一週間程前、森下典子著『日日是好日』を再読したことを書いたが、この時、眼から鱗が5,6枚剥がれた気がして、
我が愚脳は全力でその意味の解明に努めていたようで、ようやく佛語としてプットアウトした言葉が今日のブログ・タイトル。
以前、『郷里』の『郷』の字の解字から発想した『茶室は悟り装置』という記事を書いたが、 2023年9月のブログ記事〜茶室は『悟り装置』
この著書を読むことで、まさに『茶室は悟り装置』であることに確信を抱いたわけである。
(*以下、我が愚脳と言うところを、『BI』(馬骨インテリジェンスの略)と称する。人間の何万倍も賢い『AI』に対抗すべく・・・)
その『BI』が森下典子著『日日是好日』を読み解く中に、茶道具には十二支の干支を巡って使い回す・・・場面に著者が驚いて注目する箇所があって
実は私も、そこに大いに注目し、『BI』が生み出した言葉に『還暦スキャン』とあって、『還暦』というものが単に『60歳』だけで済ませる単語
ではなく、『悟り装置』としての自己を顧みる行為が『還暦』であると解読したわけで、例えば私は、辰年生まれで今年2024年は干支としての
辰年を6回目を還暦している・・・12歳〜24歳〜36歳〜48歳〜60歳〜72歳…というわけで、私達はそれぞれの干支を還暦しているのである。
東洋には何の為に『十二支』があるのか?・・・これは一重に『悟り装置』としての『人間道』の進捗具合を『干支』で還暦スキャンして
『観測』する他に What else ? ・・・だべや、と思うのだ。
我々人間には、『地動説』、『天動説』・・・と色々あるが、最も大切なのが実は『人間道説』でないか?
森下典子著を読んで、『茶道』と私がやってきた『禅道』を比べると、禅の方はちょっと『空』に偏りすぎて『色気』に欠るキライがあるよなぁ…
その点、茶室ではお茶あり、まんじゅうあり、四季折々の茶具や掛け軸、茶花などなど、じつに工夫されてる・・・。まさに『悟り装置』
しかし、侘しい、寂しい・・・禅道のおかげを持って私は『色』の有り難さを大切に思うことが出来るようになった・・・とも言える。
昨日チューリッヒの美術館で拝見した『Matthew Wong』氏の『不二の山』か?
これがなんと、かの『ヴァン・ゴッホ』の沢山の作品と競合すべく展示され、
入場料一人31フランに相方は驚嘆したが、観終えて・・・この値段に納得した。
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