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『日本国籍を失ったデラシネ(ボヘミヤン?)小説家カズオ・イシグロの魅力とは、』
去年(2016年)には半世紀前のベトナム戦争で反戦歌を歌ったボブ・ディラン(歌手)、一昨年(2015年)には30年前のチェルノブイリ原発事故のドキュメントのアレクシエービッチ(ジャーナリスト)と、『文学』とは一線を画した?マークのノーベル文学賞の受賞者に首をかしげる選考が続いていた。ところが、今回はカズオ・イシグロという伝統的な『小説家』なので、関係する出版業界とか書店は大喜びしているという。
(日本の芥川賞などの文学賞受賞では必ず増刷などで出版業界が潤うので村上春樹のノーベル文学賞受賞は全員から待ち望まれているが、ボブ・ディランとかアレクシエービッチでは恩恵が何もない)
今まで英国人の小説家カズオ・イシグロを無視していた日本でも書店は売り切れ状態で、出版社は大慌てで増刷している。(お隣の韓国でも記録的な売り上げで出版社が驚いているらしい)
『全8作品と寡作だが、最初から注目されていた石黒一雄(カズオ・イシグロ)の日本的色彩(芥川龍之介の藪の中のような)の英国小説』
1982年(28歳)のカズオ・イシグロ(石黒一雄)の処女作『遠い山なみの光』(A Pale View of Hills)では、英国在住の日本人女性が主人公の、生まれ故郷の長崎の被爆と再建過程を通じて戦後の傷と現状を描いた小説は、発表してすぐウィニフレッド・ホルトビー記念賞を受賞し注目される。
カズオ・イシグロ(石黒一雄)によれば、一番最初の小説『遠い山なみの光』を書いた動機とは、『薄れゆく「私の日本」の記憶を紙に書いて置くためだった』と今回のノーベル文学賞受賞で語っているが、それなら、『逝きし世の面影』を書き始めた動機とほぼ同じである。
2作目の『浮世の画家』(An Artist of the Floating World)(1986)の主人公も日本人で、軍国主義に協賛して戦意高揚の絵画を書いた画家の敗戦後を描いて、社会的激動とか価値観のコペルニクス的な180度の変化に妥協する姿を描いて、ウィットブレッド賞とイタリア・スカンノ文学賞を受賞した。(これも、逝きし世の面影の「日本人とは何か」と同じ)
3作目(1989)は英国が舞台で『日の名残り』(The Remains of the Day) で英連邦で一番権威があるブッカー賞を受賞し、この小説は映画化もされている。(ブッカー賞ですがイギリスを含む英連邦で一番権威がある文学賞なので、日本限定の芥川賞とは違い、米国などすべての英語圏で通用する)
『Unreliable narrator(信頼できない語り手)を描く、カズオ・イシグロの特徴的な手法』
『羊たちの沈黙』で有名なアンソニー・ホプキンスが老いた執事を演じる映画『日の名残り』ですが、主人公が語る『あの人は立派な方だった』の言葉が正直でない。
『立派な人』とは真っ赤な嘘で英国貴族はナチスと手を握っていたのですから、巨悪を隠蔽と言うか、正邪を逆転させる、『過去の捏造』(歴史の修正)であり、丸々今の安倍晋三とかネットウヨの靖国史観と同じだった。
主人公の老執事が『あの人は立派な方だった』と語れば語るほど余計に嘘くさいなり、最後には論理が破綻していく様は秀逸で、何とも日本的な情景なのである。(元日本人カズオ・イシグロの3作目の小説のタイトルですが、『日の名残り』よりも『日本の名残り』とした方が、よほどピッタリの内容だった)
『現実感のあるなしが、SF小説の最大のキモだった』
リアル感が無いSF小説は成功しないが、日本でも綾瀬はるか主演でテレビドラマ化された『私を離さないで』は臓器提供という、究極の奉仕活動なので、これも何となく今の日本人全般に当てはまる。到底『他人事』とは思えない作品である。
革命家チェ・ゲバラの死から半世紀、欧米人の作家が書いた作品なら、『アイランド』のように最後に必ずクローン人間たちは真実に目覚めて、決起(一斉蜂起)して、逃亡とか反乱などカタルシスが起きる。
ところが、元日本人のイシグロ作品では読者がいつまで待ってもゲバラのような決起も反乱も起きない。トンデモナク日本人的なのです。(小説の主人公は怖ろしい真実を知ったあとも、知らなかった時とまったく同じように振る舞って、自らの死を従容として受け入れている)
今回のノーベル文学賞の選考ですが、イシグロの小説は、少しも政治的ではないが、無茶苦茶『今の日本社会』とか政治を批判するとのパラドクスで、そのもっとも特徴的な手法とは『信頼できない語り手』(Unreliable narrator)である事実は恐ろしい。(イシグロの主人公の代わりに、今の日本の政治家やマスコミ、有識者たちを思い浮かべれば両者が瓜二つのクローンであることに誰でも気が付く)
『口をそろえて「フェイクニュース」を繰り返し繰り返し批判する全てのマスコミ』
2017年10月15日(日曜日)の毎日新聞社説、『きょうから新聞週間 フェイクは民主制を壊す』ですが、 相変わらず『トランプが悪い』と書いているのはご愛嬌だが、見過ごしに出来ないのはアメリカ大統領選でネットの中に流れたらしい『クリントン陣営の幹部の児童売春』を指して、選挙結果を左右した『フェイクニュースの代表例』と挙げていることでしょう。
大量に無制限に行き交うネット情報は玉石混交、良いものもあれば間違いもある。
インターネットが無い昔なら高度な知識を手に入れるためには長い時間と努力が必要だったので一部のインテリ(知識層)が独占していたが、ネットの普及で、一般大衆など無差別に誰でも知識や情報を簡単に手に入れることが出来るようになる。まさに革命的な出来事だった。
ところが情報革命後、便利なものほど余計に不便だったとの新しいパラドクスが発生していた。
困ったことに今度は多すぎる情報の選別作業、大量のゴミの中から良いものだけを見つけ出すメディアリテラシーの力が是非とも必要になってくる。
『信用力が低いネットの「偽ニュース」は、影響力は小さく何の実害が無い』
マスコミが新しく『フェイクニュース』などとカタカナで書くから混乱するだけで、大昔からある便所とかガードレールの落書きの同類項なので多少迷惑なだけ。知識や経験がある大人では何の影響もない。
しかし、一番問題なのは信頼度が不確かなネット情報ではなくて、話は逆さまで信用度とか社会的権威がある国家機関とかメディアの流す、確実な裏付けの無い『フェイクニュース』なのである。(マスコミが社会全体を間違った方向に誘導していた例は、日本の戦前のメディアだけの特徴ではない。世界中で同じよな例は枚挙にいとまがない有様)
『発信者の権威とか信用力にピッタリと正比例して発生する「フェイクニュース」の被害の大きさと影響の範囲』
その代表例とは米大統領選中にクリントン候補の『ロシア(プーチン)がアメリカ大統領選挙に介入している』(トランプはプーチンのプードル犬だ)であろう。もしも本当なら驚天動地の大事件だが、肝心の証拠類が一切ないのですから、これこそが、間違いなくフェイクニュースであろう。ところがカズオ・イシグロの主人公と同じでメディアはUnreliable narratorだった。、
(1年近くも『ロシアの大統領選介入疑惑』騒動は続いているのですよ。何らかの具体的な客観的証拠があれば、大喜びして既にクリントンとかマスコミが公開している。ところが未だに何も無し)
『ほぼ日系英国人作家カズオ・イシグロの描くUnreliable narrator(信頼できない語り手)だった日本の主要メディア! (^_^;)』
我が日本国の公職選挙法では、選挙結果を投開票日前に予想する『人気投票の経過およびその結果』の発表を禁止しているが、守られた試がない有様。今回も告示後にマスコミ各社が『自公で300議席越え』と投票の予測を行った。
法律に違反するのにマスコミが行う選挙予測は、『赤信号みんなで渡れば怖くない』的な話なので、これは今日本でにわかに大問題となった『立憲主義』とは正反対の発想ですね。
この話では思い出すのが昔々に社会科の教師が、日本国憲法と今の日本社会とが一致していない説明として、憲法の条文ですが、『理想が書いてある』と言い放つ。これ、真実かも知れないが立場上、教師は生徒に絶対に言ってはいけないのです。(法律や規則は、『守る必要が無い』といっているのですよ。これは教師として一発アウト。駄目である)
必ず守らなれば駄目な規範の類ではなくて、単なる、努力目標と言うか、はかない(現実世界とは逆の)夢とか希望の様なものらしいのですから情けない。
『日本中のメディアが口をそろえた流した悪質なデマ(フェイクニュース)で出来あがった今の小選挙区制』
日本国では長い間『中選挙区制』だったが、1994年にマスコミ各社とか有識者が唐突に『政権交代のために→小選挙区制にする』と言い出したのにはビックリ仰天。
一番政権が安定するのが小選挙区制であり、一番政権が不安定になる(政権交代が起きやすくなる)のが比例代表制など大選挙区制であることぐらいは中学生なら誰でも知っている常識だったが、これが突然180度コペルニクス的に引っくり返る恐怖。これは駄目ですね。このビックリ仰天の『政権交代が起きやすくなる小選挙区制』との真っ赤な嘘が大新聞からテレビから、すべてのマスメディアが大宣伝して、とうとう現実化して二十数年が経過したが、当初心配された小選挙区制の弊害である、議員の劣化現象は極限まで達しているし、投票率は年々低下している。(半数近くが死票になる小選挙区制の英国も米国も、そして日本も同じで投票率が極端に低くなっている)
自民党は3~4割台の少数の得票で絶対多数の議席を独占して、政権交代は起きない安定した仕組みが出来上がる。(日本では新聞とかテレビなどマスコミの信用度は欧米の二倍の70%の圧倒的な高さだったことが、今の日本国の不幸の引き金だった)
去年(2016年)には半世紀前のベトナム戦争で反戦歌を歌ったボブ・ディラン(歌手)、一昨年(2015年)には30年前のチェルノブイリ原発事故のドキュメントのアレクシエービッチ(ジャーナリスト)と、『文学』とは一線を画した?マークのノーベル文学賞の受賞者に首をかしげる選考が続いていた。ところが、今回はカズオ・イシグロという伝統的な『小説家』なので、関係する出版業界とか書店は大喜びしているという。
(日本の芥川賞などの文学賞受賞では必ず増刷などで出版業界が潤うので村上春樹のノーベル文学賞受賞は全員から待ち望まれているが、ボブ・ディランとかアレクシエービッチでは恩恵が何もない)
今まで英国人の小説家カズオ・イシグロを無視していた日本でも書店は売り切れ状態で、出版社は大慌てで増刷している。(お隣の韓国でも記録的な売り上げで出版社が驚いているらしい)
『全8作品と寡作だが、最初から注目されていた石黒一雄(カズオ・イシグロ)の日本的色彩(芥川龍之介の藪の中のような)の英国小説』
1982年(28歳)のカズオ・イシグロ(石黒一雄)の処女作『遠い山なみの光』(A Pale View of Hills)では、英国在住の日本人女性が主人公の、生まれ故郷の長崎の被爆と再建過程を通じて戦後の傷と現状を描いた小説は、発表してすぐウィニフレッド・ホルトビー記念賞を受賞し注目される。
カズオ・イシグロ(石黒一雄)によれば、一番最初の小説『遠い山なみの光』を書いた動機とは、『薄れゆく「私の日本」の記憶を紙に書いて置くためだった』と今回のノーベル文学賞受賞で語っているが、それなら、『逝きし世の面影』を書き始めた動機とほぼ同じである。
2作目の『浮世の画家』(An Artist of the Floating World)(1986)の主人公も日本人で、軍国主義に協賛して戦意高揚の絵画を書いた画家の敗戦後を描いて、社会的激動とか価値観のコペルニクス的な180度の変化に妥協する姿を描いて、ウィットブレッド賞とイタリア・スカンノ文学賞を受賞した。(これも、逝きし世の面影の「日本人とは何か」と同じ)
3作目(1989)は英国が舞台で『日の名残り』(The Remains of the Day) で英連邦で一番権威があるブッカー賞を受賞し、この小説は映画化もされている。(ブッカー賞ですがイギリスを含む英連邦で一番権威がある文学賞なので、日本限定の芥川賞とは違い、米国などすべての英語圏で通用する)
『Unreliable narrator(信頼できない語り手)を描く、カズオ・イシグロの特徴的な手法』
『羊たちの沈黙』で有名なアンソニー・ホプキンスが老いた執事を演じる映画『日の名残り』ですが、主人公が語る『あの人は立派な方だった』の言葉が正直でない。
『立派な人』とは真っ赤な嘘で英国貴族はナチスと手を握っていたのですから、巨悪を隠蔽と言うか、正邪を逆転させる、『過去の捏造』(歴史の修正)であり、丸々今の安倍晋三とかネットウヨの靖国史観と同じだった。
主人公の老執事が『あの人は立派な方だった』と語れば語るほど余計に嘘くさいなり、最後には論理が破綻していく様は秀逸で、何とも日本的な情景なのである。(元日本人カズオ・イシグロの3作目の小説のタイトルですが、『日の名残り』よりも『日本の名残り』とした方が、よほどピッタリの内容だった)
『現実感のあるなしが、SF小説の最大のキモだった』
リアル感が無いSF小説は成功しないが、日本でも綾瀬はるか主演でテレビドラマ化された『私を離さないで』は臓器提供という、究極の奉仕活動なので、これも何となく今の日本人全般に当てはまる。到底『他人事』とは思えない作品である。
革命家チェ・ゲバラの死から半世紀、欧米人の作家が書いた作品なら、『アイランド』のように最後に必ずクローン人間たちは真実に目覚めて、決起(一斉蜂起)して、逃亡とか反乱などカタルシスが起きる。
ところが、元日本人のイシグロ作品では読者がいつまで待ってもゲバラのような決起も反乱も起きない。トンデモナク日本人的なのです。(小説の主人公は怖ろしい真実を知ったあとも、知らなかった時とまったく同じように振る舞って、自らの死を従容として受け入れている)
今回のノーベル文学賞の選考ですが、イシグロの小説は、少しも政治的ではないが、無茶苦茶『今の日本社会』とか政治を批判するとのパラドクスで、そのもっとも特徴的な手法とは『信頼できない語り手』(Unreliable narrator)である事実は恐ろしい。(イシグロの主人公の代わりに、今の日本の政治家やマスコミ、有識者たちを思い浮かべれば両者が瓜二つのクローンであることに誰でも気が付く)
『口をそろえて「フェイクニュース」を繰り返し繰り返し批判する全てのマスコミ』
2017年10月15日(日曜日)の毎日新聞社説、『きょうから新聞週間 フェイクは民主制を壊す』ですが、 相変わらず『トランプが悪い』と書いているのはご愛嬌だが、見過ごしに出来ないのはアメリカ大統領選でネットの中に流れたらしい『クリントン陣営の幹部の児童売春』を指して、選挙結果を左右した『フェイクニュースの代表例』と挙げていることでしょう。
大量に無制限に行き交うネット情報は玉石混交、良いものもあれば間違いもある。
インターネットが無い昔なら高度な知識を手に入れるためには長い時間と努力が必要だったので一部のインテリ(知識層)が独占していたが、ネットの普及で、一般大衆など無差別に誰でも知識や情報を簡単に手に入れることが出来るようになる。まさに革命的な出来事だった。
ところが情報革命後、便利なものほど余計に不便だったとの新しいパラドクスが発生していた。
困ったことに今度は多すぎる情報の選別作業、大量のゴミの中から良いものだけを見つけ出すメディアリテラシーの力が是非とも必要になってくる。
『信用力が低いネットの「偽ニュース」は、影響力は小さく何の実害が無い』
マスコミが新しく『フェイクニュース』などとカタカナで書くから混乱するだけで、大昔からある便所とかガードレールの落書きの同類項なので多少迷惑なだけ。知識や経験がある大人では何の影響もない。
しかし、一番問題なのは信頼度が不確かなネット情報ではなくて、話は逆さまで信用度とか社会的権威がある国家機関とかメディアの流す、確実な裏付けの無い『フェイクニュース』なのである。(マスコミが社会全体を間違った方向に誘導していた例は、日本の戦前のメディアだけの特徴ではない。世界中で同じよな例は枚挙にいとまがない有様)
『発信者の権威とか信用力にピッタリと正比例して発生する「フェイクニュース」の被害の大きさと影響の範囲』
その代表例とは米大統領選中にクリントン候補の『ロシア(プーチン)がアメリカ大統領選挙に介入している』(トランプはプーチンのプードル犬だ)であろう。もしも本当なら驚天動地の大事件だが、肝心の証拠類が一切ないのですから、これこそが、間違いなくフェイクニュースであろう。ところがカズオ・イシグロの主人公と同じでメディアはUnreliable narratorだった。、
(1年近くも『ロシアの大統領選介入疑惑』騒動は続いているのですよ。何らかの具体的な客観的証拠があれば、大喜びして既にクリントンとかマスコミが公開している。ところが未だに何も無し)
『ほぼ日系英国人作家カズオ・イシグロの描くUnreliable narrator(信頼できない語り手)だった日本の主要メディア! (^_^;)』
我が日本国の公職選挙法では、選挙結果を投開票日前に予想する『人気投票の経過およびその結果』の発表を禁止しているが、守られた試がない有様。今回も告示後にマスコミ各社が『自公で300議席越え』と投票の予測を行った。
法律に違反するのにマスコミが行う選挙予測は、『赤信号みんなで渡れば怖くない』的な話なので、これは今日本でにわかに大問題となった『立憲主義』とは正反対の発想ですね。
この話では思い出すのが昔々に社会科の教師が、日本国憲法と今の日本社会とが一致していない説明として、憲法の条文ですが、『理想が書いてある』と言い放つ。これ、真実かも知れないが立場上、教師は生徒に絶対に言ってはいけないのです。(法律や規則は、『守る必要が無い』といっているのですよ。これは教師として一発アウト。駄目である)
必ず守らなれば駄目な規範の類ではなくて、単なる、努力目標と言うか、はかない(現実世界とは逆の)夢とか希望の様なものらしいのですから情けない。
『日本中のメディアが口をそろえた流した悪質なデマ(フェイクニュース)で出来あがった今の小選挙区制』
日本国では長い間『中選挙区制』だったが、1994年にマスコミ各社とか有識者が唐突に『政権交代のために→小選挙区制にする』と言い出したのにはビックリ仰天。
一番政権が安定するのが小選挙区制であり、一番政権が不安定になる(政権交代が起きやすくなる)のが比例代表制など大選挙区制であることぐらいは中学生なら誰でも知っている常識だったが、これが突然180度コペルニクス的に引っくり返る恐怖。これは駄目ですね。このビックリ仰天の『政権交代が起きやすくなる小選挙区制』との真っ赤な嘘が大新聞からテレビから、すべてのマスメディアが大宣伝して、とうとう現実化して二十数年が経過したが、当初心配された小選挙区制の弊害である、議員の劣化現象は極限まで達しているし、投票率は年々低下している。(半数近くが死票になる小選挙区制の英国も米国も、そして日本も同じで投票率が極端に低くなっている)
自民党は3~4割台の少数の得票で絶対多数の議席を独占して、政権交代は起きない安定した仕組みが出来上がる。(日本では新聞とかテレビなどマスコミの信用度は欧米の二倍の70%の圧倒的な高さだったことが、今の日本国の不幸の引き金だった)