『因果応報、自業自得、フクシマからの自衛隊の逃亡を隠した当然の報い』
『同じ日の原発職員の逃亡を報じて、マスコミ総がかりでバッシングされた朝日新聞』
国家存亡の未曾有の危機であるフクシマから3年後の5月22日付け朝日新聞では『原発職員の9割が逃亡した』との内容の『吉田調書』をスクープする。
非公開の吉田調書を手に入れた朝日新聞編集部は恐る恐る、『腰抜け』にも、実質的に原発職員が『逃亡』しているのに『撤退』と曖昧に表現しているのです。
朝日記事の『撤退』は、吉田調書には『撤収』とあるが意味する行為はまったく同一で『逃亡』である。(朝日記事を読んだ読者は全員が『逃亡した』と理解した)
そもそも福島原発事故では、放射能の拡散予測のSpeediをアメリカ軍には通報したが日本人の一般避難民には隠し、真っ先に経産省原子力保安院と文科省モニタリング職員が逃げている。
2011年3月14日昼にフクシマの3号基が大爆発し2号基が危機的状態に陥っている。14日夜には自衛隊は避難民で渋滞する道路をサイレンを鳴らして一般車両をどかして(市民を見捨てて)自分達だけ一目散に逃亡している。
避難所とか南相馬市役所では自衛隊員が『原発が爆発します。100キロ圏から逃げてください』と言い残して走り去った事実を多くの市民が目撃しているが、マスコミはあまりにも不都合なので報道しない。
危機管理の最後の組織である自衛隊の逃亡を目撃した福島第一原発の職員が浮き足立って逃げるのは、人間として余りにも当然な行為である。
このような自衛隊員の『命令拒否は死刑か懲役300年にするべきだ』との正論を参議院選の直前と言う一番大事な時期に軍事オタクの石破茂元防衛大臣が断言している。(完璧に正しい石破茂の『命令拒否は死刑か懲役300年』を、左翼も右翼も全員がバッシングするが愚か過ぎる。日本がそれでけ極限まで劣化しているのです)
そもそも日本のマスメディアは基本的に真実を報道するマスコミでは無くて、残念ながら挙国一致の大本営発表を繰り返していた。
3年半前のフクシマ以後は益々政府官報と瓜二つの記事ばかり成っていたが、朝日の掟破り『スクープ記事』では即座に『出る杭を打つ』日本的なイジメが大々的に始まっている。
『自衛隊の逃亡』を挙国一致の大本営発表で隠蔽した朝日新聞ですが、今回同じ日付けで起きた『原発職員の9割が逃亡』を政府や産経新聞や読売新聞に激しくバッシングされた挙句、『誤報である』と無理やり謝罪させられたのは、いくら因果応報(自業自得の悪行)とは言え哀れである。
人間正直が一番である。
一度でも嘘をつくと最後まで嘘をつき通さないと駄目なのです。今回の朝日新聞のように辻褄が合わなくなり、『真実の報道』を逆に『誤報である』として無理やり謝罪させられ満座の中で大恥をかく結果に終わる。
『政府による小保方博士のSTAP細胞ネイチャー論文の真似(悪質な印象操作)』
日本政府(安倍内閣)は朝日新聞の吉田調書のスクープ記事でそれまでの不開示の方針を撤回、一転公開するこを決定する。
日本で一番腐敗している売国右翼の産経新聞や読売新聞に情報をリークした結果、朝日新聞は『誤報であった』と謝罪する大騒動に発展する。
この政府が産経新聞にリークした『吉田調書』ですが、丸っきり理研の小保方博士のSTAP細胞のネイチャー論文の下手糞な真似である。(政府は最初から全文公開では無く、『一部を非公開にする』と発表している)
史料価値ですが、手を一切加えていない完全なもの(生データー)以外の値打ちは限りなくゼロなのです。(枝野幸男によると自分の分では10箇所も黒塗りされていたと言う)
そもそも切り貼り無しの生の『丸ごと』であったとしても、『吉田調書』では肝心な部分では不自然に『記憶に無い』とか『覚えていない』と証言を拒否しているのです。
吉田昌郎元所長は、なんとかして東京電力とか自分自身の責任追及を逃れようとしていた事は明らかな事実なのである。
参考資料程度にはなるが『吉田調書が全部真実である』などと考えるべきではない。(中立性に問題がある東電の執行役員では無くて、一般の原発作業員の方が信用度は高いが、何故かマスコミは一切取材記事を書いていない)
A級戦犯の東条英機の調書を『丸々真実そのものである』と思うお人好しは一人もいないのに、今のように胡散臭い東電幹部(フクシマのA級戦犯)の『吉田調書』がマスコミの印象操作で一人歩きするさまは恐ろしい。
マスコミ総がかりの悪質なプロパガンダ(印象操作)に警鐘をならすために、1年以上前の『逝きし世の面影』記事ではあるが、参考資料としてもう一度掲載します。
『東電に殉じた吉田昌郎元所長の無残、ノブレス・オブリージュならぬ滅私奉公』
(2013年07月16日 社会)
『「いま」しかなく、「過去」も「未来」も考えない超日本的無責任』
事故後の対応(滅私奉公)は、事故発生の責任問題を何ら軽減しない。
吉田昌郎元原発所長がメルトダウンして核暴走する危険な原発を必死になって止めようと努力していた『気骨のある指揮官』『日本の恩人』との、マスコミの描く『立派な人』との評価は如何でしょうか。
もしも自動車が暴走して止まらなくなった場合、車の運転手なら誰でも例外なく当然の義務として必死に精一杯努力するが、それでも暴走させた責任が有耶無耶にされることはなく厳しく追求される。
ところが不思議なことに吉田元所長の『原発を暴走させた責任』を問う声が一切無いとは面妖である。
合理的評価として『事故後の頑張り』しか言わない現状は到底納得できない。
もちろん彼一人の責任ではないが、吉田所長は間違いなく原発を暴走させた張本人の一人ですよ。
マスコミが賞賛する原発のレベル7事故後の『決死の努力』や『超人的に頑張った』ことは例え事実であっても、何ら原発を暴走させた責任問題を軽減しない。
本来『事故発生の原因と責任』と『事故後の対応の良し悪し』の両者は別々であり、混同するべきでは無いのである。
しかも吉田昌郎は一社員でなく執行役員であり原子力設備管理部長だった2008年に福島第一原発を15メートル超の巨大津波が襲う可能性があると試算していたのに、対策を一切取らなかった。
『とうとう「真実の歴史」を墓の中まで持って行った吉田元所長』
『なぜ3・11が最悪のレベル7の事故に発展してしまったのか』を誰よりも一番知っている立場ですが、今までマスコミには15分しか発言していない。
一切の説明を拒否しているのです。
個人的な回顧録のようなものも残さず、吉田元所長はすべてを墓の中まで持っていって仕舞ったのです。
極めつけの無責任、超弩級の怠慢と言うか。ウルトラスーパー級の傲慢と言うか。批判する言葉を失う超極悪レベルである。
マスコミ報道では彼は事故時の記録の類は一切作っていないとされるが、しかし逆に彼が原発事故の真実を握り潰される事を恐れて(時機を見て出そうと)隠している可能性もゼロでは無いが、これは限りなく低いのです。
吉田昌郎元原発所長は、とうとう『未曾有の事故時の記録』を墓の中まで持って行って、『真実の歴史』を闇に葬ることによって東電を守ったのである。
『滅私奉公、東電に殉じた吉田昌郎元所長の無残』
想像を絶する極度のストレスによる免疫機能の破壊によって、超短期間で突然末期がんが発症したのだろうか。
一般社員でも年1回の健康診断は大事だが、吉田昌郎は数千人を束ねる責任ある立場なのですから会社としては彼にもしものことがあれば大変なのです。
東京工業大学大学院原子核工学出の技術系のトップなので代替が利かない。
東京電力は、『被曝が原因で食道がんを発症するまでには少なくとも5年かかるので、事故による被曝が影響した可能性は極めて低い』と主張する。
東京電力は『最後の健康診断は五年前だった』と言い張る心算なのだろうか。
この詐欺師の馬鹿者が、恥を知れ。
論理が無茶苦茶で支離滅裂である。
嘘八百の流石の東電も、5年間どころか吉田所長が管理職の義務としての定期的な健康検査を『去年分をサボっていた』とは一言もいわなかったのである。
『健康体が1年で末期がん、2年で死亡する恐怖の3・11原発事故』
吉田所長は事故時は55歳なので、普通なら年一回以上の健康診断で癌検査を行っている。
ところが前回検査(1年前)に異常が少しも無かったのである。
フライデーの2012年2月10日号で、吉田昌郎元所長は2012年の食道がん手術前のインタビューで、『今の病状だけで言えば、放射線の影響は直接ないんじゃないかなぁ』と自身の『被曝』との因果関係性を否定しつつも、続けて、
前年に無かったが東日本大震災を経た後に突然ステージⅢの後期の異常が出た検査の結果に対しては冷静に、
『おととしは医者にも何もなかったと言っているので、
まあ、やっぱりこの事故の、あれだと思うんですけども・・・』
と、吉田昌郎元所長は正直に2011年3月11日の福島第一原発のメルトダウン事故との因果関係を認めている。
誰が考えても突然のアクシデントともいえる異常事態は『3・11』しか無いのである。
『とかく「業界用語」(仲間内の隠語)は難しい』
東電は一言も、吉田元所長が毎年の健康診断をサボったとも異常が有ったとも言っていない。(少しでも何か有れば、有利なので今回必ず発表する)
1年前には癌の痕跡すら何も無かった完全な健康体だったのである。
ところが原発事故から9ヶ月後に、突然ステージⅢの後期の『末期がん』が発症している事が判ったのですから恐ろしい。
とんでもなく短時間に、癌が驚異的なスピードで進行しているのですから驚きである。
もちろん半年で浴びた70ミリーベルトや30年間の累積の被曝の影響も大きいが、それ以上に大きいのは極限の精神的ストレスの影響で、これが免疫力に決定的に影響してがん細胞が暴走して無制限に増殖したのでしょう。
突然の食道がんの末期が発覚した異常事態は、2011年3月11日の福島第一原発事故以外には原因は考えられない。
生命の危機のような、極限状態でのストレスと免疫力の学会報告は無いのですが、これは人道問題が有り研究が不可能なのですね。
ただ経験的には、極限状態のストレスは免疫力に間違いなく大きく作用して、致命的に悪影響を与えるので色々な疾患が発病する。
『東京電力の真っ赤な嘘と真実の禍々しいグラデーション』
実は言外に(誰にも分からないように)『吉田昌郎元所長の発癌原因は3・11原発事故』と真実を発表した東京電力の嘘八百。
原子力規制委員会のいう摩訶不思議な、『直ちに安全上重大な問題は生じない』の、正しい日本語の意味とは、『直ちに危険ではない』が間違いなく『将来は危ない』のである。
今回、東京電力が言うように普通の状態なら『被曝が原因で食道がんを発症するまでには少なくとも5年かかる』のですよ。
ところが吉田所長の場合には、1年で発病して2年で死亡する通常有り得ない異常なスピードで食道がんが進行している。
それなら、『東電発表の正しい解釈』の結論部分は、今の日本のマスコミの解釈とは180度逆に『事故による被曝が影響した可能性』は、誰が考えても極めて『高い』とならざるを得ないのである。
『マスコミが創作した英雄伝説「日本を救った」の真偽は全く不明』
剣豪宮本武蔵とは作家の吉川英次の新聞小説がネタ元であり、坂本龍馬の偉人伝説とは流行作家の司馬遼太郎が描いた小説が元祖であり、それまでの庶民のイメージが一新された結果である。
その後はマスコミで宣伝され一般庶民の間で史実であるかのように思われているが、実は真偽はまったく不明。
この武蔵や龍馬ほどでは無いが、よく似た話が今回マスコミが作り上げた吉田昌郎元所長の偉人伝説である。
『日本を救った吉田所長』はマスコミが創り上げた神話で、真実の歴史とは程遠い。
2年前のレベル7の福島第一原発事故ですが、27年前の1986年に起きたチェルノブイリ事故と酷似した経過を辿っている。
今の日本では2年前の3・11の原発事故が起きるまでの『絶対安全で安心だ』の神話に変えて、 新しい神話『直ちに安全上重大な問題は生じない』として再稼動を企んでいますが、何故こんな無茶苦茶なことがごり押しされるのか。
理由の一つが、マスコミが天までも持ち上げる吉田昌郎元所長の神話である。
チェルノブイリ後も、実はソ連は既存の原発を稼動させ続けたのですが、これは日本の福井県の関西電力の原発を稼動させ続けた日本政府と言い分が同じなのですよ。
失敗学の畑村洋太郎を委員長とする政府事故調は、『原発事故は人災だった』との結論を出したが、この『人災説』の最大の根拠になったのは吉田所長の証言でったのです。
『政府事故調(畑村委員長)の「人災説」の根本的矛盾』
(政府事故調の描く事故原因では)非常用復水器(IC)は、全電源喪失で通常の冷却装置が止まると自動起動するが、吉田所長を筆頭に原発運転員全員が、誰一人も作業マニュアルを知らず動かした経験も無いど素人で、折角立ち上がったICを止めて仕舞う。
しかも止めたICを再稼動させる仕方も知らなかったなど、お粗末過ぎる大失敗を繰り返した『人災』と断定されている。
人災だから(原発自体には問題が無いので)、今のような他の原発の再稼動が可能なのです。
チェルノブイリでも全く同じ理由で、ソ連圏では他の原発を稼動させ続けたのですが、実は事故を検証した責任者だったワレリー レガソフは原発自体の重大な問題点を発見していた。
ところが、真実を書いたレガノフの報告書は発表されることはなく『原発作業員の手順ミス』との公式発表が行われた。
ソ連圏や世界のマスコミで、この原発作業員の重大ミス(人災)とセットになって流されたのが文字どおり決死の消火作業に従事した愛国的な兵士や消防士の英雄伝説です。
たしかに大勢の消防士とか兵士が自分の命を犠牲にして愛する故郷や肉親や友人知人を守ろうとしたことは紛れも無い『真実』であった。
ところがチェルノブイリ原発の事故原因とされた人災説(原発には問題が無い)の方は、嘘八百に近い何ともいかがわしい代物だった。
原発のメルトダウン事故で体を張って頑張ったのは、福島第一原発の吉田所長だけでは無い。
チェルノブイリ原発の爆発事故の張本人であると名指しされた原発の運転員達は、事故発生後に文字どうり自分の命を犠牲にして、力が尽きるまで精一杯未曾有の原発事故を収束させようと努力したのであった。
『人災の犯人と英雄の二人を吉田所長一人で演じる怪現象』
コインの裏表としての原発の『英雄伝説と人災説』とは、あまりに日本的すぎる一億総健忘症である。
1986年のチェルノブイリの英雄伝説と人災説の二大話は、今の日本の福島第一原発事故と余りにも似ているというか、何から何まで同じなのですから腹がたつ。
そして日本の場合には『原発作業員のミスによる人災』との悪魔のシナリオは、政府や東電やマスコミによって事実であると宣伝されているが、真偽は不明。
チェルノブイリでは作業員の実名が発表されたが、我が日本国では悪名高い旧ソ連以上の情報統制で現在まで原発所長の吉田昌郎の名前以外一切明らかになっていない。
基本的となる『論理』が無茶苦茶なのです。
未曾有の人災の主犯と、(それとは違うはずの)英雄伝説はソ連では別々の人間である。
論理上、これは当たり前である。
当然国賊と英雄は別々が世界の常識なのに、我が摩訶不思議なニホンでは吉田昌郎一人が相反する二つを同時に兼務する無茶苦茶。
辻褄がまったくあっていないのにも拘らず、何故日本人は誰もインチキを怒らないのか。
実に不思議である。
この『原発事故は人災』とのシナリオ作成において、重大な役割を原発所長だった吉田昌郎が果たしている。
『吉田昌郎は日本の恩人か、日本国の根本を破壊した天敵(国賊)か』
もしも政府事故調の結論である『人災』が正しいなら、 津波到達後たったの3時間でメルトダウンした1号基の事故の全責任は、責任者だった『吉田昌郎所長にある』ことになります。
今のマスコミの偉人伝説ですが、まったくもって論理的に矛盾する摩訶不思議な代物であり、到底信用できるものではなりません。
吉田昌郎所長ですが、自分が事故発生の責任を一人で被る『人災』説で、政府との裏取引を行ったので、 正反対の偉人伝説をマスコミに流させたのでしょう。
同一人物(吉田昌郎)の『英雄説』と『人災説』を同時に流すと、相互に打ち消す(完全に前後が矛盾する)ので、マスコミの信用力を著しく毀損するので本来なら有り得ない。
マスコミの自殺行為であり、普通なら起きる筈が無い自暴自棄の自爆攻撃(カミカゼアタック)のような話である。
政府事故調の結論が正しいと仮定するならば、メルトダウン後にいくら超人的に頑張ったとしても、超重大ミスの帳消しにはなりません。
『誰一人実名が明らかにされない福島第一原発の運転作業員』
日本を未曾有の危機に叩き落した福島第一原発の直接の現場を知っている原発作業員の誰一人も名前が明らかにされなかったし、現在まで一言も発言していないのです。
本当の真実を知っている原発作業員は、全員が名無しの権兵衛で見ざる聞かざる言わざると口を噤む。
唯一個人が特定され名前が分かっている人物こそ吉田昌郎元原発所長だったのである。
政府やマスコミが福島第一原発のメルトダウンの真相を明らかにする意思が無い(隠蔽を決定した)と判断出来る。
ですから吉田元所長は、事故後マスコミには15分間だけしか語らず、とうとう真相を語る機会を作らなかった。
マスコミ報道では、彼は事故時の記録の類は一切作っていないらしいですよ。
あの世まで秘密を握ったまま、(本来は記録を残すべき立場なのに)黙っているのですから無責任の極みである。
言論統制や秘密主義といわれていたソ連の2000倍は、我が日本国の方が言論統制や秘密主義が徹底している。
『命まで要求する過酷な忠誠心』
吉田昌郎元所長ですが、率先して『組織』を守る為に犠牲になり、『墓の中まで』真実を持って行ったのでしょう。
なんとも日本的な忠誠心(滅私奉公)の犠牲者の一人であり、痛ましい話です。
ただし『痛ましい』は組織の内側から見た見解であり、もっと大きな日本国としてみれば、はなはだ苛立たしい腹がたつ話も有りません。
やっぱり最後は無条件の滅私奉公で、自分が所属する組織に対して良く言えば誠実、悪く言えば馬鹿。
社会全体から見れば、これは間違いなく『悪』ですよ。
アメリカの利己的な狭い利益以上に、もっと大きく大事な世界の利益や民主主義などを総合的に考えて、国家による違法な盗聴を世間に暴露したスノーデンの爪の垢でも飲ましたい。
吉田元所長ですが東京電力とか原発再稼動を企む日本政府にとって恩人かもしれないが、日本人とか日本社会全体にとっては、最低最悪の愚行であるとも考えられる。
組織の利益だけではなくて、もう少し広い視野が無いと駄目ですね。
右翼の稲田朋美自民党衆議院議員は、『真のエリートの条件は、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があること』だと愛国心について明け透けに語っている。
ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)で社会的地位の高い者は一般の人よりも、それにふさわしい義務を負ってしかるべきであり、吉田元所長のような立場ならば無条件で『命も犠牲にしろ』と要求しているのですから恐ろしい。
『明治維新でオオカミは滅び、イヌは大繁殖した日本的悲劇』
稲田朋美より、もっと悪いのは民主党の前衆議院議員で首相補佐官だった北神 圭朗で、尖閣に絡んで
『私たち国民自身が、国土のために命を懸けるのかどうか、という安全保障の基本中の基本の話です。
「お母さん、あなたの息子やお孫さんが、あの小さな島のために死んでくれますか。人殺しをしてくれますか」
こうした国家からの重たい要請に、喜んでとまでは言わないまでも、少なからぬ決意を持って「わかりました」と応じてくれる国民が、どのくらいいるのでしょうか。』
と、東洋経済ビジネスオンラインで主張しているのですから丸っきり東条英機のそっくりさん。
生きて虜囚の辱めを受けずの戦陣訓ですが、徴兵された無権利な一般兵士に対して(指揮命令権限がある高級将校と同じ)無条件で祖国に対して命を犠牲にすることを強制していたのです。
この精神ですが、稲田朋美が言うように本来は特権的な『権利』をもっている貴族や旗本などエリートだけ限定の(権利と対になっている)『義務』なのです。
ところが何の権利も無い一般市民にまで無制限に『義務』を拡大した東条英機とか民主党首相補佐官の北神圭朗は、到底正気とは思えない。
無茶苦茶である。
彼等の愛しているのは、日本『国』ではなく一見似ているがまったく異質な『ニッポンムラ』のことである。
現在の日本の死に至る病的な右傾化ですが、最早極限まで、行きつくところまで行き着いています。
『世界基準は、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」だが・・・』
『歴史に学ぶ』どころではない。最低限の『経験』にも学べ無い、日本ムラの不幸。
吉田昌郎ですが、まさに特権的な貴族旗本のエリートなのですから組織に最後まで忠誠を尽くして今回のように自分から進んで犠牲になるのは何とも致し方ない成り行きです。
ただ、欧米のように自分が死んだ後を考えて『真実を書き残す』か、それとも日本の吉田元所長のように完全に口を閉じて『真実を隠蔽する』かの違いは、超越的な宗教(一神教)とか哲学の存在と密接に関係しているようです。
少しも超越的でない絆社会の共同体(ムラ)意識の日本では、困ったことに欧米とは違い大事な『歴史の真実』が(組織を守ることが優先され)隠蔽され闇に埋もれてしまう。
『賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ』とはプロイセンの宰相ビスマルクの有名な言葉であるが、通常日本では吉田昌郎のように自分の経験を隠蔽してしまう。
真実を闇に封じて、一人で『黙って死ぬ』ことでムラを守るのである。
この為に同じ敗戦国のドイツとは違い、愚者たちの楽園である日本ムラでは、最低限の『経験に学ぶ』ことさえ出来ない。
『真実を書き残す』習慣が無い日本では、そもそも学ぶべき『経験』が最初から何処にも無いのである。
何べんも同じ失敗が繰り返されるのもむべなるかな。嗚呼哀れな日本。真理の探求は余りにも浅く、情緒の耽溺は余りにも深い。
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