拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  もしもし・〇〇クレジットカードです!

2013年10月30日 | 還暦録
  2度目にスイスに行った時 1986年頃? ヨーロッパは東洋ブームなのか、『Zen』や東洋医学が流行っていて
  ボクはその両方を『かじって参りました・・・」的存在で、すでにその方面で成功している大先輩も身近にいたりして
  そのまま素直にヨーロッパにとどまっていたら良かったところを・・・。
  あまりにも安易に『Zen』を売り物にして商売っぽい東洋人やその真贋の見分けもつかない西洋人が チヤホヤしている状況を
  目にして、ボクは我が身を振り返った時、そういった連中と五十歩百歩!である事を自覚し、再修行するために1987年日本に
  帰国することにした。

  ニューヨーク、スイスと2年間ぐらいぶらぶらしていたので、預金も底をつき、六畳一間の安アパートに住み
  しばらくはチラシ配りのバイトをしては、これからどのような形で修行をしたら良いのかしばらく模索していた。
  3,4ヶ月後スイスから相方がやって来て同棲することになり、雨だとチラシ配りのバイトが無いので別な仕事を二人で
  探していたら、どこかのビルに英語ができる人募集・・・の張り紙をみて即試験を受けたところ、何故か受かってしまい
  その週から『クレジットカード夜間オーソリティ』という、訳の分からない夜間19時~翌朝6時ぐらい?で夜22時以降は
  時給1500円(英語が出来る為)という 凄っごく いいバイト料金・・・これも今思えばまさにバブルのあぶく銭であったか。

  第一、クレジットカードって何か?まったく知らないし、今だから言えるが、ボクの仕事が何だったのか?いまだに良く解らない。
  空港なんかで外人さんがクレジットカードのことで電話質問があった時、その電話対応ということであったが、幸運にもほとんどかかって来なかった。
  あまりにも電話がかかってこないので、他の連中と同じように、夜、客が使ったクレジットカードが有効かどうか機械で調べ
  有効であれば問い合わせてきた店の人にオーソリティ番号を伝え、使えなければ『不可』を伝える仕事をすることになった。

  それがOK であれば問題ないが 『不可』の場合、大概客は酔っ払っているし、プライドを傷つけられたと思うのか、電話で怒鳴りこんだり
  『お前、今からそっちへ行くからな、このヤロー・・・」なんてのがしょっちゅうあったものだ。
  その他、クレジットカードの紛失届けの受付などもあって 様々の人と電話対応した。 
  このバイトでつくづく 学んだことは 声を含めた話し方というものは その人の人柄が ハッキリとでるものである・・・ということであった。

  このバイトは 1991年に再びスイスに行くまで続け、禅の修行は鍼灸学生時に居士林坐禅会に参加していた円覚寺で 今度は正式に
  足立老師の弟子になって 毎月一週間ある接心に参加する形で修行することになった。

             
               この写真は 写真学校の助手をしていた時 学院祭の写真科の生徒を撮ったもの ボクの古き良き時代かな。

  
  
  


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