拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『本来無一物』

2023年04月16日 | 東洋自分なり研究所

  禅に多少とも興味のある方なら、この有名な禅語『本来無一物』に出会っているだろう。

  私も修行者として初心の頃から、禅書や禅寺での老師の話(提唱)で何度も耳にしていた言葉であったが

  正直自分の中では非常に『無機的』に響いていた言葉であった。

  言葉というのは『無機的なもの』から、いつの日か急速に『有機的な響き』を持つものであると思う。

  人生という観点から見れば、それは早ければ早いほうが良い…となった時、『公案』という問題意識は有効だと思う今日此頃。

 

  本当にこれほど爺イになって、周りの者達が私以上に『高齢者の姿』を見せてくれることでようやっと『本来無一物』にたどり着いた。

  『歳を取る』ということは、限りなく『本来無一物』に近づいている・・・ということだと実感。

 

  足腰が弱り、耳や目が弱り、言葉を忘れ、ついに老人ホームに移ればそれまで所持していたほとんど一切と別れ・・・死を待つのみ。

  こんな当たり前の成り行きを有機的に捉え、『本来無一物』と覚悟を決めて悠々自適に生きるか、ただ死を待つのか・・・そこが問題だ。

 

  それとはまったく別事で私は、『仕合せ』や『仕事』など重要な言葉として使われている『仕』の字について『考えるな、漢字ろ!』していたのだが

  『仕』の字はよく観ると、『人』+『➕・➖』・・・になっているではないか! そう、人生は『➕・➖』で『0』であり

  それに気付くことが『仕事』であり、それに気付くことが『仕合せ』、つまり『本来無一物』・・・ということになった。

 

           



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