拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

必撮無眼流 〜 言葉の壁 (写真展最終回)

2017年04月20日 | 必撮無眼流
       
          

  言葉ほど『メンドイ』ものは無い・・・と言葉で意識しない段階で40年前、ボクは写真の道を選んだのであろうと確信する。

  それなのに今回の短歌付き写真『展』を催したのは・・・何故であろか???

  まぁ、お月さまを真正面から撮った写真、例えば。 
  ボクはこう詠った 『 満月は 映さぬ鏡 澄みきった 見るもの無きに 我を映して 』・・・
  無に向き合う喜び・・・みたいなものを表現しているのかな。
  そういった気持は、この写真(前回のブログにアップした)だけでは、わかってもらえただろうか? Maybe、あるいは、、、

  ギャラリーで見に来てくれた外人さんたちに、ボクは感想を聞いたが、ほどんどの人が写真と詩がマッチしている・・・といってくれた。
  沢山の人が、両腕を広げ、手のひらを下にしてゆっくりと沈める動作をして『静寂』の意を現した。
  ヨーロッパでも静寂の代名詞となっている『Zen』の言葉を誰も使わなかったことは、面白い。

  独仏語訳を付けたとは言え、写真に日本語の詩を刻みつけた写真を違和感なく見てもらえた事にボクは快かった・・・。

  こんな感じで最終日を終えるのかなぁ、と思っていた閉展の時間が迫った夕方、地元にすんでいるという日本人女性が来て
  挨拶などしている内に、短歌を始めた動機などを聞かれたので2011年からツイッターによって始めたこと
  しかし、そのツイッターによって日本の政治的現状が危い状態にあることなどを話始めたあたりから何かが狂い始めたのだ。

  ボクが、『政治的現状が危い』と言った言葉に彼女は反応してきたのだ。
  ボクは本当に浮かっであった、在外日本人は皆、ボクと同じように安倍政権を危ぶんでいる・・・と思い込んでいたのだから。
  そうでない人に出会ってボクはショックをうけるほど驚愕した。

  話が原発にいたり、彼女は『日本やドイツだけが止めても、意味がないですよね・・・』と言ったのを聞いた時、
  ボクはこの話は止めましょう・・・と提案した。
  彼女と会った時、茶道をしている彼女の話に聞き入って盛り上がったが、一瞬にして、それははるか遠い過去になってしまった。

  言葉の通じる同胞の人間との間にとてつもなく分厚い『壁』がボクらが立っているギャラリーの中でボクらを分け隔てていたのだ。


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