拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  天上天下唯我独尊のメッセージ

2013年10月27日 | 観自在
  今や「我々日本人」などと一纏め的表現ができないほど 日本社会は意図的にズタズタに分断され、ほんの一部の富裕層によって支配されようとしている。

  そうなった原因は色々あるだろうが、私利私欲にまみれた魔性のなせる技・・・という一撮流・大雑把断罪にて話を進めたい。

  自分はこれまで禅修行に始まり 東洋医学や太極拳などを学んできて、日本人はこれほど素晴らしい宝を持っているのに何故それを活用しないのか?・・・と
  漠然と疑問を持ち続けてきたが、怠惰の為に折角の「いい質問」も掘り下げることも、疑問を呈することもなく 今日まできてしまった「馬鹿オヤジ」として
  反省し、何かをせねば・・・と思いいたっている時、つまり昨日

  IWJのインタビューシリーズ「肥田舜太郎」先生のお言葉に「ガ~ン」と我が初心の頃に持ち合わせていただろう“琴線”を かき鳴らされたのだ。
  それは2時間ほどのインタビューが終了し 岩上安身氏がお礼を述べた後に 肥田舜太郎先生がしみじみと話された言葉であった。

  肥田先生「もし、私が30年若くて、60歳ぐらいだったらいろんなことを出来るんですがね~。」
  岩上氏  「どんなことを されたいですか?」
  肥田先生「そうですね~、医療過疎みたいなところへ行ってね、医者というものは本来こういうもんだ、みたいなところを見せながら、一緒に高めてゆく。
       病気になったら医者に行く・・・というのが一番間違っていることで、まず自分で病気にならないように工夫する。なったら自分たちで原因を
       突き詰めて悪いことはしない。 この世で唯一の自分の命を大切に思って 自分の命を自分で守ることができる人間に成長させる・・・。」
       (これは書き起こしではなく 大筋のボクの意訳ですが・・・こういった大意の事を 仰った。詳細はIWJ会員になって動画を見てください。)
 
  (先生が仰ったことは、ボクが鍼灸専門学校を卒業して 鍼灸師(初心者であり、そのまね事をしていた時期)を一年ばかりやっていた時に持った感想
  でもあった。ボクなんかに「先生」と言っては 自己の病気治癒を全面的に委ねてくる甘えに ボクは生真面目に応えようと冷や汗をかきながらも
  その患者たちのメンタリティーに正直うんざりしてきたのだ。その頃禅修行もしていたが、中国生まれの気功体操「練功十八法」なる体操に魅せられ
  これこそはボクが世界に広めなければいかん仕事ではないか?・・・と道を外れ外れてしまった経過がある。)

  ボクは 96歳の、自らも広島原爆時に被爆し、医者として被爆者をこれまで診続けて来た人の この言葉に ただただ頭を下げ、 先生が希望する
  60歳という年齢が ボクの歳であることを ボクは「愛の鞭」として受け止めなければ ならないことを知っている。(馬鹿でもわかるよナ。)

  そんな中、ボクが思うのは 日本人にとっての「脚下照顧」、仏教という「宝物」を日本人自身が自家良薬にする掘り下げ活動が重要であると考える。
  突拍子もない飛躍と思われるかもしれないが、肥田先生がおっしゃっていることはまさに「仏教」だとボクは思う。
  仏教はそういうものであるのに、自分の家が何宗であるのか?そもそも仏陀とは何なのか?すら知らずに、自分が死ぬときは仏壇に祀られている現状は
  ある意味、滑稽を通り越している。

  仏陀が生まれた時 7歩、歩いて「天上天下唯我独尊!」と宣言した事を知っているだろうか?   
  一つは、この世に自分という唯一の生命を受けた唯我。 もう一つは誰もが対面すべき公案(解くべき問題)としての唯我。
  それがわかった時に 仏教がまさに人生において「安楽の法門」であると受けとめることが出来る道となるだろう。

        
         今日はサマータイム終了日、そしてローザンヌ・マラソン大会日 
        その様子を見にオリンピック博物館へ行った時 撮影した「脚下照顧に飛び込む相方」の図

  
  


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