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今朝6時半に捜索に出発する尾畠春夫さんをANNカメラが取材してた。
わずか20分で発見…ボランティア男性の場数踏んだ勘
早川由紀夫 @HayakawaYukio · 8月15日
行方不明になった場所からわずか700メートルにいた2歳児を3日間もみつけられなかった警察の力量を問う。(注、距離は560メートルとの報道もある)
早川由紀夫 @HayakawaYukio · 8月15日
160人で丸2日かけてみつけられなかった2歳児を、ひとりが20分でみつけた事実は重い。
早川由紀夫 @HayakawaYukio · 8月15日
側溝やため池などの死んだだろう場所だけを探していてはダメだ。生きているだろう場所を急いで探すべきだった。捜索隊だけでなく報道にもその傾向が強かった。猛省を促す。
早川由紀夫 @HayakawaYukio · 8月15日
いまの組織的捜索がいかにダメかを、尾畠春夫さんが証明してしまった。
土地勘も無い『たった一人の78歳ボランティア男性より劣る地元警察の数百人もの救助隊』
たとえ全員が思っていても誰も口にしないこと(暗黙のタブー)を少しも遠慮せずズバリ発言する火山学者の早川由紀夫 群馬大学教授の視点はユニーク、(空気を読まない態度が)何とも愉快である。
行方不明の幼児は20分ほど歩いた山道の横に座っていたのですから警察など数百人もの捜索隊の人々の失態は明らか。警察などの力量不足は呆れるばかりであるが、思い出すのが今年5月の大型連休に新潟県での6才児を連れた父子の山岳遭難での悲劇。地元警察などの捜索隊は『危険だから』と安全な尾根筋の登山道だけを探すが父子は沢筋に迷い込んでいた。
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『遭難父子 遺体発見 沢で寄り添うように 新潟の山中』2018年5月30日 毎日新聞
新潟県警は29日、同県阿賀野市の五頭連峰で男性とみられる2人の遺体を発見した。県警は、今月5日から同連峰に入り、連絡が取れなくなっていた新潟市北区の渋谷甲哉(こうや)さん(37)と長男で小学1年の空(そら)さん(6)とみて身元確認や死因の特定を進める。
県警阿賀野署によると、29日午前11時20分ごろ、県警ヘリコプターが、連峰内にあるコクラ沢の斜面(標高580メートル)で、うつぶせで寄り添うように倒れている2遺体を発見。ヘリで収容した。服装などから渋谷さん親子とみられるという。
5月30日 毎日新聞
救助の不手際を指摘されないよう『遭難者の死亡日時を明らかにしなかった警察やマスコミ』
5月5日に日帰りの登山の予定で山に入ってから、発見される29日まで24日間もかかり、松平山山頂から南西へ1.7キロのコクラ沢で二名の遺体で発見されるという最悪の事態になる。
3週間後の発見場所は松平山(954メートル)と五頭山(912メートル)をつなぐ尾根沿いの登山道から西へ約1.5キロ離れた場所。コクラ沢(東小倉沢)を下った沢筋で、警察など救助隊は一度も捜査しなかったところだった。 千メートル以下の低山だが豪雪地帯の新潟平野からの季節風をうける場所なので五月でも残雪があり比較的容易に歩ける沢筋を下ったと思われる。(地名のコクラ沢の意味は「小さな嵓」なので滝場に遭遇して動けなくなったので救助を待っていたのでしょう)
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松平山親子遭難捜索【ヤマレコの力を】2018年05月27日(日) ~ 2018年05月28日(月) Yasyy
によると、県警のヘリによって発見される一日前に『ヤマレコ』のメンバーYasyyさんがたった一名で松平山と五頭山との稜線から東コクラ沢を下って父子の遭難現場の直ぐそばまで接近していた。
ヤマレコでYasyyさんは、
『捜索は標高550メートル付近の本流と支流の出合迄探したかったのですが、手持ちの二本のロープをデポする必要があり、更なる下流まで到達出来ませんでした。
・・・・二人は救助を待ってたと推測します。数日間は……。 もっと敏速に雪渓上部の沢を捜索出来てればと悔やんでも悔やみきれない。』と書いている。(今回の『わずか20分で発見…ボランティア男性』と類似した話だが、三日間では無くて三週間もの長期間なので助からなかった)
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『放射能汚染の羊の調査から、イスラエルの核実験の可能性が高まる』2018年08月15日Pars Today
放射能に汚染された羊に関する最新の調査で得られたデータから、39年前にアメリカの人工衛星が撮影した閃光は、シオニスト政権イスラエルの核実験によるものだった可能性が高いことがわかっています。
1979年9月22日に人工衛星Velaが閃光を撮影した際、常に、これは南アフリカのアパルトヘイト政権の支援により、インド洋南部の島で行われた、シオニスト政権の核実験によるものではないかという推測が存在していました。
現在、国際的な調査チームは、オーストラリアで放射能汚染された羊の調査により、新たな証拠を得たことから、この推測を認めています。
『イスラエルや南アフリカの核実験を側面から支援したアメリカ』
1979年9月22日アメリカの核実験の探査用の人工衛星ヴェラ(Vela )がアパルトヘイトの南アが占有していた南極大陸沖のインド洋の無人島プリンス・エドワード諸島付近で核兵器由来のものだと考えられている「二重の閃光」を探知していたが、アメリカ当局は観測機器の故障だとか誤作動など苦しい言い訳で誤魔化していた。その後アパルトヘイトの南アフリカの白人政権はノーベル平和賞のネルソン・マンデラに政権を移譲する前に1993年6発の核兵器を撤去したと宣言した。(南アは核兵器が黒人の手に渡ることを警戒したと思われる)人種差別で悪名高い南アと組んで核兵器を開発したイスラエルは、今でも過酷なアパルトヘイトを続けるだけでなく核兵器も温存している。
★注、
安保理5カ国以外では1974年5月のインドの核実験(コードネームSmiling Buddha 微笑むブッダ )が初めて。 その24年後の1998年にインドは地下核実験を行ったが、半年後にはパキスタンも核実験を行う。(奇しくも20年前にインドの核実験を再開したヒンズー至上主義の人民党政権バジパイ元首相が8月16日に93歳で死去していた)
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ノモンハン事件(ハルハ河戦争)では不時着してソ連軍の捕虜になったことを咎めれれて自決に追い込まれるなど、1941年1月の東条英機陸軍大臣の『生きれ虜囚の辱めを受けず』の戦陣訓が2年も先取り(前倒し)されて適応されていた。
『ノモンハン 責任なき戦い 』 NHK総合 2018年8月15日(水) 午後7時30分~8時43分
79年前、モンゴル東部の大草原で、日ソ両軍が激戦を繰り広げたノモンハン事件。ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出した。作家・司馬遼太郎が「日本人であることが嫌になった」と作品化を断念した、この戦争。情報を軽視した楽観的な見通しや、物量より優先される精神主義など、太平洋戦争でも繰り返される“失敗の本質”が凝縮されていた。しかし軍は、現場の将校には自決を強要した一方で、作戦を主導した関東軍のエリート参謀たちはその後復帰させ、同じ失敗を重ねていった。
今回NHKは、ロシアで2時間に及ぶソ連軍の記録映像を発掘。4Kで精細にスキャンした映像を「AIによる自動カラー化技術」で鮮やかに着色し、戦場の実態を現代によみがえらせる。さらに軍の判断の経緯が証言された、150時間を超える陸軍幹部の肉声テープも入手。敗北はどのようにして隠され、失敗は繰り返されたのか。映像と証言から迫る。
8月15日 NHK
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『100年前の1918年8月の日本軍の占領地』
ロシア革命で孤立したチョコ軍救出の人道目的との意味不明の口実で『シベリア出兵』(対ソ干渉戦争)で日本軍はバイカル湖付近まで進出、ほぼ東シベリア全土を占領したが,パルチザン相手にじり貧状態に陥り厖大な軍事費を浪費し沢山の犠牲を出した挙句1918年のシベリア出兵から4年後に撤兵している。
『暗くて怖い日本のタブー』
日本軍による第二次世界大戦参戦(真珠湾の先制奇襲攻撃)の2年前の1939年5月から9月に起きていたノモンハン事件(ハルハ河戦争)は長い間タブーとしてマスコミが正面から取り上げることが無かったのですから、今回の73年目の終戦(玉音放送)記念日に放送されたNHK『ノモンハン 責任なき戦い 』は画期的な出来事だった。
NHKの番組では無謀にもソ連軍基地を奇襲空爆した対ソ戦争のノモンハンの主犯と目された関東軍の辻参謀が、後に復権して参謀本部入りすると報じている。ところが、対米戦争の契機となったガダルカナル島の争奪戦でも(戦力の逐次投入を行った)大敗北の主犯だった事実は報じなかったが、日本軍の相手がソ連軍がアメリカ軍かの違いがあるが内容的にほぼ同じ。その結果もほぼ同じだった。
『日本のタブー』との観点からならノモンハン戦役はガダルカナル島の争奪戦よりも、1918年から1922 年まで4年間も続いたシベリア出兵(対ソ干渉戦争)の方が余程似ているのである。
ノモンハン(1939年)が起きる21年前にソ連のシベリアのバイカル湖や極東のウラジオストックなどに(米英など有志連合軍として)「シベリア出兵」して大失敗していた。(1918年は米騒動が起きていた)
ノモンハンはシベリアから撤兵してから、たった17年後の話だった。(辻参謀など関東軍がソ連軍の実力を過小評価し、『強く出れば必ず勝てる』と侮ったので失敗する原因とは1905年の日露戦争よりもシベリア出兵だと思われるが、日本軍はソ連の正規軍では無くて赤色パルチザンに苦戦、勝てず撤兵していた)
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『責任者には責任が無い、「最高責任者にはもっと責任が無い」不思議の国日本』
73年目の終戦(玉音放送)記念日に放送された1時間13分もの『ノモンハン 責任なき戦い 』 NHK総合 2018年8月15日(水) ですが、今大問題となっている日本大学のアメフト部とか日本ボクシング連盟の暴力支配とほぼ同じだった。
杜撰極まるノモンハン事件では、誰が命令者(作戦の立案者)だったのかが不明で、その意味では1年以上も延々と続いている安倍お友達の森友学園とか加計学園、準強姦揉み消し疑惑とも同じだった。
大失敗が明らかになった後も『現場』(部下)だけに責任を押し付けて、組織のトップが逃げるところなど、民主主義の日本国の今も大日本帝国時代の昔も全く同じ構造だったのですから腹立たしい限りである。たぶん100年前のシベリア出兵当時から根本的な部分では日本人がすこしも進歩していないのである。(進歩どころか、早川由紀夫が呆れた『わずか20分で発見…ボランティア男性』が事実なら間違いなく退化していた)
★注、
NHK『ノモンハン 責任なき戦い 』2018年8月15日(水) 午後7時30分~8時43分 では、第二次世界大戦の敗戦後にノモンハン事件の上官たちに聞き取りしたが関係者全員が『知らない』とか『記憶にない』を繰り返し、自決を強要された部下にすべてをを押し付け自分の責任を回避したという。(あの有名な、『記憶にない』の言葉は戦後最大の疑獄事件1976年(昭和51年)ロッキード疑惑の国会証人喚問で繰り返られたが、実は我が日本国では昔からの長い長い伝統であった)
(関連記事)
対ソ干渉戦争(シベリア出兵)と有志連合
2008年03月11日 | 社会・歴史
【官邸とe-GOVに出しました】
https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html
https://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose
今日8月15日午前中2歳の子どもが咳がひどいと来院して診察中に、
東京のTBSテレビから電話があって診察中だから30分後にかけ直してくれと言って切って、
男の子と両親と祖父の4人が帰った後に再度電話がかかってきた。
熱中症の治療と予防について実名であちこちに書いて8月3日の長周新聞に記事を掲載したからそのことかなと思って話を聞くと、
若い女性の声で「今朝周防大島で行方不明になってた2歳男児が3日ぶりに元気で見つかったけど、(うん知ってるよ無事で良かったね―私)、
番組で子育てコーナー(みたいな?)やってるので、2歳がなんで3日もひとりで元気だったのは何故か、子どもの専門科の小児科医に聞きたい」という話で、
(私)「なんで大島から30kmも離れた私に聞くんだね?見つけてくれた70歳ボランティアの大分県の男性にインタビューしなさい」というと、
「いや、現場の状況を小児科医に診てもらってうんたらかんたら(うちは岩国市で豊岳小児科やってるんです)」というので、
「何で私が行く必要がある?小児科じゃなくても誰でも分かるだろ、この3日間暑い日が昨日まで続いて2歳の子どもが草木の葉が茂る涼しい山のなかで陽射しをしのぎ、
夜も暖かく昨夜から台風の遠い影響で小雨が降ったけど木々の枝葉が重なり合って木陰が殆ど濡れてなかったから無事に見つかったことくらい誰でも分かるだろ。
(アナウンサー:その現場を子どもの専門科の小児科医に確認してきて欲しい)
だから現場に系列のレポーターに行ってもらって映像と見つけてくれた70歳男性に詳しい状況を話してもらえばよっぽどわかりやすいだろ。
わたしが小児科医だからと言って30kmも離れた山の中を知ってるわけがなかろう(ちと怒りました笑)
なんで君等の系列だけで済む仕事に私が現場へ行ってわざわざコメントせにゃならんの?
だいたい君等のテレビ局にいつも出演する医者が居るんだろ?
医者という者は国家試験で全科目合格しなければ免許を貰えないから、医師免許を持ってれば小児科から内科から外科から眼科耳鼻科皮膚科もろもろとにかく医師免許だけで全科の診療が出来るんだぜ。
君等の系列局の現場リポートを君等の専属の医者と一緒に見て医者の目で番組にコメントして貰って放送せいよ。
もし小児科じゃないから分からないって専属医者が云うならば、そんなやつは医者じゃないからな」
って言うとぷんすかして「わかりました」つって切ろうとしたから、
「ちょっと待て。この子は元気に見つかったから良かったけど、フランス女性がまだ行方不明だろ。
こどもは迷子というものがあるから行方不明でも無事なことが殆どだけど、大人の女性が行方不明の場合は十中八九犯罪に巻き込まれているから、
フランスからご家族が来日して必死に探しておられるからそっちをもっと放送しなさい」というと、
「分かりました!」と捨て台詞(笑)してガチャ切りされました(笑)
とにかく女は気が短い(笑)ので、「熱中症の予防はかき氷」だと教える暇がなかったけど、ちょっと面白い出来事だったので書いてみました(笑)終わり
https://community.m3.com/v2/app/messages/2986407?pageNo=-1
「豊岳正彦」さんの「周防岩国で父母に生んでもらい育ててもらい安芸広島で元服した私」に対する返信
_________________
熱中症については次のブログへ投稿しています。 書きかけだけど。
↓
http://burogu321.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-ae75.html#comment-117200780
それは、大日本帝国時代から変わらない風景です。政治的に日本を牛耳っている者達のメンタリティは基本的に変わりはなく、一般国民に対する差別意識を強く持って居ます。自分たちは選良であるという意識が強く、一般国民はその選良に隷属すべき存在と見ていると言っても過言ではありません。
では、何故この時期に、ノモンハンやインパールの戦略的・戦術的失敗にクローズアップした番組が相次いて放送されるのでしょうか。事実を詳らかにする時期が到来したというのでしょうか。それともこの極悪非道な扱いを為し得た当時の政治構造が現代の日本にも通底している、と今を生きる国民達に警告したいのでしょうか。いいえ、私はそう捉えて居ません。少し前の私のコメントをお読みいただいた方には伝わっている筈です。これは敗北している国民達の傷に塩を擦り込んでいることなのだ、と。そして、現在の安倍政権を支える者達は、強い挫折を味わっており、それを味あわせてくれた国民達、民衆党政権を選択した国民達に復讐をしているのだ、と。
『我々を選んだのは国民なのだから、彼らには最後までつきあってもらうさ』