ドンというか、GODと言うか、現人神というか、世間の流れに合わせ「勝ち馬に乗って」大成功したマキャベリストというか、それとも狂犬アメリカの尻尾に寄生する蚤というか
A級戦犯として巣鴨拘置所に収容されながらアメリカ中央情報局(CIA)工作員として長年大活躍していた「読売新聞」やプロ野球ジャイアンツ、原子力発電推進の正力松太郎はコードネームがPODAM(ロシア語では「我、通報す」の意味)だったという。
アメリカ合衆国の公文書の機密解除で広く知られているが、CIAエージェント正力松太郎PODAMの後継者が同じく読売新聞社の社長で主筆の渡邉恒雄(通称ナベツネの異名で知られる)12月19日98歳で死ぬ。もちろん、ポダム正力松太郎が生きている間はアメリカ合衆国CIAとの関係は極秘機密だったが解除され現在は逆に大人の常識の範囲である。外交など公文書の機密解除で一般的には30年間なのでうまくいけば2054年まで待てばアメリカと読売新聞渡邉 恒雄との関係が誰でも読めるようになる。(たぶん、本人が希望したCIAコードネームは「我、君臨する」である)
警視庁監察官時代の正力松太郎(1918年)鬼畜米英「本土決戦」一億玉砕の大日本帝国崩壊後は、あっさり次の支配者(天皇の上に君臨するGHQのマッカーサー)に乗り換える破廉恥な対米従属命の右翼売国奴(公安警察)
巨人軍とテレビと原発と
公安警察(特高)出身の正力松太郎は、日本敗戦後にはアメリカ占領軍に取り入って大活躍したCIAエージェントでプロ野球(読売巨人軍オーナー)、テレビ放送(日本テレビ社主)として一般市民を騙し続け、中曾根康弘と組んで原発を世界的地震列島の日本に導入して未曾有の核事故を引き起こした(全ての出来事は、アメリカ占領軍や政府によるミスディレクションで、一般市民の政府への不平不満を誤魔化す猫だましの赤いニシン)2023年09月24日 | 軍事、外交 「スピン報道」ミスディレクション
戒厳令解除の国会決議採択で6時間で失敗した韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル 韓国では朝鮮日報以外はユン・ソクヨル)大統領が国会多数派の進歩派野党を一網打尽にする宮廷クーデター(戒厳令布告)失敗で、逆に死刑か無期懲役の内乱罪で告発されたが、日本国内でも100年以上前の関東大震災当時の戒厳令布告問題がマスコミで取り上げられる。
シリアの反体制派ハヤト・タハリール・シャム(HTS)を率いるジャウラニ指導者。米政府は1000万ドルの報奨金をかけ、情報提供を求めている=米政府のウェブサイトから
(シリアの宮廷クーデター成功)リーダーは「お尋ね者」=会川晴之
<moku-go>
シリアのアサド政権を倒した反体制派。中核は、国際テロ組織アルカイダが源流のハヤト・タハリール・シャム(HTS)だ。
日米欧やロシアはHTSをテロ組織に指定、米国はジャウラニ指導者のクビに1000万ドル(約15億円)の報奨金をかけている。
1982年生まれのジャウラニ氏は2003年、イラク戦争開戦を受けてシリアからイランに渡る。アルカイダに加入して米軍と戦い、5年間、刑務所で過ごした。
その後、後に過激派組織「イスラム国」(IS)を創設したバグダディ容疑者の副官としてシリアに戻り、アルカイダの分派、ヌスラ戦線(現HTS)を設立する。
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地獄の鬼が死んだら、行き場がない。GOD渡邊恒雄が死んだら何処にいくのか?
マスコミのドン(昭和平成令和三代にわたって日本に君臨したGOD)世界一の購読部数1000万部の読売新聞(巨大メディア帝国)渡邊恒雄98歳が死んだ日は、奇しくもアメリカが1000万ドル(15億円)の懸賞金を付けた正真正銘のイスラム過激派テロリストが、アメリカCIAやらイギリスMI6のシリア人権監視委員会云々やらホワイトヘルメットやらNATOやらトルコやらイスラエルの全面支援でシリアのアサド政権を崩壊させていた。まったくの偶然にしても良くできた話である。
(仕掛人)ナベツネさんの靖国論=伊藤智永
<do-ki>
小泉純一郎氏は首相就任の2001年から毎年不意に靖国神社を参拝し、論争を巻き起こした。
任期最後の06年は8月15日に決行。その前後、本紙は12回の連載記事で、A級戦犯合祀(ごうし)が戦後、誰の手により、いかなる意図と経緯で行われたのかを検証した。
取材班長だった私の元に、思いがけない2人から反応があった。朝日新聞の若宮啓文論説主幹と、読売新聞の渡辺恒雄会長・主筆である。それまで面識はない。
突然電話してきた若宮氏とは招かれて会食し、以来著書を頂いた。お薦めは「戦後70年 保守のアジア観」(石橋湛山賞)。
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「たがが日本国首相が、」
「昭和の妖怪」岸信介最大の危機「60年安保」での国会議事堂突入時に起きた東大生樺美智子の死の政府談話を書いたのが読売新聞の渡邊恒雄だったなど、ジャーナリストではなくてロッキード事件の黒幕児玉 誉士夫以上のCIA大物フィクサーだったことを暴露するなどやりたい放題。
昭和史の泰斗、伊藤智永毎日新聞専門編集委員の残りの極めて政治的な裏工作の数々には唖然とするばかり。政党の離合集散とか大連立工作など難解な歴史的事象を仕切っていたのがGOG渡邊恒雄。
2007参議院選挙で与党自民党が過半数割れた捻じれ国会の解決策として福田康夫首相が民主党代表の小沢一郎に副首相の椅子を用意して大連立を画策した時の仕掛人がGOD渡邊恒雄。(★注、2008年9月1日突然「貴方とは違うんです」と辞任表明した福田康夫首相だが、事情を知っている関係者にとっては突然でも何でも無く、大分前から判っていた予定事らしい)
もちろん1999年から始まり今に続く世界的にも極めて珍しい「自公連立」での奇妙で不気味な破壊的カルト宗教「創価学会」と与党自民党との接着剤としての小沢一郎(当時は自由党党首)を利用した連立政権の仲介役も同じくGOD渡邊恒雄。
今回の伊藤智永「土記」には何も書いていないが間違いなく日本経済をデフレに導いた1989年の消費税導入でも、金まみれリクルート事件でのインチキ政治改革(政権交代)云々での1996年小選挙区導入でも、その小選挙区制直前(最後の中選挙区制]の1993年細川護熙8党連立内閣の生みの親も全部がCIA大物フィクサーGOD渡邊恒雄が黒幕だったと思われる。我が日本国の上に勝手に半世紀も君臨したGODの渡邊恒雄が98歳で死んだのですから、歴史の大きな節目として実に感慨深い。
たぶん、日本国歴代首相の上に君臨する日本版キッシンジャー(本家キッシンジャーは去年11月29日に100歳で死亡)が読売新聞社主筆の渡邊恒雄なのである。(★注、毎日新聞を代表するインテリである伊藤智永は一月前のトランプ再選時にも素晴らしい「ヘタレ記事」を書いている 2024年11月09日 | 軍事、外交 トランプの帰還「シン・トランプ2・0」
「天皇制を倒さないといかん」と共産党入りし、「3番目ぐらいの新聞に行ったほうが早くトップに」と読売新聞に…98歳まで現役だった渡辺恒雄の「一貫した行動原理」とは
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏である。
98歳になっても存在感を示していたから「衝撃」ニュースでもあった。読売新聞はどう報じたか。死去翌日の12月20日朝刊は、
(1面)『渡辺恒雄氏死去 98歳 読売新聞主筆 現実路線 各界に影響力』(総合2面)『戦後、言論界を牽引 主筆の責任、最後まで』(政治面4面)『歴代首相と深い親交 与野党に幅広く』(国際面9面)『米中韓要人と交流』(スポーツ面19面)『球界発展 情熱注ぐ 歴代G監督と本音議論』(社会面30面)『スポーツ・活字振興 尽力』
渡辺恒雄氏が“ナベツネ”になった瞬間
功績を伝えるボリューム。Xデーに備えて周到な準備をしてきた紙面を見るだけでも、読売にとって一国の指導者かあるいはそれ以上の存在であったことがうかがえる。「各界の関係者からは、その功績をしのび、別れを悼む声が相次いだ」(社会面)なんて、まさしく“偉大なる指導者”の死を伝える紙面だ。
ナベツネってなんであんなに偉そうなのか、いや、偉いのか? 「たかが新聞記者」がなぜ政界にも影響力を与える存在になったのか。
原点は大学時代で、戦争を体験したナベツネは戦後、日本共産党へ入党。「戦争中、『天皇陛下のために死ね』とか、『天皇陛下万歳』とか、日常茶飯事のようにやらされていた。二等兵で引っ張られて、あの地獄のような軍隊へ行った。それというのも、とにかく天皇制、全体主義が悪いからだ。だから戦争が終わって生き残ったら、天皇制を倒さないといかんと真面目に考えていた」
天皇制打倒を考えていたナベツネ。戦争と軍隊への嫌悪から共産党に入った。(★注、渡邊恒雄が共産党入りしたのは1945年12月。しかしアメリカが「赤狩り」冷戦突入の2年後には脱党)読売新聞に入社する。その頃の読売は関東のブロック紙で全国紙の朝日新聞や毎日新聞に及ばなかった。なぜナベツネは読売を選んだのか?
「朝日や毎日より...」
「朝日、毎日のような大きいところに行って手間暇かかるよりは、三番目ぐらいの新聞に行ったほうが早くトップになれる」なんと入社当初から共産党で学んだ権力掌握術を読売新聞社内での権力闘争や出世闘争に利用したのだ。「『ごく限られた少数者が多数を思い通りに動かせる』という政治の妖しい力に魅入られてしまったことだろう」
東大生時代から「政治」(権力)指向で、読売入社後、その野心は政界にも向けられた(当然の流れにすら思える)。政治記者として自民党副総裁や衆院議長を務めた(ヤクザ)大野伴睦や(アメリカ命の元祖新自由主義)中曽根康弘元首相らに食い込む。
鳩山家の「子守り」として懐に入る
(ヤクザと政治家の二足の草鞋を履く)大野に信頼されたナベツネは、大野と入閣推薦候補を選定する作業をしたりするなど記者の域を超え暗躍。鳩山一郎に食い込む際には幼い孫(由紀夫、邦夫)を背中に乗せて馬になってあやした人心掌握「人たらし」の天才ナベツネ。
ナベツネはいつから今のナベツネになったのか?
《盟友の中曽根さんが総理を終えた後に、禁欲さがなくなった。読売の社長の地位をいかに維持するかということに変わった。昭和が終わったぐらいの時期からお座敷取材を始める。政治家と会うことを、純粋にネタを取って記事を書くというよりも、読売内の権力を維持し、他の新聞社を脅すことに使った。》御厨貴「渡邉恒雄回顧録」
20年以上前のナベツネ「世の中を思う方向にもっていこうとしても力がなきゃできないんだ。俺には幸か不幸か1000万部ある。それで総理を動かせる。政党勢力も思いのまま、所得税や法人税の引き下げも読売が書いた通りになる。こんなうれしいことはないわね」
新聞を武器に世を動かそうとした
権力を握ったナベツネの「憲法改正読売試案」の発表(1994年)、政府の審議会や有識者会議などへの参加、2007年の自民党と民主党の大連立構想の主導などなど、数え上げたらキリがない。
「読売の社説はナベツネの顔を思い出しながら読むと面白い」
亡くなる直前まで社説に目を通した
読売新聞はナベツネが言ってるに違いない、と思って読めばよいのだ。
訃報を伝えた読売に恒例の元旦社説について《今年も12月12日、老川祥一論説委員長が病室を訪ねて元日社説の草稿を説明した際、渡辺氏は眼鏡をかけ直して熟読し、「それでよい」とゴーサインを出した。》と死ぬまで社説(政治)に関わっていた
読売とはナベツネそのものなのである。(★注、ナベツネが死んでも今更巨大メディア読売の態度が変わることは金輪際ないが、信玄亡き後の戦国最強の武田家と同じで衰亡は避けられない)
(抜粋)
日本一を逃したのは、逝去してなかったからか・・
それとも逆に来年の巨人が弱くなったら、ジャパンハンドラーこみが巨人の野球の実力だったかもしれない。
インタネットや機械翻訳の発達で私の理解がにわかに進みましたのでおすそ分けいたします:
以下はどのロシア語初歩教材にも載っているレベルの内容です。PODAMをロシア語として読むならば”pada'm"('の所は声に力を入れる所です)であって、つまり「パダーム」とロシア人に向かって言えば「(我)通報す」の意味で理解してくれるそうです。
昨年から突然姿を消したNHK教育テレビのロシア語講座再開を希い願う現田石からでした。