拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 『ビックバン』その前と後

2021年07月09日 | 観自在

  7月らしからぬ天候、スイスなら可能と思われる『夏無し』の夏になるのでは・・・と心配になるほどの悪天候に

  先週は夏風邪で三日程ダウン、何十年かぶりの下痢で決着がついたのか回復した。

  そんな日の一日、普段読むことのない山田無文老師著の『臨済録』など眼を通した後、たまたま観たYoutube動画がこれ⬇︎

  タイトル『量子コンピューターの二大巨頭と対談しました』

 

  まさにインターネット時代でなければ、眼にすることもなかったであろう…対談を眼にして、

  全くの門外漢の私ですら、この両先生の嬉々として語られるお話の『熱量』に大変惹かれた。

  そして思ったのは、人間の歴史が始まってから延々と積み重ねられた知識の積み重ねが、『科学』を前進させてきたのだ・・・という感慨であった。

  コメントも400以上あり、それらに眼を通すと、理系の人でもこのお二人の話はぶっ飛んでいる凄い内容であることがわかる。

 

  そうしてみたとき、我々の『禅学』はどうだろう・・・

    『 趙州和尚、因みに僧問う、狗子に還って仏性有りや、也無しや。 州云わく、 無 。』 ・・・・

     訳: ある時、弟子の一人の僧が趙州に、『犬にも仏性があるか、それともないか』と尋ねた。趙州は『無』と答えた。

  中国の唐時代の趙州和尚さんの話が公案となって 昔から現在の今に至るまで各禅寺の僧堂で延々と『同じ問答』が問われ続けている…のである。

 

  同じ『積み重ね』でも、この真逆的『違い』はなんであろう?・・・ 

  『禅』が観るところは、それは鈴木大拙の言う 『未分化』のところであり、『科学』が観るのは『分化後』の現象・・・なのではないか。

  



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