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21世紀最大のターニングポイント(分岐点?分水嶺?)謎の9・11
永久に終わらない「対テロ戦争」の出発点である2001年9月11日に起きた前代未聞・空前絶後の摩訶不思議な9・11事件(日本では「同時多発テロ」)の19年周年の記念日なのですが、政府もマスコミ有識者も全員が見ざる聞かざる言わざるで沈黙する。
普通の常識ある知識人にとって、アメリカの9・11事件は超危険物なのである。
9・11事件直後にアメリカのブッシュ政権は一応は公式報告者を提出したがボヤ程度の火災で突然崩壊したWTC第7ビルなど数々の謎には一切答えない、ほぼ「その指摘は当たらない」「何ら問題はない」と繰り返す菅官房長官の記者会見のそっくりさん。アメリカ政府として、当然の疑問に何一つ真面目に答える気が無いのですから、これでは知識人でなくとも誰でも怖がります。
アメリカに限らず何処の国でも大昔からある典型的な戦時プロパガンダ(戦争用のお粗末な宣伝広報)
ブッシュ政権による9・11事件の政府報告書とは、責任ある政府の公式報告書ではなくて、明らかに極短期間だけ有権者の世論を誘導するための「戦争プロパガンダ」であることは明らか。(それ以上でもそれ以下でもない超手抜き。19年後の現在の知見からは誰も信じないだけではなく話題にもしたくない子供だましのインチキな代物)
アメリカ戦艦「ミズーリ」号の艦首の下方に、小さく富士山がみえる絶妙なアングルの画像
渡邉英徳 @hwtnv
(大日本帝国の無条件降伏調印式3日前の、)1945年8月30日,相模湾に停泊する戦艦「ミズーリ」の艦首。背後に富士山がみえる。ニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正。
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ベテラン専門記者による日替わりコラム。金曜日は欧州総局長、外信部長などを歴任した小倉孝保論説委員です。
愛犬トビーが結んだ縁=小倉孝保 毎日新聞
記録の残る限り、初めて富士山頂に立った外国人は初代英国公使、オールコックである。幕末の1860年9月11日、公使館員や外国奉行役人らと共に登り始め、山頂に着くと英国旗を掲揚、国歌を斉唱しシャンパンで乾杯した。
英国ではその3年前、世界初の登山団体が設立され山登りへの関心が高まっていた。彼は59年に来日。当時、日本では外国人襲撃が相次ぎ、60年3月には開国を進めた井伊直弼が桜田門外に倒れている。混乱する社会情勢や融通の利かない幕府の対応に不満を募らせた彼は、地方視察を兼ねた登山で気分転換を図ったようだ。
そして、不幸に見舞われたのは下山直後だった。熱海でくつろいでいた時、愛犬トビー(スコティッシュテリア)が大湯間欠泉の熱湯に打たれ命を落としてしまう。ここでは日に6回、熱湯が噴き上がっていた。オールコックはすでに妻を亡くし、トビーを「たった一人の家族」と表していた。(有料記事なので以下省略)
21世紀の分水嶺「9・11事件」を一切何も書かない毎日新聞の怪
150年前に欧米先進国でベストセラーになったオールコックの「大君の都」がイギリスで出版されるのが1863年。それにしても激動の21世紀の一大ターニングポイント(世界の運命を決定づけた大事件)の9・11事件19周年の記念すべき日の毎日新聞論説委員の社説的コラム「金言」が、オールコックの富士登山160週年だったのですから???彼は何が言いたかったのだろうか。
(★注、もちろん何もかも知った上でのオールコックの富士登山なので、この場合には「何かを書く」ではなくて、逆に「何も書かない」ことに意味があるのでしょう。そもそも当時の富士登山と精進落としの「売春観光」とは一体構造。切り離せないのですから、それならオールコックの富士登山の場合も違った意味を持っている)
富士と農兵と三島女郎衆、150年後の従軍慰安婦問題 2012年01月06日 | 文化・歴史
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禁欲的なキリスト教文化、性に大らかな日本の伝統文化
不倫は日本の文化の石田純一ではないが、我が日本国は欧米プロテスタント道徳のように『性』は禁忌ではなくエロには寛大だった。子孫繁栄とか交通安全、村の守り神としての道祖神は男女の交合だし、もっと露骨に男根や女陰そのものを御神体とする神社や山ノ神の信仰は日本の全国各地に広く分布している。
ノーエ節で有名な三島女郎衆の起源は古く、秀吉が小田原北条氏攻撃に際し全国から動員した大勢の将兵の休養目的で(秀吉の命により)遠く京、大阪から女性が三島へ集められ慰安所が建設されたという。
東西を結ぶ東海道と南北を結ぶ下田街道・甲州道との交差する位置にあった三島宿は江戸日本橋から数えて第11番目の宿駅で三嶋明神の門前町として古くから栄えていた。
富士登山の富士講の精進落としの場所として三島女郎衆の価値は高く三島宿よりも有名だった。
今でも女人禁制の大峰山のような日本独自の古くからの山岳信仰(修験道)には『精進落し』と称する売春(遊郭)と宗教行為とが一体となった制度が密かに行われている長い伝統がある。
ギルガメシュ叙事詩の神殿娼婦は2000年程前、性を忌避するキリスト教の隆盛と共に滅んだが、キリスト教と関係が薄い我が日本国では極最近まで滅びることなく続いていた。
日本の宗教行事として一番歴史的に長く一番人数的に盛大に全国規模なのが『お伊勢参り』であるが、これは現代の海外への団体観光旅行と売春ツアーのさきがけ的な仕組みがあったのです。
『売春』を抜きにしては、実はお伊勢参りは語れないのだが表向きの歴史書やNHKなどのマスコミ報道では決して出て来ない種類の話である。
しかし人々のお伊勢参りと遊郭は切り離せない。
有名な伊勢神宮の参詣には伊勢古市の遊郭がセットであったように、日本では常に『聖』(信仰)と『俗』(猥褻)とはコインの裏表の様な、渾然一体で分かちがたい親密な関係だったのです。
『ノーエ節』の起源は、幕末の150年前横浜の野毛山節からメロディーを採用、韮山に反射炉を建設して大砲を製作していた伊豆韮山の代官江川太郎左衛門が歌詞をつけて、鼓笛隊を組織して自ら集めた農民兵の行進曲として作られた農兵節だといわれている。
(抜粋)
オールコック「大君の都」 2011年01月04日 | 文化・歴史
品川の高輪東禅寺に英国総領事として1859年(安政6年)から一時帰国する1862年までの3年間を綴った『大君の都』の驚愕的な内容には、今でも新鮮で『新しい驚き』がある。
アロー号事件(第二次アヘン戦争)で中国に対して過酷で残忍非道な辣腕をふるった大英帝国の切れ者外交官の対日外交交渉の内幕(イギリスの思惑)とは何であったのだろうか。
アメリカ合衆国の初代駐日公使として日米修好通商条約を締結したタウンゼント・ハリスは有名なのですが当時の覇権国(世界帝国)イギリスの外交官オールコックの3年間の江戸滞在の記録である『大君の都』には、今我々が知っている(知っていると思っている)歴史とは全く違う別の江戸時代の日本と日本人が歴史小説以上の迫真に迫る圧倒的な姿が描かれているのです。
江戸幕府を倒した明治政府や司馬遼太郎によって作られた幕末の歴史とは全く違った別の真実の記録、それも日本人側ではなく世界帝国イギリス人外交官側から見た真実の(忘れ去られた)歴史があった。
ペリー来航を熟知していた幕府
今の普通の日本人の知っている歴史の常識では、『1853年にペリー提督の合衆国東インド艦隊の黒船が突然東京湾に入ってきて、300年の日本の眠り(鎖国)から幕府は何の対応も出来ずに、いたずらに外交交渉を引き伸ばすことしか出来なかった。ペリーは翌年大艦隊を率いて再び来航、圧力に屈した日本は横浜函館2港の開港と領事館の設置を内容とする日米和親条約を結んだ。これはアメリカの捕鯨船の燃料や食料の補給の為であった』、とするものですが本当の話は大きく違う。
当時の日本国は、根本的な『国家存亡』の全面危機に直面していた。
ペリー艦隊の日本到来を徳川幕府は、学校で習う歴史とは大違いで遥か以前、1853年のずっと前から正確に予想していた。
(160年前の当時においてアヘン戦争は十数年前であり、歴史上の事件ではなく生々しい政治の現実である。
欧米列強の軍事的な外圧は目の前の切実な脅威だった)
先ず脅威はロシアから始まっている。
当時のロシアはシベリア全土や中国領だった沿海州を獲得、樺太も占領しアラスカからサンフランシスコ近くにまで根拠地を設けていた。
欧米列強(帝国主義国家群)の中で一番日本に近く接近していたのはロシアであり、日本にとって直接の脅威であった。
1778年に、ロシア帝国皇帝の親書を携えた大砲で武装したロシアの商船が最初に日本に来航した。
1792年にも再び来航し、その後は1852年まで何度も日本に対して通商を求めて来航し、時には武力で威嚇することさえ辞さなかった。
ペリー来航前年の1852年には、頑強に開国に抵抗する日本側に対して、とうとうロシアは『来年ロシア海軍の大艦隊を引き連れて通商交渉に来る』と最後通牒を突きつけて帰っていった。
当時はロシア一国だけではなくて、世界帝国イギリスや新興帝国のアメリカも虎視眈々と日本を狙っていた。
1796年にイギリスの測量船が日本沿岸に現れてゆっくりと海岸沿いに航行したが、幕府には白人たちの行いが軍事行動の準備の為の測量であることが判っていたが阻止する力が無かった。
1803年アメリカ船が長崎の出島に来航して通商を求める。
1808年にはイギリス船が来航し長崎の町を砲撃し出島を占領、オランダ人を人質にして幕府に対して大英帝国との通商を要求するが、日本側との長い交渉の末に諦めて平和裏に撤収する事件まで起きている。
イギリスはその後も何度も来航し通商を求めたが、とうとう1824年にはイギリス艦隊は日本の首都江戸の北東150キロ地点の関東北東部に上陸したが幕府側の迅速で適切な対応に対して当初の目的を遂げることなく英軍は撤収する。
1837年にはアメリカの商船モリソン号も初めて江戸湾(東京湾)に入ってきて通商を求めたが、日本側は沿岸の砲台での警告の威嚇射撃などを行ったので諦めて帰っていく。
1846年(ペリー来航の7年前)にはアメリカ海軍東インド艦隊所属の帆船軍艦二艘が東京湾の浦賀に入ってきて通商を求めるが幕府は断固拒否する。
アメリカが1848年に戦争によってカルフォルニアなどアメリカ西岸(太平洋の東海岸)をメキシコから奪った以降にはフランスイギリスなど列強はひっきりなしにやってきて最後通牒の形で開国を要求し、イギリスの戦艦に護衛された測量船が直接東京湾に入り水深や航路の測量を行っている。日本側は東京湾入り口に砲兵隊を配備して厳重に警備したが発砲はしていない。
これ等の歴史的な経緯を見れば、江戸幕府にとってアメリカのペリー艦隊の1853年来航は予測済みの事柄だったことは十分に理解できるだろう。
日本の歴史教科書の記述の『突然のペリー来航』が如何に歴史的事実と大きく違うか。事実は正反対で『無策、無能な江戸幕府』を宣伝する目的の明治政府による悪質な政治的プロパガンダだったのです。
何を恐れて開国(通商条約)に抵抗したのか
当時のロシアやイギリス、フランス、アメリカが日本側に求めた『通商』(開国)とはいったい『何』を意味したのだろうか。
何故、これほどまで徹底的に徳川幕府は外国との自由な通商(開国)を恐れ、拒み続けたのだろうか。
現在における『通商』の意味は、何か喜ばしいもの、有利なものと考えられている。
通商関係を持つことで双方が利益を得ることが出来るし、新しい可能性や視野が生まれて来ると現代人なら思っているので、通商関係(開国)に頑強に抵抗した江戸時代の日本人とは島国根性で視野狭窄、未知の新しいものを恐れてパニック状態に陥ったとも解釈出来る。
現代人は、世界との通商関係とは日本の命綱に近い大事なものと考えていて、世界に広がる貿易(通商)なくして現在の豊かな日本社会は考えられない。
ところが民主主義の今とは大違いで、19世紀中葉の世界は全く別の『危険な構造』になっていた。
自由な通商とは恐ろしい罠であり、特に当時の日本人にとっての『世界』とは、恐ろしい脅威に満ち溢れている弱肉強食の『力』の論理で無法が横行する危険な世界であると考えられていた。
インドの植民地化とアヘン戦争後の中国
5千年近い古い偉大な文明を誇る大国インドのマハラジャ達の野望を利用してイギリスやフランスは傭兵部隊を組織して国内で血みどろの権力闘争を行い、インド人の権力者達は次第に弱体化していく。
当時の欧州諸国にとってのインド製品は魅力に満ち溢れていたが、対してイギリスフランスなど欧州製の品物は皮革や羊毛蜜蝋など大航海時代以前とさして代わり映えしない魅力の無い品物ばかりで、イギリスやフランスなど欧州側が大幅な輸入超過による慢性的な貿易赤字に苦しめられていた。
イギリスにはインドの様な何でもある国が欲しがる品物が無かったのである。
ワーテルローでフランスのナポレオンがイギリスに負ける1815年に、北西部の一部を除く全インドもイギリス軍の軍事力で完全植民地化が成功してしまう。
イギリスの東インド会社による支配により、インドの優れた繊維産業は壊滅しインドは単なる原料輸出国(イギリス製品の輸入国)に成り下がってしまい、原綿の輸入価格も綿製品の輸出価格もイギリスが独断で決定出来るようになって、やっと英国の今までの構造的な貿易赤字が解消されるのです。
徳川幕府は地理的に5000kmも遠く離れていたにも関わらずオランダや中国経由で、正確な情報を取集してインドで起こった悲惨な事態をすべて把握していた。
インドは日本にとっては中国に次ぐ心情的にも親近感の有る文化の一大中心地であり、日本人の精神的バックボーンの仏教発揚の地である。
スペインから独立したオランダは海洋国家として19世紀の初頭まではイギリスフランスなどに対抗する一大勢力(敵)であったので、遠慮することなく敵国イギリスが日本と比べられないくらいに大きな国であるインドの首を徐々に絞めて殺していく様を正確に日本に伝達していたのである。
ペリー来航の9年前(清がアヘン戦争でイギリスに大敗した4年後)の1844年オランダ王ウィレム2世はイギリスによってインドが無残に植民地化される様や中国に無理無体を吹っかけたアヘン戦争の経過など弱肉強食の帝国主義時代の世界情勢に鑑み『開国も止む無し』(武力抵抗の危険性)との国王の親書を徳川幕府の将軍に送っている。
最初は通商から始まった
当時の日本人が欧米の求める『通商』を恐れた理由は、独自の優れた文明を誇った大国インドが滅んだ最初の出来事が、何でもない普通の『通商』から始まっていたからである。
悲惨で残酷極まるイギリスによるインドの植民地化は、300年前に白人が来て南部の海岸部の幾つかの都市と普通の通商を求めるところから全ては始まった。
最初は慇懃で親切で友好的であったが、少しづつ着実に影響力や権力を持っていきインド内部の争いに介入して対立を煽り、最初の白人商人のインド上陸から300年後の最後には大文明圏である全インドを手に入れ、その時は慇懃でも親切でも友好的でも無くなっていた。
インド人は自分自身に対して自信を持っていて、欧州人を少しも恐れていなかった。
何故なら当時のインドは欧州諸国に対してほとんどあらゆる点で優れていたからです。
最初の時点では、インドは文化的にも軍事的にも経済的にもヨーロッパよりも数段勝っていた。インドは植民地化される19世紀時点でもGDPで英国を上回っていた。
しかしインドにとって、そんなことは最後には何の役にも立たなかったのである。
本当は怖い貿易・通商。trade(貿易)の意味
150年前にアメリカなど当時の列強が押し付けた『全ての障壁を失くした自由な通商・貿易』(trade)ですが、今の日本語的なイメージでは『自由な貿易』は薔薇色で、少しも『悪い』ところが無い。
ところが、この名詞としての通商(trade)の本来の意味は動詞としての『騙す』であると言われています。
広い大陸での、価値観の違う異民族相手の利害が対立する通商・取引(trade)とは騙し騙されるのが基本で、少しでも油断したら騙されて酷い目に合う危険が潜んでいた。
英語の通商・貿易(trade)には、日本語に無い『怖い意味』が含まれているのです。
tradeは、島国で同じ相手と永久に付き合う必要がある日本人が身上とする商売上の『正直さ』や『公正さ』だけでは成り立たない、彼我の『力関係』がものを言う弱肉強食の厳しい世界なのです。 (trade on には『取引します。』との訳以外に、もう一つの『付け込む。』との恐ろしい意味が含まれている)
大ヒットしたジョージ ルーカス監督の『スター・ウォーズ』の悪役は何故か通商連合だった。
英語圏では『通商連合』(Trade Federation)と言われると『油断するな』と身構えるのでしょう。
『天高く馬肥ゆる秋』の言葉の由来となった万里の長城を越えて中国を脅かした匈奴の昔から、洋の東西を問わず、通商を担う遊牧民は、農耕民にとっては貴重な品々を商う『貿易』だけではなくて、同時に恐ろしい略奪者なのです。
大急ぎで作ったらしい粗製濫造のアメリカ製お粗末プロパガンダ「9・11事件」(無駄に大きい日本の公共事業「箱モノづくり」のアメリカ版)
民主党オバマ政権時代にISIS[イスラム国」が米軍やCIAの傭兵組織である事実を報告したリベラルメディアや米民主党の天敵のような元アメリカ国防情報局(DIA)長官マイケル・フリン(トランプ政権の初代安全保障担当首席補佐官)
★注、11月3日アメリカ大統領選でトランプが大差で再選されるとアメリカ国防情報局(DIA)長官だったマイケル・フリンがトランプ政権の安全保障担当首席補佐官として復活する可能性が高い。
処刑する前にイラクのフセイン大統領を裸にして拷問するアメリカ兵
9・11事件でアメリカはで永久に終わらない「対テロ戦争」に突入するのですが、2001年のアフガニスタンに続き2003年にはニセの証拠をでっち上げてイラクに侵攻、フセイン大統領を辱めた挙句に処刑している。同じくノーベル平和賞のオバマ大統領やクリントン国務長官(4年前の民主党大統領候補)はリビアのカダフィをISIS(イスラム国)を使って2011年に惨殺している。
その後、勢いに乗ったアメリカ軍やNATOの傭兵組織はシリアやイラクにも侵攻するが2015年9月のロシア軍参戦で形勢は一気に逆転。イスラム国が敗走・壊滅する。(現在は少数の敗残兵がトルコ国境のイドリブ県などに残っているだけ)
アメリカにとって最大のターニングポイント(分水嶺・分岐点)は19年前の共和党ブッシュ政権の9・11より、41年前1979年の民主党(キリスト教原理主義)カーター政権によるイスラム教ムジャヒディンとの共闘開始(ソ連軍に対抗したアフガニスタン内戦介入)
そもそもの話、アメリカ軍情報組織トップのマイケル・フリン中将によればISIS(イスラム国)やアルカイダなどのイスラム過激派武装勢力は米軍の傭兵組織であると断言しているのですから、それなら2001年の9・11事件はアメリカ軍によるアメリカ軍のためのアメリカ軍のお粗末すぎる自作自演の謀略事件。しかも数々の謎や疑問に一切答えないで白々しくとぼける不真面目な菅義偉官房長官と同じで、あまりにも手抜きが酷過ぎる乱暴な出来上がりである。
しかもアメリカのイスラム過激派との結びつきは共和党ブッシュ政権による9・11事件よりもはるか前の民主党カーター大統領によるアフガニスタンのソ連軍侵攻に対する世界中のイスラム過激派武装勢力の糾合(アルカイダ)や1980年モスクワオリンピックボイコットなど長い歴史がある。
(★注、ただし、2か月後の11月3日のアメリカ大統領選で決着がつくどころが、150年ぶり2回目の内戦に突入する可能性の方がはるかに高いのですから恐ろしい)
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国連で「よくも私の夢と子供時代を盗んでくれたな!」と顔を歪ませてスピーチするグレタ。あなたの夢と子供時代を盗んだのは、あなたを利用し、あなたを矢面に立たせることで「ホラ反論できないだろ」とほくそ笑む周囲の大人と環境活動家だろう。私には児童虐待に見える
ここは子供相手の何でも相談室でもないし、駅の伝言板でもない。もちろん私は教師ほど親切でもない。
フセイン? (田中敦)
2020-09-11 17:59:27
明らかにフセインじゃないのでは?
出典は何ですか。
ソースが欲しければ酒屋に行きなさい。
大人の会話では「知らない」ものは最初から参加する資格がないとの当然の常識が無いとは呆れた話だ。
写真でフセイン大統領はうつむいているので顔が良く分からないが、この写真にある白い長めのパンツ一枚のイラク大統領の哀れな姿は沢山存在していますよ。その中の一枚がこれ。この写真を選んだ理由は膝下が紫色に変色しているから。(小林多喜二の拷問と類似)
私が(あるいはこのブログの読者が)興味があるのは客観的な事実だけ。
誰かが何を思ったかなそ主観には何の興味もありません。そもそも自分自身の主観にさえ、それほど興味がない。(危険な遭難時のサバイバルなど、極限状態では自分が何を思ったかなど主観的判断と客観的事実が一致している場合だけ生還が可能。客観的事実と一致しない主観の存在は、邪魔にこそなれ利益は何もない)
客観的事実は常に普遍的で一つしかない、だから違っていれば議論することが大切だ。
しかし、主観は個人個人が別々だから値打ちがあるのですよ。違っていること自体が大切なのですから、それなら、いくら異様でも間違っていても仕方がないと諦めるのが一番正しい。