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虚しみを漂う闇に虫の声
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★★★ 『 虚しみを漂う闇に虫の声 』瘋癲老仁妄詩28-01 へどうぞ!!! ★★★
そうなんです、虫の声に誘われて、想起の世界を彷徨うと、いつしか、銀河の外で遊んでいるのですね。そこは愛に満たされているので、愛がいろいろの姿で遊んでくれるのですよ。
地上で見たものが、どれも、これも、愛の姿で現れて、老仁を包み込んでくれるんです。
ひとしきり遊んで、日常に戻ると、身ほとりの事物も、草木も、生き物も、愛に満ちているのを感じます。
あらゆるものから、あい風が吹きわたってくるんです。
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念じれば銀河の外も内も愛
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念じれば・・・
想念も、ひとつの念なんですね。
今を生きる本気の願いが心にあって、その本気の願いを持った心を生きることが幸せなのだろうと思います。
幸せというのは、今の心を、素直に、無為に、生きることなんでしょうね。
その心は、空っぽの容器で、
無尽蔵で、
そして、愛のエナジーに充ちているんです。
幸せというのは、
この自分の中の無尽蔵の愛エナジーを生きることなんでしょう。
銀河の外も、銀河の内も、
自分の内も、自分の外も、
ほんとうは、愛エナジーに溢れているんです。
この愛エナジーの流れの中に身を任せると、
自分の中に、愛エナジーが充満してきます。
自然の山野にいると、
力が蘇ってくるのは、
日常の目的や欲が消えて、
身のうちに、愛エナジーが流れ込んでくるからなのでしょうね。
この内部に在る愛エナジーは、
どんなに使ってもなくなることはありません。
心は自然と宇宙に開いているからです。
心を開けば、
愛エナジーに満ちるのです。
念というのは、
今の心を開いて、
宇宙に溢れる愛エナジーをもらうことなのでしょうね。
念力というのは、
求めることではなく、
求めないことなのでしょう。
ただ、素直に、
心を、開けばいいのでしょう。
空即是色するということは、
心を開くことだったんだと理解しました。
> 聖人の薬を投ずること、機の深浅に随い、賢者の説黙は、時を待ち人を待つ。 。。。加藤清一『空海 般若心経秘鍵』p101
【 仁 自遊訳 】
名医といわれる人が患者さんを診察して、薬を与えたり、治療したりするとき、患者さんの病状や条件がまだ早いのか、ちょうどいいのか、それとももう遅すぎるのか、その機をしっかり見定めて、その実際の病状に随い治療します。
それと同じように、賢者は、密教の根源的な真実を人に求められても、誰にでも解き明かすわけではない。その人が何を求め、その人の真実がどこにあるのか、その人の行がどこまで到達しているのかを見極めて、密教を説くか、説かないかは決定する。
密教を説くに値しない人には、自力で密教の根源に到達しようと決心し、その行を実行している人になるまで、時を待ち、人を待っています。
気がつけば心もらえし冬薔薇 仁
喜び返し笑いの花咲く
草木と心交わせば空の花 仁
あなたこなたに幻花ほころぶ
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★★★ 『 幻となりて愛呼の寄り添えば山路の花と戯れにけり 』瘋癲老仁妄詩20-03 へどうぞ!!! ★★★
★★★ 遊行期游泳575zqv1808『 花なずな待つ間もいのち躍動す 』 へどうぞ!!! ★★★
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自心は自在異時空飛翔