど)例の有名映画エイリアンの あの怪物を創造したギガーの博物館が
 スイスのチーズで有名な グリュイエール村のお城に続く道の途中に あるのだから 驚く。
 そのいきさつは これを見て下さい。 http://www.hrgigermuseum.com/index2.php?option=home

 1998年オープンした博物館。 その頃ガイドをしていて お客を案内してグリュイエールに行った時 ギガーのあの怪物が トンネル状になっている
 通路に 張り付いているのを 見た時は 度肝を抜かれた。(残念ながら これは直ぐ取り外された・・・必撮しておけばよかった。)
                          SF映画が大好きである・・・と言う事を書くつもりが・・・開館当時のギガー博物館にて
                       

   SF映画に思いを馳せるにつけ 日本の混沌の現状が 映画以上に SF的、怪奇的、心理スリラー的 なのが 怖ろしく 悲しい・・・・。
   例えば 太郎と民主党議員とのやり取りなんか 同じ人間なのか?・・・と思えるぐらい 怖ろしい。 エイリアン(異星人)そのもの!                                         http://www.youtube.com/watch?v=jZsJQPxcA0Q&feature=youtube_gdata_player
 


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