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『新聞広告の「見出し」に苛立つ岸田外務大臣の不見識』
7月3日中国重慶市の週刊紙「重慶青年報」(電子版)で、広島、長崎の場所に原爆のキノコ雲のイラストを描いた日本地図の全面広告が掲載された。(広告主は明らかにされていない)
中国では7月7日は1937年に日中戦争の直接の引き金になった盧溝橋事件の記念日であり(マスコミが報道するので)反日感情が高まるらしい。しかも今年は77周年である。
ところが日本では7月7日は七夕しかメディアには出てこない。 中国のマスコミはやりすぎだが、 日本の場合は逆にもう少し歴史的な視点が無いと駄目ですね。
日本の岸田外相は8日、電子版から7日までに削除されている『Japan wants a war again』(日本が再び戦争を望んでいる)との広告に対して『誠に不見識だ。唯一の戦争被爆国の外務大臣、被爆地広島出身の政治家として容認はできない』と、重慶の日本総領事館を通じて同紙に抗議したらしい。
しかし日本の政治家が『容認できない』もなにも、69年前の米軍による広島長崎の原爆は事実であり、誰も否定でき無い『事実』そのものである。
誰もが知っている過去の歴史を書き換える心算なのだろうか。
不思議な話だ。
岸田外務大臣とか日本のマスコミは大きな勘違いをしているが、この不愉快なイラストとは『米軍による広島長崎の原爆』の文字を視覚的に明らかにしただけ。
日本地図のイラストですが、『米軍による広島長崎の原爆』がその内容である。それ以上でも無いし、それ以下でもない。
『日本が再び戦争を望んでいる』(Japan wants a war again)の広告に岸田外務大臣は、集団的自衛権の行使を容認した閣議決定にも触れ、『国民の命と平和な暮らしを守り、抑止力を高めるもので、日本の平和国家としての歩みに一切変わりはない』とも強弁したが、語るに落ちる話である。
中国版ツイッター『微博』では、この広告について『戦争をあおる低俗な新聞だ』、『温和な日本人を極端に走らせてしまう』、『安倍政権を助けるだけ』といった冷静な批判コメントが目立っている。
『防衛省のホームページの「集団自衛権は違憲」の記述』
中国のローカルな週間紙の広告程度に噛み付く暇があるなら、防衛省のホームページに30年近く掲載されていた、『集団自衛権は違憲である』との記述こそ、大問題であろう。
何故岸田外務大臣は防衛省に厳重に抗議しないのか。
防衛省の公式HPの『防衛政策』というページの、『憲法と自衛権』の項目をクリックすると、
『憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、・・・集団的自衛権の行使は、これを超えるものであって、憲法上許されないと考えています』と、ハッキリ『違憲である』と記載されていた。
7月1日に安倍内閣は集団的自衛権が閣議決定したが、防衛省は1週間後の7日午後2時半まで『違憲である』とのホームページを放置していた。(ひょっとすると、防衛省当局が行ったサボタージュによる事実上の抗議行動なのかもしれない)
防衛省の担当者は『記述は修正する方向で進めています』と言うが、間に合わないのか現在のHPでは、『憲法と自衛権』という項目自体を丸ごとクリック出来ない状態にして不都合を隠している。
口先だけで誤魔化しても集団自衛権が違憲(違法)で、事実かどうかはともかく形式的に解釈すれば(法律的には)表面上は『日本が再び戦争を望むようになった、ように見える』ことは、誰が見ても明らかなのである。
日本地図のイラストですが、これは文字の『69年前の米軍による広島長崎の原爆』を、視覚情報に置き換えた程度であり、行儀とか礼儀作法にとって問題だが、事実関係だけなら文句の付けようが無い。
時系列的に判断すれば間違いなく、『防衛省のホームページの「集団自衛権は違憲」の記述』こそが本命です。
今回の騒動ですが明らかに猫だまし(インチキな空騒ぎ)ですよ。煙幕とか赤いニシン目的でわざと政府が意味無く大袈裟に騒いでいるのです。
日本政府ですが、何とかして日本人の目から当事者である防衛省の『集団自衛権は違憲である』との記述を隠したいのです。
『政府とマスコミのよる二人三脚の猫だまし』
今回田舎町の二流ローカル紙の広告欄程度に『容認できない』と大上段に振りかぶったと言うか、Japan wants a war againの言葉尻に噛み付いた岸田外務大臣ですが『落ちぶれ果てたのか』としか感想が無い。あるいは血迷ったのか。
もしも中国に対して文句を言うなら、中国共産党機関紙『環球時報』の去年末のアホ臭い8ヶ月遅れ四月馬鹿である『日本が2014年に中国との戦争を準備している』に対して文句を言うべきでしょう。
ところが、日本では政府はもちろんマスコミも全員が『知らないふり』で沈黙した。
インターネットの政治ブログの記事でさえ、この『逝きし世の面影』を例外に、誰も文句を言わなかったのですね。
そもそも誰が書いたか分からない無責任な宣伝広告欄に対して、いちいち文句を言っても始まらないのである。
日本国としては黙殺するか『阿呆臭い例』として笑い飛ばすのが最良の対処法であろう。
それにしても不思議な日本地図で、本当の地図に似ているが大きく間違っている。この地図の元ネタは日本国ですよ。左端に有る筈の朝鮮半島が無い。北方領土が書いているのに矢張りサハリンが何故か完全に消されている。尖閣どころか沖縄県が無いのです。(現実の日本地図ではない)
日本以外の周辺国を、すべて消しているこの日本地図ですが、たぶん、視野狭窄のお馬鹿な日本国のネットウヨさんご用達のサイトの地図から転用されているのです。
もしかしたらですが、このお馬鹿で挑発的な広告主ですが、『容認できない』といった岸田外務大臣などの日本国の安倍晋三政府の可能性まである摩訶不思議な地図なのです。
『摩訶不思議な日本的思考回路』
『人は見た目が9割、メラビアンの法則』では、理屈はルックスに勝てない。多くの人は他人を見た目で判断する。人類にとって、本当は『言語』より『非言語コミュニケーション』の方が上位にある。
アメリカの心理学者が行った人が他人から受け取る情報(感情や態度など)の割合についての実験結果では、話す言葉の内容は7%に過ぎない。残りの93%は、顔の表情や声の質などの視覚的、感覚的情報だった。
中国重慶市の週刊紙「重慶青年報」(電子版)の不愉快な日本列島のイラストですが、これを文字に変換すれば、『69年前の米軍による広島長崎の原爆投下』の言葉にしかなりません。
もしも、誰か言葉が通じない相手に、『米軍による広島長崎の原爆』の事実を、正しく伝えようと思ったならどうするか。
誰であれ、重慶青年報に掲載された不愉快なイラストしか思いつかない。
『米軍による広島長崎の原爆』の文字なら抗議しなかったと思われる。ところが、その『同じ言葉』を正しく視覚情報(イラスト地図)に変換したら『容認できない』に変化する。
岸田外務大臣の怒りですが、意味は『言葉なら良いが、目に見えるイラストは絶対に駄目だ。許せない』との主張なのである。
ヒロシマの原爆資料館から、原爆の業火から逃げ惑う被曝した人たちの実物そっくりの人形を撤去したそうですが、この話と根本的なところが似ている。
言葉で『被災者』の惨状を説明するよりも、実物大の人形のほうが何倍も説得力があるのですね。
マスコミでも同じで、新聞記事(文字情報)よりも、同じ内容でもテレビニュース(視覚情報)のほうが世論形成には何倍も影響力が高いのです。
視覚情報による『米軍による広島長崎の原爆』を不愉快に思った人々ですが、たぶん、自分が何に怒りを感じたかが理解出来ていない。
実は日本人は全員が、『米軍による広島長崎の原爆』を一日も早く忘れたいと願っているから、重慶青年報の『米軍による広島長崎の原爆』のイラストに苛立つのですよ。
今に2011年3月11日とか福島第一原発事故を口に出すだけでも、『誠に不見識だ。被災地出身の政治家として容認はできない』と主張する脳内妄想の連中が現れかねません。
すべての悪い出来事を、自分が忘れさえすれば無かった事に出来ると信じている幸せすぎる『お花畑の住民』が多すぎるのである。
終わった過去は忘れて仕舞うことも可能だが、現在進行形の福島第一原発の放射能は忘れても、決して無くならない。
セウォル号の遭難が示すように、目の前の『現実』を無かった事にすれば『無くなる』どころか、余計に損害が倍化するだけなのである。(韓国の旅客船の船長が事実を隠さず、沈没の事実を受け入れていれば死亡者は数分の1に減っている)
『裏読みせず、文字どうり素直に判断すれば、』
7月1日の安倍内閣による集団自衛権の閣議決定ですが、日本にとっての最も深刻な危機である福島第一原発の放射能の被害と賠償を無視して、日本国政府の閣議決定を『裏読みせず、言葉をそのまま素直に判断すれば、』ですが、阿呆臭過ぎる『日本が再び戦争をしたがっている』(Japan wants a war again)の広告文字の通りなのである。
日本の集団自衛権にお隣の韓国はすぐさま反応して、自国領内での日本の集団自衛権は絶対に認められないとの強硬方針を与野党共の挙国一致状態で確認している。
集団自衛権の容認とは、誰が考えても『日本が再び戦争をしたがっている』(Japan wants a war again)としか見えないのである。
今回(7月8日)の岸田(外務省)の馬鹿話ですが、みんなが注目するヒロシマナガサキの原爆では無くて、『Japan wants a war again』(日本が再び戦争を望んでいる)に反応している。
時系列的に見れば防衛省の7月7日に削除された『集団自衛権は違憲である』とのホームページの猫だまし(間違いに誘導する赤いニシン)の可能性の方が遥かに高い。どちらにしても安倍内閣の姑息な手品か詐欺である。
そもそも、日本にとっての最も深刻な危機は戦争ではないのである。
一向に収束の気配さえ無い福島第一原発の放射能の被害と賠償こそが最大の危機であり、今回の集団的自衛権も半年前の特定機密保護法もすべては猫だまし。一時でも良いから目の前の日本国の破綻(カタストロフィ)から目を逸らしたいのである。
【笑止】①ばかばかしい「――千万」②おかしい③気の毒なこと④困ったこと(三省堂『新緩和超辞典』)。
歴史がある町ではあるが、中国の内陸にある重慶は沿岸部の経済発展とは違い、遅れている田舎町。
しかもローカル週間紙の記事では無くて、その中に掲載された広告の文句ですよ。
経済大国の日本国の外務省が噛み付く話ではありません。
なんともはや。岸田外務大臣ですが『落ちぶれ果てたのか』としか感想が無い。あるいは血迷ったのか。
もしも文句を言うなら、去年末のアホ臭い8ヶ月遅れ四月馬鹿である中国共産党機関紙『環球時報』の『日本と中国の戦争』に対して文句を言うべきでしょう。
誰が書いたか分からない無責任な宣伝広告文に、いちいち文句を言っても始まらない。
二週間後の2014年1月、日本が中国との開戦を準備(中国共産党機関紙)
2013年12月16日 | 政治
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/d20d1b399f27ed87e9274fee163dd8d8
ところが、日本では誰も文句を言わなかったのですね。
それにしても不思議な日本地図で、これの元ネタは日本国ですよ。
左端に有る筈の朝鮮半島が無い。北方領土が書いているのに矢張りサハリンが消されている。尖閣どころか沖縄県が無いのですから、
もしかしたらですが、この広告主ですが岸田外務大臣とか日本国の可能性まである摩訶不思議な地図なのです。
日本以外の周辺国をすべて消しているこの日本地図ですが、たぶん、視野狭窄のお馬鹿な日本国のネットウヨさんご用達のサイトの地図から転用されているのです。
>69年前の米軍による広島長崎の原爆は事実であり、誰 も否定でき無い『事実』そのものである。
その理屈なら、サッカーの試合中に多数の方が亡くなられた東日本大震災に関して「日本の大地震をお祝います」という横断幕が貼られ大問題になった事がありますがそれも
「実際にあった事を書いただけじゃないか」と答えるつもりですか?
地域や思想が違えど、戦争や災害で被害にあわれた方やその関係者の痛みを考えずに冷酷に、理想や願望をいうあなたのような人物がいつも戦争を駆り立てているのではないでしょうか?
文を訂正し、被爆者の方々に謝りまさい!あなたには平和を語る資格などない!
被曝者をつくった主犯(アメリカ、電力資本)を追及せずに、冷やかしに乗っかっていつまでも構造的問題を解決できない。そのおめでたい思考回路を「お祝い」しましょう
ちょうどサッカーの試合のように熱くなれて幸せなんじゃないでしょうか?
宗純さんは、時々ネトウヨの類を「可哀想」とおっしゃてますが、冗談じゃないっすよwウヨクにはある種の自殺破滅願望があると思いますから、逆に状況を危惧する我々のほうが、アホに巻き込まれる可能性含めて可哀想ですよ、もう(笑
角田さん、はじめまして。
残念ながら『コメント有難う御座います。』とは言えないような、低級な無内容な水準です。
本来ならこのような落書き程度のコメントは掲載し無いのですが、コメントに対するコメントが入っているので、例外(悪い見本)として掲載します。
記事にもあるように、
69年前の、『米軍による広島長崎の原爆』は、誰 も否定でき無い客観的な『事実』そのものである。
3年前の3月11日の『東日本大震災』の発生も同じで、
誰も否定できない科学的な客観的事実ですよ。
ところが、
「日本の大地震をお祝います」
とは、お馬鹿の何処かの自分勝手の『内心』(主観)ですよ。全く性質が違うものをミソもクソも一緒にする態度は不真面目そのもの。
不勉強が過ぎるでしょう。だからネットウヨは頭が空っぽで目が節穴といわれるのです。
『その理屈なら、』も何も、
客観的な事実は、主観とは無関係に存在していてい、誰も否定出来ないのですよ。
そして『客観』とは常に科学的な存在で、同一であり普遍なのです。(誰でもが100%同じ)『客観』の場合には、違っていれば、値打ちはゼロですよ。
正しいの客観的な真実とは、一つの問題に対して一つしかない。
対して個人の主観とは、そもそもが別々であり、違い(個性)こそが尊ばれる。同一なら値打ちが低いのです。
この『逝きし世の面影』ブログの裏標語とは、『内心を語るな』なのですね。
個人の内心(主観)と誰にとっても聖域であり、社会的に保護されるとするのが民主主義の原理なのですが、主観が常に正しいとの保障は何処にもない。
内心(主観)の保護ですが、良いものだけでは無くて、どれ程間違っていても異様でも悪質に見えても、『内心』であれば保護されるとするのが近代民主主義なのですよ。
サッカーとか朝鮮学校などのヘイトスピーチが問題とされるのは、これ等は、他の人の内心を侵害しているからですよ。
(基本的人権の場合、最大限尊重されるが、例外として他の人権を侵害した場合のみ、制限されるのです)
個人の内心(主観)の場合、これはあれこれ議論するべきでは無くて、
同じであるなら『まったく大賛成。嬉しいです』で終りであるのです。
正反対に違っていても、『ああ、そうですか』で済ますべきなのです。
内心の場合には『違い』を確認するだけで十分なのですね。
だから、この『逝きし世の面影』ブログの裏標語が、『内心を語るな。!』なのです。
『他人の主観には何の興味もありません。私が興味があるのは客観的な科学的事実だけです。』と、繰り返し繰り返し、ブログに書いているのですが、主観と客観の違いが分からない人が大勢いるとは困った話ですね。
『あなたには平和を語る資格などない!』も何も、この逝きし世の面影では、基本的に戦争は語っているが、『平和』など何処にも書いていない。
何処にでもある御粗末な護憲左派のブログと混同しているのでしょが、次回からは記事の中身を読んでからコメントして下さい。
この逝きし世の面影ブログですが、政府とかマスコミを『お前たちは間違っている』(今までが間違っていた)とのオルタナティブな批判をしているだけでは無くてkojitakenとかBLOG BLUESなどの、護憲左派を装う悪質な擬装ブログとか菊池誠の科学教とかの意味不明の悪事も告発したお蔭で、沢山の読者も獲得したが、半面自分たちの悪事を暴かれた、これらの悪党連中からは恨まれている。
逝きし世の面影ではブログ管理上、タイトルや名前が無いコメントは不掲載にするとのローカルルールがあるのは致し方ない成り行きなのです。次回のコメントではタイトルの記入を忘れないようにして下さい。
前々から注意しようとは思っていたのですが、カシコと論争しても滅多に賢くならないが、逆のアホと論争すると恐ろしいことに『朱に交われば赤くなる』のたとえの通りになる。
なんとも恐ろしいことに知らない間にアホが伝染するのですよ。
紙さまとのHNも関心しません。出来れば他の個人が特定出来る適当なNHに変更していただきたい。
しかし、この今回の話ですが、実に面白いとは思いませんか。何とも日本的なのですよ。
上の不愉快な日本列島のイラストですが、
これを文字に変換すれば、『69年前の米軍による広島長崎の原爆』の言葉にしかなりません。
もしも、言葉が通じない相手に、『米軍による広島長崎の原爆』の事実を、伝えようと思ったなら、上に掲載したイラストしか、誰であれ思いつかないなのです。
平島の原爆資料館から、被曝して逃げ惑う人たちの実物そっくりの人形を撤去したそうですが、この話と根本的なところが似ている。
言葉で『被災者』を説明するよりも、実物大の人形のほうが100倍は説得力があるのですね。
マスコミでも同じで、新聞記事(文字情報)よりも、同じ内容でもテレビニュース(視覚情報)のほうが世論形成には何倍も影響力が高いのです。
実は日本人は全員が、『米軍による広島長崎の原爆』を一日も早く忘れたいと願っているから、上のイラストに苛立つのですよ。
今に2011年3月11日を口に出すだけでも、
『『誠に不見識だ。被災地出身の政治家として容認はできない』と主張する脳内妄想の幸せすぎる、あ花畑の住民連中が現れかねません。
それが、大問題だと言うのならば・・・
ふんぞり返って「震災は天罰」などという石原慎太郎は何なのだ?
バカ外国人のヤル事なんぞはたかが知れてるが、
日本の税金を使える日本の政治家が、
とんでもんない低能っだって事の方が被害甚大だ!
石原慎太郎のような奴が政治家をやっていられるような民度なのだから、
外国人にバカにされるのも当たり前だっ!
朝日新聞がすっぱ抜いた一番大事な3月15日に原発職員の9割が命惜しさに逃亡したとの『吉田調書』ですが、東京電力とか政府は遺憾であると抗議しているそうですが、『9割逃亡は間違いである』とは一回も言わないのですね。
吉田上申書の意味するもの 福島第一原発から9割逃亡
2014年05月27日 | 放射能と情報操作
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/10895f5cdfea02be59cfc5e2420d1616
今回も同じで最大限の表現で抗議しいる風に見えるのですが、実は一回も『間違いだから訂正しろ』とは言わなかった。
日本地図のイラストですが、これは文字の『69年前の米軍による広島長崎の原爆』を、視覚情報に置き換えた程度であり、行儀とか礼儀作法にとって問題だが、事実関係だけなら文句の付けようが無い。
この話ですが、明らかに猫だましですよ。わざと政府が大袈裟に騒いでいるのです。
記事にも書いたが、時系列的に判断すれば間違いなく、『防衛省のホームページの「集団自衛権は違憲」の記述』こそが本命です。
政府ですが、何とかして日本人の目から防衛省の記述を隠したいのです。
ところが、裏標語が『内心を語るな』。
『内心を語るな』ですが、今まで説明不足で誤解があるようです。
前のコメントでは、
『個人の内心(主観)と誰にとっても聖域であり、社会的に保護されるとするのが民主主義の原理なのですが、主観が常に正しいとの保障は何処にもない。
内心(主観)の保護ですが、良いものだけでは無くて、どれ程間違っていても異様でも悪質に見えても、『内心』であれば保護されるとするのが近代民主主義なのですよ。
サッカーとか朝鮮学校などのヘイトスピーチが問題とされるのは、これ等は、他の人の内心を侵害しているからですよ。
(基本的人権の場合、最大限尊重されるが、例外として他の人権を侵害した場合のみ、制限されるのです)
個人の内心(主観)の場合、これはあれこれ議論するべきでは無くて、
同じであるなら『まったく大賛成。嬉しいです』で終りであるのです。
正反対に違っていても、『ああ、そうですか』で済ますべきなのです。
内心の場合には『違い』を確認するだけで十分なのですね。
だから、この『逝きし世の面影』ブログの裏標語が、『内心を語るな。!』なのです。』
この『内心を語るな』ですが、
ブログ読者の中には、文字どうり『内心(個人的な好き嫌いなどの判断)を語ってはいけない』と解釈して、ブログ記事に対する自分の感想をコメントしなくなった。
言葉が少し足りなかったようです。
ブログ記事に対する『個人的な好き嫌い(良い悪いなどの内心)の判断』を是非ともコメントして頂きたい。
『逝きし世の面影』ブログ記事ですが、
書いている本人が思っている『主題』と、記事を読んだ読者側の感じている『主題』とが一致していれば問題は無いが、
如何も、しばしば一致していない(完璧にすれ違っている)場合が多いらしいのですよ。
自分では『素晴らしい記事を書いた』と思っているのにコメントが無いか、有っても主題とは大きく離れている場合が多い。(逆に手抜き記事の方には何故かコメントが多い)
裏標語の『内心を語るな』ですが、決して『内心を語ってはいけない』と主張しているのでは無いのですね。内心は大いに語って頂きたい。
他人の内心について、正誤や善悪など、あれこれと『議論をするべきでない』との意味なのです。
科学的な客観的事実は色々な批判や検証作業を経ることで、最後は一つの正しい答えに収斂していきます。普遍的な正しい事実は誰にとっても同一であり、常に『一つ』しかないのです。
ところが個人の内心が、別々では無くて『同一』だったらと想像して下さい。
これ以上に恐ろしいことは無い。
『内心』の場合には『違い』を確認するだけで十分なのですね。
ところが『違い』に苛立ったり怒る人が大部分なのですから困った話です。
何とかして『違い』を否定しようと無理をするから揉めるのですよ。根本的な勘違いなのです。
お互いの認識の違いを確認しあうとは、実は社会生活では最も大切なことなのです。
相手との違いが解って、初めて会話が成り立つのです。
ですから、
認識が同じであるなら、『まったく大賛成。嬉しいです』で楽しく終る。
認識が正反対に違っていても、『なるほど。そんな見方も有ったのか』と納得して、『ああ、そうですか。』、『なんとも仕方がないですね。』で済ますべきなのです。